|
|
|
|
|
|
|
平成24年(2012)11月23日(金)と25日(日)の両日、大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)に鎮座する若宮八幡神社(吉成保雄宮司)で秋季大祭の川渡し神事(かわわたししんじ)が行われた。 |
|
|
この作品は平成23年(2011)の若宮八幡裸祭'11に続くもので、今回で7作目となる。この裸祭の説明は、平成18年(2006)の「若宮八幡裸祭り」に詳しい。 |
|
|
【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
|
|
|
|
|
|
|
|
Google Earth |
|
|
|
|
|
|
|
|
豊後高田市は、大分県北部の国東半島(くにさきはんとう)北西部に位置し、周防灘(すおうなだ)に面する。平成17年(2005)3月31日に西国東郡(にしくにさきぐん)真玉町(またままち)、香々地町(かかぢちょう)と合併して、人口2万6千余の新たな豊後高田市が誕生した。 |
|
|
|
|
|
|
Google Earth |
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 仁寿(にんじゅ)2年(852)12月の創建と伝えられ、来縄郷(くなわごう)(六郷満山*の一つの郷)における宇佐神宮の別宮で産土神(うぶすながみ)とされている。毎年旧暦10月14、15、16日に神幸祭である川渡し神事が行われる。 |
*六郷満山(ろくごうまんざん):国東半島は「仏の里」と呼ばれ、古代、宇佐で生まれた八幡信仰は、やがて古代仏教と融合して「神仏習合」が生まれ、全国に広まっていった。六郷満山と呼ばれる国東半島の六つの郷では、天台宗と結びつき、山間に多くの寺院を擁立して、独特の仏教文化が花ひらいた。 |
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x980)420KB |
撮影:和田義男 |
|
|
|
|
|
|
|
豊後高田市裸祭り保存会が主催する若宮八幡神社裸祭は、正式には、「若宮八幡神社秋季大祭/裸祭り」といい、「御神幸の川渡し」とも呼ばれる。永保4年(1084)に荒行のひとつとして始められたといわれ、今年で929回目となる。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x940)320KB |
撮影:和田義男 |
|
|
|
|
|
|
この神幸祭は、狩衣(かりぎぬ)に褌(ふんどし)をキリリと締め込んだ輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手たちが宮神輿を担いで桂川を渡り、本宮(もとみや)から下宮(しもみや)へ渡御(お下り)して二泊した後、下宮から本宮へ還御(お上り)する夜の川渡し神事である。毎年旧歴10月14、15、16日の最も近い金・土・日に行われる。 |
|
|
|
|
|
日頃の感謝を込めて三本締め 2012.11.23 14:58
|
|
拡大写真(1800X1250)311KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
|
|
|
渡御(お下り) |
|
|
11月23日(金)は、周防灘に注ぐ桂川の右(東)岸に鎮座する若宮八幡神社・本宮(もとみや)から左(西)岸下宮(しもみや)への神輿渡御(みこしとぎょ)が行われた。地元ではお下り(おくだり)と呼ぶ神事である。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
本殿 |
玄関 |
拝殿 |
|
|
パノラマ写真(1600x750)352KB
|
撮影:和田義男 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 若宮八幡神社本宮(もとみや)では、陸組(おかぐみ)により神輿庫から宮神輿が引き出され、御霊入れの儀が行われたのち、夕刻、豊後高田市役所そばで川組に引き継がれた。 |
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x1050)430KB |
撮影:和田義男 |
|
|
|
|
|
|
▼ 祭の主役を務める川組は、赤線三本の襷を掛ける光田憲太郎新会長(38歳)以下赤組白組に分かれた約70人の若者たち。全員、純白の狩衣(かりぎぬ)上衣に白晒しの腹巻・褌(若宮褌)を締め込み、豊後高田市役所玄関前で記念写真を撮った。 |
|
|
|
|
|
|
|
2012年川組オールキャスト / 豊後高田市役所玄関 16:00
|
|
後藤
陽一郎副会長-岡部嘉洋副会長-光田憲太郎会長-近藤教夫副会長-河野太副会長 |
拡大写真(3000X1850)882KB |
撮影:渡邊 淳 |
|
|
若宮神輿を |
陸組 |
から引き継いだ川組 |
輿丁 |
たち / 豊後高田市役所前 16:33 |
|
|
