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▼ 平成21年(2009)12月2日(水)夜、大分県中津市耶馬溪町(なかつし・やばけいまち)に鎮座する大野八幡神社(おおの・はちまんじんじゃ)で600年の歴史を有する「やんさ祭」が行われたので、激写してきた。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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中津市耶馬渓町 |
大野八幡神社の位置/衛星画像 |
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地図:Google Earth |
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▲▼ 耶馬溪町(やばけいまち)は、以前は大分県下毛郡(しもげぐん)にある町だったが、平成17年(2005)に中津市(なかつし)に編入された。福沢諭吉の出身地として知られる中津市は、大分県の北西端に位置し、かつては豊前国(ぶぜんのくに)に属していた。 |
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中津市耶馬渓町 |
大野八幡神社の位置/地図 |
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▼ 耶馬溪町(やばけいまち)は、昭和25年(1950)に指定された耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園の中にあり、大正4年(1915)に新日本三景の一つに選ばれた耶馬渓(やばけい)は、青の洞門(あおのどうもん)を初めとする景勝地として知られており、大正12年(1923)に名勝に指定されている。 |
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▲▼ 「やんさ祭」は、毎年12月2日の寒中の夜に大野八幡神社で行われる勇壮な裸の餅つき祭りである。大野八幡神社は、鶴ヶ岡八幡宮とも称し、応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、此淘蜷_(ひめおおかみ)(宗像三女神)を祀る神社で、応永元年(1394)後小松天皇の御宇*(ぎょう)に、下毛郡(しもげぐん)野仲郷(のなかごう)の長岩(ながいわ)城主・野中能登守弘道が相模国(さがみのくに)鎌倉より鶴ヶ岡八幡宮の神霊を勧請して当郷の守護神と崇めたのが始まりという。 *御宇(ぎょう):天子の治め給う御世 |
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大野八幡神社 |
の入口 2009.12.2. 19:20 |
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石段の奥に神社があり、左にやんさ祭が行われる広場がある
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この神社に鶴ヶ岡八幡宮の神霊を勧請した際、野中の若侍33人が鏡餅を搗(つ)いて神前に供えたのが「やんさ祭」の始まりという。新暦11月30日から12月2日までの3日間にわたり行われる大野八幡神社の霜月*祭(しもずきまつり)の別称が「やんさ祭」で、最終日の12月2日の夜、33人の氏子が褌(ふんどし)一丁の裸形になり、「やんさ、やんさ」とはやしながら餅をつく神事が行われる。
*霜月(しもづき):11月 |
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この行事を伝えた野中氏は、かつては豊前の豪族として下毛(しもげ)、上毛(かみげ)、宇佐(うさ)の三郡を支配していたが、23代野中兵庫頭鎮兼に至り、天正16年(1588)、中津城主・黒田孝高・長政父子により攻め滅ぼされたが、この行事は、その後も村人たちにより受け継がれ、今日に至っているという。 |
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境内に用意された |
臼 |
と |
樫 |
の |
杵棒 |
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「やんさ祭」は、33人に因んで決められた3升3合3勺(約5kg )の餅米(もちごめ)を蒸し、褌衆が「やんさ、やんさ」と掛け声をかけながら6尺(1.8m)の樫(かし)の杵棒(きねぼう)と木臼(きうす)で7臼半の餅を搗(つ)く。つき終わると臼を守る座元側(モト方)とこれを倒そうとする氏子側(ウラ方)の二手に分かれ、水を撒(ま)いた境内で泥んこになって揉み合う臼倒しが始まる。 |
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ビール、焼き鳥、うどんなどを格安で売る出店 19:30
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この木臼をめぐる壮烈な攻防戦がやんさ祭のクライマックスで、臼を倒すとウラ方の地区が豊作になるが、引き分けるとどちらも豊作になるため、毎年引き分けて豊作を祈願する。「やんさ祭」は昭和51年(1976)耶馬溪町(現中津市)により無形民俗文化財に指定されている。 |
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▲ 「やんさ祭」の起源については、中津市のホームページの解説 やんさ祭り を参考にして説明したが、大野八幡神社に表示されている中津市教育委員会の説明とは若干の食い違いがある。ハッキリとしたことは分からないということなのだろうが、少なくとも600年ほど前から行われていた祭りであるという点では一致している。 |
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▼▲ 大野八幡神社の社務所には風呂場があり、「やんさ祭」の氏子たちは脱衣所で裸になり、六尺褌を締めた。 |
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神事用に用意した白晒布の六尺褌を前垂れ式に締めていたが、前垂れは大分県にしては短めで、腹巻も幅が狭く、後ろで褌と一緒に結んでいたので、腹巻というよりも横褌(よこみつ)を何重にも巻いて、褌が緩まないようにする工夫だと思われる。 |
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▲▼ 締め方も手慣れた様子で、シッカリと締めていたので、激しい臼倒しにも褌が乱れることがなかったのは、さすがと云って良い。説明では、33人が餅を搗くことになっているが、ここでも過疎化・高齢化の影響で、現在、氏子数が40人ほどとなり、今年褌を締めた人は14人しかいなかった。 |
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▼ 12月2日午後9時になると、社務所から褌一丁の男たちが境内に現れ、裸足のまま横一列に並び、太田宮司のお祓いを受け、「やんさ祭」が始まった。頭に水玉模様の後ろ鉢巻をした人が8人ほどいた。 |
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▼ お祓いの後、氏子たちは、木製の臼の周りに円陣を組み、各自一本ずつ樫(かし)でできた杵棒(きねぼう)を持ち、皮を剥いで先端を丸くした方で臼を叩きながら時計回りに廻りはじめた。 |
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▼ 頃合いを見て、蒸し上がった餅米(もちごめ)が臼に投入されると、裸の男たちは、「やんさ、やんさ」と大声ではやしながら、臼の周りを時計方向に廻り、樫の棒で激しく餅をつっつくようにして餅を搗いた。 |
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▲▼ 裸の氏子たちによる餅つきは、これの繰り返しで、3升3合3勺の餅米が7臼半に搗き上げられる。一番臼は神前に供え、二番臼以下を厄除餅(やくよけもち)として参拝客に振舞い、最後の一臼は後の直会(なおらい)の雑煮となる。 |
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びゃっこんの やんさやんさと きねのもち |
Wearing white loincloths, pounding a rice cake with mallets, shouting yansa yansa!
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えんじんの らふのもちつく しんじかな |
A Shinto ritual, naked men forming a circle, pounding a rice cake. |
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