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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2005年7月15日改訂

♪島の祭り KasedaMusicLabo

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2004年7月3日作成

留学生の練習

おしぐらんご(岡山県笠岡市)

 

紅白褌

四丁櫓

五月丸

椀飯振舞

   
 船漕競争が終了し、後かたづけがはじまった。大役を終えた裸衆は、一様に安堵の表情を浮かべていた。

櫓を外す人

櫓を外す人

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ひったか

サッカー
   伝承によれば、一の谷の合戦で平家敗走後、寿永3年(1184)、平家の武将・越前守平通盛と能登守平教経とが、金浦地区(魚渚郷)の西浜(ようすな)にあった陶山城において兵を集め、平家の再蜂起を計ろうとした。
   そのとき、源氏方に通じていた讃岐国の在庁等が水軍二千余りで海から陶山城を攻めたて、激しい海戦が展開された。
   通盛らは味方の劣勢を補うために、付近の山一帯に篝火(かがりび)を焚いて大軍に見せかけ、敵を欺いて退散させたという。

移 動

移動

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 その後、白幟を立てて源氏に見たてた東の行者山軍と赤幟を立てて平家に見たてた妙見山軍とが相対陣し、源平合戦さながらに各々の山上で松明を焚き、気勢をあげて競うようになったという。
 「ひったか」の語源は、源平合戦で山に篝火を灯した故事から、火(ひ)を高(たか)いところに灯すということで「ひたか」が「ひったか」になったといわれる。

留学生の練習

留学生の練習

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 やがて松明に変わって提灯が使われるようになったが、その時期は分からない。現在のように題材を時事ニュースや世相の風刺に求めてデザインした絵模様を競いあう形になったのは、明治以降のことだという。
 「おしぐらんご」前日の土曜日行われる「ひったか」は、今年は台風6号の影響で中止となり、「おしぐらんご」が行われた日曜日の夜に実施された。

椀飯振舞の会場に向かう船

椀飯振舞の会場に向かう船

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椀飯振舞おうばんぶるまい

 「おしぐらんご」最後のイベントが椀飯振舞*である。妙見丸、行者丸、教授の乗った乙女丸の3隻がプレゼントの菓子を乗せ、船漕競争のゴール付近の岸壁に向かった。大勢の人々が待ちかまえていた。
*広辞苑によれば、「大盤振舞」と書くのは当て字とのこと。

岸壁に近づく行者丸

岸壁に近づく行者丸

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横付けする行者丸

横付けする行者丸

菓子を投げ上げる

菓子を投げ上げる

3箇所で行われた椀飯振舞

3箇所で行われた椀飯振舞

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椀飯振舞を受けた人たち

椀飯振舞を受けた人たち

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喉を潤す

一休み

喉を潤す 一休み

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記念撮影

 船着場に戻った教授たちは、留学生らと共に記念撮影をした。全員法被を脱ぎ、褌一丁でカメラに収まった。褌姿は、日本人のアイデンティティそのもので、日本古来の裸文化を身をもって楽しんでいる様子だった。

記念撮影(後ろ姿)

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記念撮影

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撮影 ・ 原作

 

住居: 岡山県

趣味: フィットネスクラブでの運動 (只今20年継続中) 水泳等

座右の銘: 「継続は力なり」 「歳月人を待たず」   座右の書: 「菜の花の沖」  司馬遼太郎

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あとがき

 「おしぐらんご」が行われた金浦湾は、笠岡中心部の西側に位置し、喉仏のごとく入江の最奥部にあります。かつてカブトガニの生息地だったこの場所は、 周辺の干拓が進み、瀬戸内の海とは遠く離れています。
 「おしぐらんご」は、漁村として栄えた金浦地区に源平合戦のあった時代から伝わる伝統的行事で、褌姿で和船を漕ぐ勇壮な祭りが、今もなお開催されていることは喜ばしいことであります。
 この祭りのあと、再び金浦地区を訪れて、二人の年配の方々のお話を聞くことが出来ました。その昔のこと、現在のこと、これから先の継承のこと、色々な話をして頂きました。
 このお二方の、時折遠くを見つめる澄んだ目は、今も尚、私の脳裏に強烈に焼き付いています。私の突然の問いかけに、丁重に答えてくださったことに対して、心よりお礼申し上げます。
 最後に地域に根付く伝統的な祭りの継承が危ぶまれている昨今、この「おしぐらんご」が笠岡独自の魅力として、途絶えることなく代々受け継がれて、後世に残っていって欲しいものです。

