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翌25日は、旧正月8日に当たる初薬師(はつやくし)の日で、衆生(しゅじょう)の病患を救い、法薬を授ける薬師如来の初縁日である。午前2時、鐘楼堂の梵鐘が打ち鳴らされたので、庫裡(くり)の入口に行くと、間もなく、手木(てぎ)の刀を持った男たちが現れ、腰をかがめ、地面を掃くようにして進み始めた。 |
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庫裏から出てきた先導隊 |
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柴燈木登(ひたきのぼり)と同様、たち切り(打人)が相互に長い手木の刀で打ち結びながら魔を払って進む後に、法螺貝を吹き鳴らす二人が続き、その後に別当の藤波住職が現れた。 |
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別当は、住職のことで、例祭執行の最高責任者である。黒石寺では住職と呼ばれ、薬師堂に登ると別当と呼ばれる。赤手拭(あかてぬぐい)の人たちは檀徒で、門前八軒と天王部落五軒を指し、別当の命により例祭の執行に当たる。黄手拭(きてぬぐい)の人たちは親方と呼ばれる12人の世話人で、諸行事執行の介添えと指導に当たる。 |
このほかに、門前の人たちや事務担当者、堂当番などが世話役と呼ばれる人たちで、赤手拭を持ち、別当の命により各種業務を分担する。赤と黄の手拭で役柄が定められているので、一般の人の着用は禁じられている。 |
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列の中心を行く別当(藤波洋香住職) |
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別当の後に、三方(さんぽう)(三宝)に載せた蘇民袋をしっかりと抱えた総代が現れた。蘇民袋は麻製で、蘇民将来(そみんしょうらい)の護符(ごふ)(魔除けの御守)である長さ1寸(約3cm)の小間木(こまぎ)が五升枡山盛り分入っている。 |
蘇民袋は7〜8人の女性によって1日で作成される。3日前から精進し、当日は朝湯に入り、身を浪の花(塩)で浄めてから作業に入る。麻糸を紡(つむ)ぎ、幅一尺二寸(36cm)長さ六尺(182cm)の布に織り上げ、二つ折りにして袋に仕上げる。これらの作業は旧正月六日から七日にかけて行われる。 |
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別当は、親方と呼ばれる世話人らによる守護役と手木を持った祓人(はらいびと)に護られ、法螺貝や太鼓などを従えて本堂内陣に入り、護摩炊き(ごまたき)の供養や加持祈祷を行い、参拝者や祈願者などに護摩を授けた。 |
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別当登の取材を終えて精進小屋に帰ると、山本グループは仮眠したり、炭火の焼き芋で腹ごしらえをしていた。 |
寺や檀家をはじめとして、蘇民祭の執行にかかわる人たちは、一週間前からお精進に入っている。この間、肉、魚、卵はもちろんのこと、乳製品、ニラ、ニンニク、ネギ類などは一切口にせず、子供たちは給食を止めてお弁当持参で学校に通ったという。ケーキやチョコレート、クッキーなどを口にすることもないというから徹底している。 |
そのため、山本グループも境内には精進料理しか持ち込んでおらず、私も山さんの指導を受けて、梅干しと昆布のおにぎりを持参し、腹ごしらえをした。 |
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午前4時から鬼子登(おにごのぼり)が始まった。梵鐘の音を合図に庫裡の入口に行くと、柴燈木登や別当登と同じ編成の祓人(はらいびと)や「たち切り」などが現れ、行列を先導した。 |
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鬼子登では、午前3時半頃から準備が始まり、檀徒や各地域から集まった世話人である親方衆が寺務所に集まり、資器材を整える。鬼子を背負う強力(ごうりき)や「袋出し」と呼ばれる蘇民袋を最初に出す厄年連中、そして蘇民袋に刀を入れる*親方は、裏庭の井戸端で素裸で水垢離をとる。(非公開) |
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*蘇民袋に刀を入れる:蘇民袋を10cmほど小刀で切り、中の小間木(こまぎ)がこぼれたり、取り出せるようにする。 |
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松松明 |
を持ち麻衣を着た |
総代 |
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太鼓に続いて、麻衣(あさごろも)を着た総代ら檀徒が本堂で焚く二束の松松明(まつたいまつ)を持って現れた。その後ろには水掛用の手桶を担いだ人などが見える。 |
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鬼面を逆さに背負う |
木槌 |
を持つ |
鬼子 |
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その後から、数え年7歳の男児2名が鬼子(おにご/おにこ)として麻衣(あさごろも)をまとい、木製の鬼の面を逆さに背負い、強力(ごうりき)と呼ばれる檀徒の丈夫な大人におんぶされて現れた。 |
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鬼面を逆さに背負う |
木斧 |
を持つ |
鬼子 |
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山の神や農神であるともいわれる鬼子は、黒石寺の引両紋(ひきりょうもん)の寺紋が入った手拭いの頭巾をしており、前の子は木槌(さいづち)を、後ろの子は木斧(きおの)を持っている。鬼の面を逆さに背負うのは、鬼が暴れ出さないようにするためだという。 |
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200年ほど前までは、奥の妙見山にある奥の院(奥の妙見様)まで登ったという記録が残されている。 |
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