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 旅紀行日本の祭り

2003年12月14日改訂
祭囃子

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2003年12月13日制作

五條大橋の弁慶(江戸天下祭・日比谷公園)

五條大橋の弁慶(江戸天下祭・日比谷公園)

「羽衣」の山車

 神田祭で宮入する唯一の山車で、昭和13年(1938)に制作された。美保の松原の天女伝説に由来する。町名の松枝(まつえ)と美保の松をかけている。能面の人形は能装束を身にまとった羽衣で、神田神社の随神門をくぐり抜けることができるよう、カラクリで上下に動く。写真はせり上がってきた羽衣人形。 神田祭

拡大写真(1200x900)211KB 【E-1 234mm/100-400mm+EC14  F7.1 1/640秒 ISO100】

「森下町」と「

戸隠とがくし

」の山車

 青梅市「森下町」の山車と埼玉県熊谷市第弐本町区が所有する「戸隠」の山車が並んで展示されていた。「森下町」の山車は、別の場所に人形(武内宿禰)を展示しているので、山車だけが置いてあった。

「森下町」と「戸隠」の山車

戸隠とがくし

」の山車

 「戸隠」の山車は、天保(てんぽう)年間の作とされ、江戸時代の天下祭に参加した。明治24年(1891)に個人が所有していたものを熊谷市の有志が購入。熊谷市有形文化財。

 人形は、高天ケ原(たかまがはら)の天の岩戸(あまのいわと)を投げ飛ばし、天照大神(あまてらすおおみかみ)を外に出して光を取り戻したという手力男之命(たぢからおのみこと)で、左手に抱えているのは天の岩戸なのだろう。
 その岩戸が力余って信州に飛んでゆき、戸隠山(とがくしやま)になったという。戸隠は手力男之命の別名。力強く凛々しい顔立ちで、江戸時代の人形の匠による傑作である。
 この山車は、毎年7月20日から22日にかけて熊谷市のお祭り広場を中心に開かれる「熊谷うちわ祭」に使われる。3日間で70万人が訪れ、12台の山車屋台が順行し、関東一の祇園祭と称されるほど賑やかな祭りだという。

手力男之命たぢからおのみこと

手力男之命 凛々しい手力男之命

拡大写真(1200x900)165KB 【E-1 140mm  F6.3 1/400秒 ISO100】

拡大写真(1200x900)170KB 【E-1 566mm  F6.3 1/320秒 ISO100】

「川中島」と「五條大橋」の山車

 遠州横須賀(静岡県小笠郡大須賀町)から遠路はるばるやってきた2台の山車が並んで展示されていた。毎年4月第一金・土・日には、遠州に春を告げる三熊野神社大祭が行われる。

 遠州横須賀では、各町自慢の13台の祢里(ねり 山車)が繰り出し、法被腹掛足袋裸足といった江戸火消装束の粋な若衆が三社囃子の名調子にのって「シタッ、シタッ」のかけ声をかけながら祢里を引き回すそうで、とても盛大な祭りのようである。今回はその内の2台が江戸天下祭に参加した。

「川中島」と「五條大橋」の山車

「川中島」の山車

 遠州横須賀川原町に所属する山車は、江戸中期・嘉永年間の制作と伝える。下台は昭和61年(1986)に作られたもの。過去2回、神田祭にも参加している。

 山車を飾る人形は、上杉謙信が馬に乗り、武田信玄との決闘の場面を示した「川中島の戦い」。人形は山車の制作以降取り換えられ、現在は6代目だという。

「川中島」の山車

拡大写真(1100x1200)291KB 【E-1 154mm/100-400mm+EC14  F5.0 1/320秒 ISO100】

「五條大橋」の山車

 遠州横須賀東田町に所属するこの山車は、平成14年(2002)に完成した新しいもの。高欄(こうらん 端の反りまがった欄干)にある彫刻が特徴で、大正・昭和の作品をそのまま使っている。

 人形は、京都五條の大橋で出会った弁慶と牛若丸をかたどったもの。特に弁慶が秀逸で、明治15年(1882)の制作という。この弁慶は衣の上に鎧をつけており、かなりの重武装である。
 弁慶は熊野三山の実質的な統括者であった熊野別当・湛増(たんぞう)の子で、JR紀伊田辺駅前には、衣の下に鎧をつけた田辺出身の英雄・武蔵坊弁慶のハンサムな銅像が建っている。 早春の熊野三山

拡大写真(1200x900)139KB 【E-1 272mm/100-400mm+EC14  F6.3 1/500秒 ISO100】

「恵比寿」と「弁慶」の山車

 日比谷の帝国ホテルを背景に、千葉県鴨川市日枝神社山王講*に所属する「恵比寿」の山車と、埼玉県川越市志多町(したまち)自治会所属の「弁慶」の山車が並んでいた。 *講:神仏を祭り、又は参詣する同好者で組織する団体

拡大写真(1200x900)238KB 【E-1 94mm/28-108mm  F4.5 1/200秒 ISO100】

「恵比寿」の山車

 江戸・嘉永年間の作と伝えられ、天下祭(神田明神)に使用されていた山車で、150年以上の歴史を持つ。明治42年(1909)神田の町会から購入し、海路で鴨川に渡った。昭和38年(1963)に彫刻を加えた大改修を施した。

 現在、山王講の山車は、毎年9月第2土曜日、鴨川市街を中心に開催される「鴨川地区合同祭」の花形として活躍している。
 人形は七福神の一人・恵比寿神。文政13年(1830)雛屋九五郎作と伝える。昭和54年(1979)に修繕塗り替えを実施したという。

「恵比寿」の山車

「弁慶」の山車

 小江戸と呼ばれる川越市にある志多町(したまち)自治会の山車は、江戸末期の安政年間に制作されたもので、埼玉県指定文化財である。昭和20年(1945)に回り舞台に改造された。囃子台は数少ない欄干仕立て。

 この山車は、毎年10月第 3 土曜日・日曜日に開かれる氷川神社の川越まつりに使用される。町内の山車は全部で29台あるが、隔年で参加するため、毎年15台ほどの山車が順行する盛大な祭りだという。 川越まつり

「弁慶」の山車

拡大写真(1000x1200)218KB 【E-1 28mm/28-108mm  F10.0 1/400秒 ISO200】

「弁慶」の人形

 武蔵坊弁慶と草刈童子が2体。弁慶が童子に道を尋ねているシーンをかたどったもの。山車人形の名人とうたわれた鼠屋五兵衛の作という。武蔵坊弁慶は根強い人気がある。

「弁慶」の人形

拡大写真(1200x800)160KB 【E-1 190mm/100-400mm+EC14  F6.3 1/500秒 ISO200】

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