お爺さんの思い出話

船の手入れをするお爺さん

船の手入れをするお爺さん

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  昔の金浦湾 写真の人は、私が話を聞いたお爺さんのひとりです。昔は漁村だったのですが昭和52年から漁業は全廃したそうです。漁師たちは地元の企業に職を求めたようです。今は趣味として使われている船がパラパラと係留されているだけでした。
   お爺さんが子供のころは、干拓地など無く、海がきれいでここでよく泳いだと言っていました。ドンガメ(カブトガニ)は日干しにされ、薬や肥料などに使用されていたとのことでした。
   遠い昔を思い出したような澄んだ目をしていたのが印象的でした。金浦橋の方を指差し、干拓地を見つめ、橋の向こうには大きな瀬戸の海が広がっていたと話してくれました。
   実際私が持っている30年前の地図を見ると、干拓地などはなく、橋の向こうは瀬戸内海でした。時の流れを感じました。
昔のおしぐらんご おしぐらんごに使用する和船は、昔は全部で4隻あり、2隻トーナメント方式で3回レースを行い、一番を決めていたそうで、その頃は1キロほど沖合からスタートしたそうです。
 それは凄いもので、青年団の中から選ばれた豪傑たち(4x6=24名)は誇りが高く、非常に名誉だったとのことでした。褌姿で歩くと人が道を開けてくれたといいます。
 気の合った仲間同士でグループをつくり、舟に乗るそうです。どんな手段を使ってでも相手の舟を妨害して一番になりたかったみたいです。
 一番になると褒美も凄く、飲めや唄えで女郎屋に1週間くらい行ったきりだったと、熱っぽく話してくれました。
 何故中止になったのか聞いてみたら、「儲からない!」とのことでした。要するに赤字になって継続が困難になったようです。そこで笠岡市の援助を受けて再び復活したとのことでした。
昔の漁業 昔はこの和船で漁や瀬戸内の島々で魚の買い付けをしていたそうで、先に帰ってくると一番売りで高く買ってもらえるため、競うようになったそうです。
 「遠くは岩国の方まで行っとったんじゃ」と頼もしそうに話していました。このようなことから舟の持ち主は、村の強力(ごうりき)ともいえるつわもの、猛者(もさ)を集めて舟に乗せたとのこと。猛者たちも年齢に関係なく一番になれば平等にそれなりのお金が入ったとのことでした。
櫓の作成 私が話を聞いた年配の人は62歳で、この人の親父さんは12歳で舟に乗っていたとのこと。この人は和船の櫓の手入れを担当しているようで、「舟それぞれに櫓が4本あるが、全部1本1本違うんじゃ」と丁寧に説明してくれました。
 その舟に合わせて作るみたいで、左と右も当然違うし、どの一本も他の舟に持って行っても合わないそうです。微妙な調整があり、これは勘で行うとのことでした。櫓の長さは約5.8mあり、今は外れないように工夫されているようです。それでも漕ぎ方が悪く外してしまう人がいるとのこと。
 櫓の調整の仕方、縄の結び方等、「若い人に継承していきたいんじゃが、それがいないんじゃ」と嘆いていました。一年に一回なのでそのときは覚えていても忘れてしまうみたいです。それと櫓(ろ)や舳先(へさき)、掛け声等々の舟言葉も覚えきらないとのこと。
6人の役割 舟に乗っている6人の役割も教えてくれました。舳先で棒を持っている人は相手の舟を妨害する役目をしており、この棒で舟を押して進路を曲げたりするのと、櫓を叩いて外すことをやるそうです。もちろん今は観光用なので、そのようなことはやりません。 
 2番目に乗っている旗を振る人は海水をかける人で、これも相手方を妨害するのだそうです。やはり櫓を突付いて外したりします。残り4人は漕ぎ手ですが、先頭の人が指揮をとり、バランスよく時計の振り子のように漕ぐと、後の人もそれに合わせて漕ぐことによってスピードが出るようです。艫(とも 船尾)の人が最も重要で舵取役を担当していると言っていました。
 それにしてもこのような役割があることを知り、和船の漕ぎ方の複雑さを痛感しました。

