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はじめに |
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2006年11月3日(金)朝5時起きして、羽田空港から空路大分空港に行き、出迎えて頂いた川組後援会の清原浩さんと合流し、豊後高田市の伝統行事として知られる若宮八幡神社の裸祭りを取材した。 |
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拡大写真(1600x980)420KB |
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若宮八幡神社裸祭りは、正式には「若宮八幡神社秋季大祭」といい、地元では岡山・西大寺会陽の裸祭りと山口・防府天満宮の裸祭りと並ぶ日本三大裸祭りのひとつとしている。「その意気やよし!」と感じた筆者は、ホームページにお便りを頂いて知り合った清原浩さんや川組後援会会長の三谷一俊さんらの全面支援を受け、川組後援会の専属カメラマンの立場で、1700枚、2400MBもの感動写真を切り取ってきた。 川組後援会 |
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背の高いユニークな本殿
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パノラマ写真(1600x980)474KB |
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豊後高田市は、大分県北部の国東半島(くにさきはんとう)北西部に位置し、周防灘(すおうなだ)に面する。平成17年(2005)3月31日に西国東郡(にしくにさきぐん)真玉町(またままち)、香々地町(かかぢちょう)と合併して、人口2万6千余の新たな豊後高田市が誕生した。 |
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拡大写真(1400x940)320KB |
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市内中心部を二級河川の桂川(かつらがわ)が流れ、中津市(なかつし)から車で約30分、大分市から車で約1時間の位置にあり、旧豊前国(ぶぜんのくに)と豊後国(ぶんごのくに)のほぼ境界に位置する。 |
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拡大写真(1280x960)384KB |
撮影:清原浩 |
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仁寿(にんじゅ)2年(852)12月の創建と伝えられ、来縄郷(くなわごう)(六郷満山*の一つの郷)における宇佐神宮の別宮で産土神(うぶすながみ)とされている。毎年旧暦10月14、15、16日に川渡し神事があり、裸祭りとして知られる。6月には1万本の紫陽花(アジサイ)が咲き乱れる。 |
*六郷満山(ろくごうまんざん):国東半島は「仏の里」と呼ばれ、古代、宇佐で生まれた八幡信仰は、やがて古代仏教と融合して「神仏習合」が生まれ、全国に広まっていった。六郷満山と呼ばれる国東半島の六つの郷では、天台宗と結びつき、山間に多くの寺院を擁立して、独特の仏教文化が花ひらいた。 |
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「大たいまつ」の中に入れる「願い札」 |
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拡大写真(1280x960)384KB |
撮影:清原浩 |
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豊後高田市裸祭り保存会が主催する若宮八幡神社裸祭りは、正式には「若宮八幡神社秋季大祭/裸祭り」といい、「御神幸の川渡し」とも呼ばれる。永保4年(1084)に荒行のひとつとして始められたといわれ、今年で923回目となる。 |
褌(ふんどし)をキリリと締め込んだ輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手たちが宮神輿を担いで桂川を渡り、本宮(もとみや)から下宮(しもみや)へ渡御(お下り)して二泊した後、下宮から本宮へ還御(お上り)する夜の川渡し神事である。毎年旧歴10月14、15、16日の最も近い金・土・日に行われる。 |
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「大たいまつ」の頂部に納められた願い札 |
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拡大写真(1280x960)359KB |
撮影:清原浩 |
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10月22日(日)、裸祭り会場では、12日後にはじまる「御神幸の川渡し」の準備が行われた。桂川に架かる御玉橋(おだまばし)の下流で市役所前の河川敷に特設ステージが設置され、そのそばに11月3日のお下くだりと、5日の |
お上のぼりの二度にわたる夜の川渡し神事に、世界一といわれる長さ16m、最大直径2m、重さ5tonもある巨大な松明(たいまつ)が焚かれる。 |
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「大たいまつ」を支える櫓の設置 |
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拡大写真(1280x960)380KB |
撮影:清原浩 |
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今年で21回目となるこの「豊後大たいまつ」は、大太鼓とともに裸祭りに花を添えるイベントとしてすっかり定着しており、市役所の大たいまつ実行委員会が担当している。祭りが終わった後は、フォトコンテストがあり、筆者も記念に3点応募した。 筆者応募作品 大たいまつ実行委員会公式サイト |
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「大たいまつ」を櫓に設置 |
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拡大写真(1280x960)345KB |
撮影:清原浩 |
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願い札 |
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毎年二本作成される大たいまつは、芯に杉の丸太を入れ、そのまわりを孟宗竹と女竹で囲み、笹を使ってボリュームを出した先端に点火用の稲藁を巻いたものである。稲藁の中には、願い事を書き記して若宮八幡でお払いを |
受けた「願い札」が収められている。護摩札と同じもので、願いが天に届くように大たいまつで炊きあげられる。 御玉橋から放たれた火矢がこの稲藁に命中すると点火される趣向で、素晴らしいアトラクションである。 |
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ポスターと同じ文面の巨大な垂れ幕 |
暴れ太鼓に闇が揺れ、人々の願いは天を焦がす! |
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拡大写真(960x1140)252KB |
撮影:清原浩 |
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清めの塩 |
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大たいまつの作成・設置に続き、特設ステージが組み立てられたほか、若宮八幡神社(若宮)の社務所では氏子たちが清めの塩を紙に包んでいた。三角形に畳んだ和紙に収められた清めの塩(単に「塩」とも呼ぶ。)は、輿丁(よちょう)の鉢巻に挟み、神輿を担ぐときに投げたり神輿に差し挟んだりして、清めの儀式を行うのに使われる。 |
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社務所で清めの塩を白紙に包む |
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撮影:清原浩 |
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この日、良い潮時(しおどき)を待って、神輿を担いで川を渡る輿丁(よちょう)たちが所属する若宮八幡神社川組保存会(川組)の幹部たちが若宮の社務所で狩衣(かりぎぬ)に褌(ふんどし)を締め込み、桂川に入って禊ぎをした。 |
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禊の褌を締める川組の幹部たち |
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撮影:清原浩 |
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若宮八幡の宮神輿は一基で、宮出し・宮入れ前後の陸上を担ぐのは陸組(おかぐみ)が担当し、市役所前などの中継点から先の川渡しは川組が担当する。 |
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川に入る川組の幹部たち |
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拡大写真(1254x865)345KB |
撮影:清原浩 |
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花形の川組 |
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裸祭りの一番華やかな部分を担当するのが川組である。急なスロープを上下し、凹凸で滑りやすい川床を1トンもある重量物を運搬する力仕事が要求されるので、40歳以下という年齢制限がある。川組は、昔は町部の者しか入れなかったが、現在は、担ぎ手の減少で、年齢制限以外の制約はない。 |
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川中の三本締め |
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パノラマ写真(1400x376)124KB |
撮影:清原浩 |
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川組幹部の目印は、陸組と同じで、一目で分かる襷(たすき)がけである。白地に赤く三本、二本、一本の線が入っている。三本線は、川組会長の桑原猛さん。桂川の中央で、円陣を組み、三本締めで清めの儀式を〆た。 |
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清流・桂川の禊 |
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拡大写真(1280x960)271KB |
撮影:清原浩 |
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