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日本では古来から人生の節目を「厄年」として忌(い)み慎(つつし)む習わしがある。厄年は、厄難に遭遇する恐れの多い年齢をいい、現代においても万事に慎まなければならない年齢として意識されている。 |
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雪崩れ込んできた若者たち |
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厄年は、数え年で男は25・42・61歳、女は19・33・37歳が一般的。特に男の42歳と女の33歳は四二(しに)三三(さんざん)といって大厄(たいやく)とされ、その前後の年を前厄・後厄として三年間身を慎む習わしがある。 |
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二十五大厄年の角燈を持った若者たち |
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「二十五大厄年」と書かれた角燈を持った若者たちが、水垢離場になだれ込んできた。25歳は大厄ではないと思われるが、宗派によってはそのようにいわれているのだろうか。 |
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水を胸に掛ける若者 |
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二巡目の水垢離の撮影を終えてから瑠璃壺川から離脱し、裸参りの行列を追った。川から門前の道に上がる階段では、「ジャッソウ」「ジョヤサ」の掛け声とともに「イタイ、イタイ」の悲鳴も聞こえてきた。 |
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瑠璃壺川 |
から門前道への階段を上る若者たち |
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暖冬とはいえ、外気温-8℃の中での雪解け水の寒垢離を三度行って階段を登ってくる裸参りの人たちの肌は紅潮し、寒さを通り越して痛さを我慢する厳しい表情だった。 |
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裸参りの一行は、瑠璃壺川から階段を上がり、門前道から参道に入り、本堂に上がって外陣(げじん)を一巡する。 |
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本堂(薬師堂) |
外陣 |
をひとまわりする裸参り |
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本堂でお参りしたあと、本堂西側の石段を登り、妙見堂にお参りする。その後、本堂裏手の山道を東に進み、本堂東側に下り、本堂前の参道を通って山門前の斜路から瑠璃壺川の水垢離場に至る。 |
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妙見堂 |
から本堂東側に下りてきた総代一行 |
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大厄年の角燈を持った若者たち |
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三度目に素裸になって水垢離した昇ちゃんが身体を真っ赤にして妙見堂から下りてきた。右手に角燈、左手に外した褌を持っている。今回、彼と後ろの人の二人だけが素裸で水垢離をした。 |
今回、「お知らせ」と題するチラシが用意され、「黒石寺蘇民祭は裸の男と炎の祭りですが全裸はご遠慮願います。行事へは下帯を付けて参加して下さい。他人に不快を感じさせる場合は一定の対応をとらさせていただきます。 二月二四日 妙見山黒石寺・蘇民祭保存協力会」と書かれていたが、昇ちゃんはあえて伝統に従った。 |
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手足に感覚が無くなり、痛みすら感じる厳しい裸参りを終えた山本グループは、精進小屋に戻り、裸の上に上着を着用し、酒を飲んで身体を暖め、炭火で手足を温めた。昇ちゃんは褌もしていない。楽しい談笑のひととき、しばしの休憩である。この精進小屋がなければ、裸参りは不可能だろう。 |
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裸参りのあと精進小屋で暖を取る山本グループ(手前が昇ちゃん)
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