  2004年7月3日 〈 完 〉

2004年7月6日(火)  高橋節二  様より  ちばあきお 様へ  金浦ひったか・おしぐらんご保存会
 先日は台風の影響で非常に暑い中撮影され、またこの様な写真を見せて頂きましてありがとうございました。
 本当は先日の(土曜日)雨天の影響で、金浦の(夜の祭典、ひったか)の予定でしたが、惜しくも中止となり この後、午後無事開催されましたので お知らせ、感謝と 、これからの健康と御発展を心より願います。 写真を添付させて頂きます。
  西の山 世界平和を願って
  東の山 次回アテネオリンピック大会
 簡単ではありますが、金浦ひったか・おしぐらんご保存会を代表し、お礼の言葉に代えさせていただきます。

金浦ひったか・おしぐらんご保存会 Tel: 0865-66-1890 setucyan@kcv.ne.jp

西の山 世界平和を願って

西の山 世界平和を願って

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【写真提供:金浦ひったか・おしぐらんご保存会】
金浦ひったか・おしぐらんご保存会 様
 今晩は。お便り有り難うございました。ひったかの写真も合わせて有り難うございました。私はおしぐらんごしか撮らなかったんですが、まさかひったかがその夜、開催されるとは思っていませんでしたので、この写真は大変嬉しく思います。
 ご存知かと思われますが、私は写真を撮っただけであり、後は全て和田様によるものです。わだフォトギャラリーは凄く有名なサイトですから、きっとこのおしぐらんごも、全国的に知られるようになる思います。そして笠岡と金浦地区の発展に継がるものと期待しています。
 それでは、金浦ひったか・おしぐらんご保存会の益々のご清栄を祈念して失礼いたします。有り難うございました。  ちばあきお

東の山 次回アテネオリンピック大会

東の山 次回アテネオリンピック大会

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【写真提供:金浦ひったか・おしぐらんご保存会】
金浦ひったか・おしぐらんご保存会 様
 始めまして。Wa☆Daフォトギャラリーを主宰する和田と申します。先ほど、ちばさんから保存会の高橋様から礼状と写真が送られてきたとお便りがありました。
 ちばあきおさんの素晴らしい写真と、何よりも驚くほどロマンと歴史のある「おしぐらんご」の内容が素晴らしく、私もこれまでになく編集に力が入り、大作になりました。internetを検索しても、これほどの迫力のある作品はないと自負しております。これも、一時廃れた伝統文化を執念で復活された保存会の皆様のお力があってのことです。誰が見ても、ロマンと感動を覚える素晴らしい祭りだと思います。
 酒井会長さんからご紹介いただき、今井サイクルさんにmailした内容が、今井サイクルさんのトップページに掲載されました。
 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/1302/index.html
 そういうことなら、もっと推敲しておくのだったと反省しています。(^^; 景気の良い話をさせて頂いておりますが、これは私の本心です。和船の船漕ぎ競争としては天橋立の寒中てんころ舟競争があり、自衛隊や警察、海保チームが参加するなど、大きな行事として有名です。
 http://www.todays.jp/cgi-bin/matsuri/detail.cgi?matsuri_no=276
 「おしぐらんご」も源平合戦以来の豊かな歴史と中身があり、夏場という絶好の季節ですので、「ひったか」と共にビッグイベントになれば、全国から大勢の観光客が集まり、町おこしの切り札になることは間違いありません。
 是非、笠岡市の目玉イベントとして、笠岡市長はじめ市や商工会議所、岡山県、警察、海保など、関係当局の協力を得て大々的に取り組まれると凄い祭りになると思います。
 海上の行事ですので、水島海上保安部の行事許可が必要かと思われますが、気軽にご相談されれば、事故防止の観点から巡視艇による警戒などの支援を受けることができると思います。私もささやかですが応援しますので、お手伝いできることがありましたら、ご連絡下さい。
 保存会の活動で写真が必要なときがありましたら、無償で提供させて頂きますので、いつでもお知らせ下さい。金浦祭りの今後ますますのご発展を祈念しています。酒井会長様はじめ保存会の皆様に宜しくお伝え下さい。有り難うございました。   和田義男

紅白褌

四丁櫓

五月丸

椀飯振舞

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