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2006年11月3日(金)朝5時起きして、羽田空港から空路大分空港に行き、出迎えて頂いた川組後援会の幹事長役を担う清原浩さんと合流し、豊後高田市自慢の伝統行事で、今年923回目となる「豊後高田市裸祭り保存会」主催による勇壮な「若宮八幡神社裸祭り」を取材した。 |
公民館で褌を締める川組の輿丁(よちょう)たち |
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正式には若宮八幡神社秋季大祭「裸祭り」ということであるが、地元では岡山・西大寺会陽の裸祭りと山口・防府天満宮の裸祭りと並ぶ日本三大裸祭りのひとつとしている。「その意気込みや良し!」と、並々ならぬ熱意を感じた私は、私のホームページにお便りを頂いて知り合った清原さんや川組後援会会長の三谷さんらの歓待を受け、1700枚、2400MBもの感動写真を切り取ってきた。 |
「くしっ子」のママさんに三本締め |
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特に清原さんには、終始同行して祭りのガイドと助手の二役を自ら買って頂いた。後援会のお抱えカメラマンという立場なので、後援会の草色ジャンパーを羽織って優先取材をさせて頂いた。そのお陰で、理想的な撮影位置から素晴らしい映像を沢山切り取ることができ、ほぼ完璧に当日の全てのシーンを収録することができた。 |
白装束に身を包んだ陸組の宮出し |
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この祭りのメイン・イベントは、桂川を渡る裸神輿である。そのため、潮の満ち引きに影響される桂川の水位に併せて、入川(いりかわ)の時刻が決められる。今年は午後1時ころ川組の輿丁(よちょう)をつとめる40歳以下の男性約90名が公民館に集合して狩衣(かりぎぬ)をまとい、褌を締めて衣装を整えたあと、午後2時頃、川組会長の挨拶と三本締めの出陣式を行った。その後、恒例により、褌姿の男たちが適宜市内の飲屋街を廻って、日頃お世話になっているママさんたちの祝酒を飲み、お礼の三本締めをして廻った。 |
清めの塩を神輿に投げていざ出陣!/ 市役所前 |
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一方、神社神輿の宮出しをつとめる白装束で身を固めた陸組(おかぐみ)たちは、午後3時半ころ若宮八幡神社本宮に集合。宮司のお祓いや御霊入れの神事のあと、午後4時過ぎ約1トンの宮神輿を担いで本宮を出発。桂川の会場に隣接する豊後高田市役所まで練り歩いて川組に引き継いだ。 |
町内を練り歩く夕暮れどき |
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陸組から神輿を引き継いだ川組は、三本締めをしたあと、午後4時半ころ白紙に包んで鉢巻に挟んでいた清めの塩を神輿に投げて気合いを入れた後、神輿を担いで「ワッショイ、ワッショイ!」の掛け声をあげて桂川右岸(写真下手前)の商店街などを練り歩いた。写真上の外国人は、毎年参加する近くの高校教師という。 |
桂川の裸祭り会場 |
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註:実際の川は直線 |
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一方、桂川の会場では、潮時(しおどき)を待つ大勢の観客が席を埋め、火矢により長さ16メートル、重さ5トンもある世界一の大松明(おおたいまつ)に火を入れるときを待った。やがて午後5時すぎ、宮神輿が桂川の会場に到着すると、市弓道連盟のメンバーが御玉橋の上から大松明の頭部に巻き付けられている点火用の稲藁(いなわら)めがけて火矢を射った。一矢外れる毎にドーンと大太鼓が打ち鳴らされ、ドッと笑いが上がる。 |
火矢を射る弓道連盟の達人たち / 何と空中を飛ぶ火矢を捉えていた! |
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夕焼け空を背景に空中を飛ぶ火矢は幻想的ですらある。最初の3本はわざと外すという。直ぐに当たればあっけないからなのだろう。今年は風もあり、なかなか当たらず、やきもきしたが、午後5時15分ころ、やっと十本目くらいで稲藁に火矢が命中し、大松明が点火した。その瞬間、会場から大きな拍手と歓声がわき、待望の神輿渡御が始まった。なかなかの演出である。 |
大松明に火矢命中! |
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火矢で点火した大松明と大太鼓の演奏 |
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特設ステージでは、松明の赤い炎のそばで地元・西叡(さいえい)太鼓の勇壮な大太鼓や小太鼓の演奏が披露された。 |
地元・西叡太鼓の迫力の演奏! |
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撮影:岡部憲明 |
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大松明の点火や大太鼓の演奏に気を取られていると、清原さんからお借りしたボデートーキーで神輿が入川(いりかわ)したと連絡を受けたので、下流に向かうと、既に神輿は川中まで進んでおり、午後5時27分、初めて川に入った神輿を捉えた。 |
