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 旅紀行日本の裸祭り

2012年2月18日改訂

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♪千年女王

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瑠璃壷の親子ふんどし寒の垢離  北舟

2007年3月11日制作

親子の寒中水浴

親子の寒中水浴(黒石寺蘇民祭/岩手県奥州市水沢区)

 

天下一の奇祭

黒石寺・寺紋

黒石寺蘇民祭

 

垢離

 
 
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裸 参はだかまい

 り  ■■■
 午後10時から裸参りが始まるので、1時間前から場所取りを行い、昼間、山さんの案内で下見していたので、大相撲でいえば砂かぶりの特等席をとり、暗闇のなかで開始を待った。
門前道から

瑠璃壺川るりつぼがわ

に下りる一行

門前道から瑠璃壺川に下りる一行

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梵鐘ぼんしょう

の合図
 蘇民祭では、五つの行事の開始の合図として鐘楼堂の梵鐘が鳴らされる。午後10時になり、除夜の鐘の響きが聞こえると、いよいよ蘇民祭が始まったという緊張感が涌いてきた。やがて、角燈(かくとう)の明かりが見えてきて、裸参りの行列が瑠璃壷川(るりつぼがわ)(山内川(やまうちがわ))に下りてきた。
瑠璃壺川るりつぼがわ に下りてきた 総代そうだい を先頭とする行列

瑠璃壺川下りてきた総代を先頭とする行列

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   裸参りは、総代を先頭に隊列を組み、厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈(かくとう)と呼ぶ提灯を持ち、「ジャッソウ」「ジョヤサ」の掛け声をかけながら、瑠璃壺川(るりつぼがわ)の水垢離場(みずごりば)に入り、3度水を被って身を浄め、薬師堂(本堂)、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。これを3度繰り返す。
瑠璃壺川るりつぼがわ 水垢離みずごり

瑠璃壺川の水垢離

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昇ちゃんが六尺褌姿で登場。にこやかに笑いながら右肩に水を掛けた。このスタイルが昇ちゃん流である。

笑いながら水を被る昇ちゃん

笑いながら水を被る昇ちゃん

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   褌(ふんどし)をしている人も、3度目の水垢離には褌を外して素裸で水を被る*のが伝統の作法で、裸参りの参加者約100名のなかで、今年は昇ちゃんほか1名がそれに従った。
*素裸で水を被る:翌年(2008)からこの伝統の作法は変更されたとえ境内であっても蘇民祭開催中に褌を外すことは、親方を除いて全面的に禁止された。
笑顔で水を被る素裸の昇ちゃん

笑顔で水を被る素裸の昇ちゃん

写真提供:長谷川昇司 2006.2.4

 

昇ちゃんの水垢離は常に笑顔なので、余裕の現れとも思われるが、他の誰も真似の出来ない芸当である。

KUMAちゃんの 水垢離みずごり

KUMAちゃんの水垢離

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   日蓮宗の修行僧は後頭部に水を被るのが作法であるが、ここではその方法は人様々。肩や胸に被る人が多く、KUMAちゃんは頭から被っていた。これが一番辛(つら)いやりかただろう。
水飛沫みずしぶき

水飛沫

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   六尺褌一丁の裸の集団が次々と水垢離場(みずごりば)に入り、手桶で水面をたたいたり、撮影至近で水を被ったり、中にはわざと水を散らしているのではないかと思われる人もいて、全身ビショビショになり、カッパを着て撮影すれば良かったと後悔した。
気合いの一撃!

気合いの一撃!

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   2台の愛機は濡れ鼠になったが、幸いカメラの故障はなく、レンズをハンカチで拭きながらの撮影となった。しかし、かぶりつきの撮影は、遠くから望遠で写すよりも格段に迫力があるので、良い写真を撮ることができた。

飛沫しぶき

が光る 寒中禊かんちゅうみそぎ

飛沫が光る寒中禊

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「シャッソウ、ジョヤサ」とは?

 裸参りの行者たちは、盛んに「シャッソウ、ジョヤサ」を叫び、気合いを入れて冷水を浴びていた。「ジャッソウ」は「邪正(ジャソウ)・邪(ジャ よこしま)を正(ソウ ただす)」を意味し、「邪を正す」、つまり邪心を祓うこと。「ジョヤサ」は「常屋作(ジョヤサ)・とこしえの住まいを作る」を意味し、「家内安全」を祈願するものという。

親子の寒中水浴

親子の寒中水浴

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  瑠璃壷の親子ふんどし寒の垢離  北舟 

るりつぼの おやこふんどし かんのこり

 

蘇祭そみん

信仰

 「備後風土記(びんごふどき)」の中に、蘇民信仰の以下の逸文が残されている。

 北海の武搭神(たけあきのかみ)が南海の神の娘をめとろうと旅に出、途中で日が暮れた。そこに将来兄弟二人が住んでいた。兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は大変貧しく、弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は裕福で家や倉を百余りも持っていた。武搭神は弟に一夜の宿を借りようとしたが断られ、やむなく兄の家に泊めてもらった。兄は粟(あわ)の飯でもてなした。
 後に武搭神(たけあきのかみ)は八人の王子と帰る途中将来の所に寄り「かつての報いをしよう。おまえの子孫がその家にいるか」と問うと、「妻と娘がいる」と答えた。すると「茅の輪(ちのわ)」を腰に着けることを命じた。その夜、神は蘇民と妻、娘を除いてすべてを滅ぼしてしまった。
背中を流れる冷水

背中を流れる冷水

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   そして、「私は須佐之男命(すさのおのみこと)なり、後の世に疾病あらば蘇民将来の子孫といい、腰に茅の輪をつける者は疫を免れるであろう」と申された。

 武搭神(たけあきのかみ)・須佐之男命(すさのおのみこと)・牛頭天王(ごずてんのう)・薬師如来は同一神仏であるという。この逸話に神仏混淆(しんぶつこんこう)の歴史が色濃く残されていて、興味深い。

頭から水を被る人

頭から水を被る人

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