入川(いりかわ)した裸神輿 |
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平均水位は、お尻の位置にあり、立褌(たてみつ)が見える位置である。これ以上遅くなると、水位が増して上半身しか見えなくなり、裸神輿ではなくなる。裸祭り進行役の腕の見せ所である。 |
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桂川を渡る神輿 |
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スポットライトを浴びる男の晴れ舞台 |
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川には篝火(かがりび)が設置されており、神輿はその間を縫って進む。適宜神輿を川床に置き、交代で担ぎ棒に立った若者の音頭で三本締めを披露して、神輿に水をかける。それを繰り返しながら徐々に特設ステージのそばに近づいてくる。 |
宮神輿に水を浴びせる褌衆 |
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特設ステージの直ぐ下流(向かって右)が神輿の晴れ舞台で、スポットライトに照らされた褌衆が観客の喚声を浴びながら何度も三本締めと水掛けが披露される。最大の見せ場である。 |
川中を出発する裸神輿 |
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最後に輿丁たち全員が観衆に向かって横に並び、川組会長が挨拶をして三本で締めたあと、神輿は対岸に向かった。 |
日も暮れて対岸にたどり着いた神輿 |
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午後5時50分ころ、神輿は対岸に上陸し、待機していた陸組に引き継がれた。そのあと神輿は陸組の輿丁に担がれて宮町にある下宮に到着し、解散となった。 |
川組会長の三本締め! |
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撮影:清原 浩 |
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川組は、神輿を陸組に引き継いだ後、御玉橋を渡り、市役所の1階入口で、草鞋(わらじ)切りをして草鞋を外し、1階フロアで褌を解いて着替えた後、炊き出しの豚汁に舌鼓を打って暖を取った後、午後6時10分ころ解散した。 |
今年は例年にない暖かさで、物足りないという声があった。時には雪が降ることもあり、寒さの中で裸で川に入るのが男たちの見せ場なのだという。潮位によってはお開きが午後9時ころになることもあり、今年は非常に楽な条件で取材できた。 |
私の取材は、3日だけだったが、なか1日おいた最終日の5日(日)は、午後6時すぎ松明に点火。お上りの神輿が再び逆順で川を渡り、本宮に還御(かんぎょ)して、3日間に渡る裸祭りが終わった。 |
川組後援会幹部と乾杯! |
向かって右から清原浩さん、会長の三谷一俊さん、近藤靖彦さん、筆者、中山田武利さん。 |
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若宮八幡裸祭りは予想通りの素晴らしい裸祭りであり、衣装の乱れもなく、900余年にわたって何ら変質することなく子々孫々に引き継がれてきた伝統文化にすっかり感動してしまった。戦時中も中学生らが神輿を担いで伝統を守ってきたことを聞いたとき、頭が下がる思いだった。 |
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全ての作業を終えたあと、川組後援会の幹部たち有志が行きつけの「恵比寿」で懇親会を開いてくれた。生ビールで乾杯して、渇いた喉を潤した後、大分特産で全国bPのむぎ焼酎「二階堂」のロックを傾けながら、地元の山海の珍味を満喫した。話は祭り談義、ふんどし談義など、途切れることなく続き、途中でこの店のご主人の西さんも加わり、気がつけば午前零時を過ぎていた。 |
川組後援会は、5年ほど前に40歳を超える川組OBが現役を盛り立てようと発足したもので、現在、9人の会員を擁する。三谷会長を中心に、伝統の裸祭りを名実共に日本三大裸祭りの一つにしたいという夢は大きい。まだ緒に就いたばかりであるが、川組後援会のホームページなどを通じて全国に交流の輪を広げ、幅広い視点から進むべき方向を提言してゆきたいという。5年先、10年先にどれだけの稔りがあるか、誠に楽しみな集団である。 川組後援会ホームページ |
このたびの取材旅行で、地元の川組後援会の皆さんと交流がもてたことは大きな喜びであり、私の九州拠点にさせていただき、この素晴らしい関係を続けてゆきたい。私の作品を見て、読者の多くの方々が実際に現地に行かれて、この裸祭りのロマンと感動を肌で味わっていただければ幸いである。 |
撮影した原画は全てDVDに焼いて、本日、清原さんに郵送した。ポスターや印刷物、ホームページなどに写真を掲載するときは「撮影:和田義男」とキャプションを入れてもらえば、あとは自由に活用して頂くことにしている。 |
本件は、世界一の大松明の作成・据付や、川組幹部の川中禊などの事前準備を含む全ての行事を撮影した写真を川組後援会から提供いただき、後日「若宮八幡裸祭り」として完成版を作成し、勇壮な裸の野外劇を存分に紹介したい。〈 完 〉 |