拡大写真(2000X1500)498KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
|
拡大写真(2000X1300)444KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
|
拡大写真(2000X1500)441KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 初日の渡御(お上り)では赤組が先棒(さきぼう)につき、白組が後棒(あとぼう)につく。三日目の還御(お上り)では、白組が先棒につき、赤組が後棒につく。それに伴って、光田会長は、お先棒の色に合わせた鉢巻をしめるので、初日は赤鉢巻、三日目は白鉢巻となる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1333)378KB |
撮影:渡邊 淳 |
|
|
町内を練り歩く川組神輿 16:42 |
|
拡大写真(1700X2000)797KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
|
拡大写真(2400X1700)824KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 御玉橋(おだまばし)の南、桂川右(東)岸の河川敷が主会場となり、長さ16m、重さ5tonもの巨大松明(たいまつ)と特設ステージが設置され、「国東みさき太鼓」の豪快なリズム音がこれから始まる裸祭の雰囲気を盛り立てていた。
地元では世界一の松明だと鼻高々である。 |
|
|
|
|
大松明のそばで演奏する豊後みさき太鼓/本会場 16:42
|
|
拡大写真(2400X1550)498KB |
撮影:渡邊 淳 |
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 裸祭の初日を担当する豊後みさき太鼓は、平成元年(1989)、豊後高田市香々地(かかぢ)地区の活性化を目指して結成されたもので、国の「ふるさと創生事業」の一つである。かつて岬村と呼ばれていたころ、
龍神祭の安全祈願に太鼓と笛を鳴らしていたものを復活したという。 |
発足以来活動を中断することなく自主運営を続け、香々地地区に留まらず、県内外で年間30〜40回の演奏に出掛け、海外公演も経験しているという。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1850)662KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
先棒 |
を受け持つ赤組 |
輿丁 |
たち 17:02 |
|
|
拡大写真(2400X1800)731KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
後棒 |
を受け持つ白組 |
輿丁 |
たち 17:09 |
|
|
拡大写真(1750X2000)608KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
町内を練り歩く |
狩衣褌 |
姿の |
輿丁 |
たち 17:10 |
|
|
拡大写真(2400X1800)684KB |
撮影:清原 浩 |
|
|
|
まちわたる かりぎぬふんどし あきのゆう |
Autumn evening, going
through the town wearing kariginu coat and fundoshi loincloth.
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1330)404KB |
撮影:後藤美香 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
午後5時すぎ、裸神輿が桂川の会場に到着すると、御玉橋(おだまばし)の上から市弓道連盟のメンバーが大たいまつの稲藁(いなわら)めがけて火矢を射った。一矢(いっし)外れる毎にドーンと大太鼓が打ち鳴らされ、ドッと笑いが上がる。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1300)308KB |
撮影:渡邊 淳 |
|
|
火矢を射る弓道連盟の達人たち |
|
拡大写真(1600x1065)223KB
|
撮影:和田義男 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 夕闇が迫る頃、空中を飛ぶ火矢はとても幻想的である。最初の3本はわざと外すという。直ぐに当たればあっけないからなのだろう。 |
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1500)379KB |
撮影:後藤美香 |
|
|
|
|
|
|
▲▼
やがて、何本かの火矢が大松明の先端部に命中し、たいまつが燃え上がった。その瞬間、会場から大きな拍手と歓声がわき、待望の「川渡し神事」が始まった。日本古来の武術を活かした素晴らしい演出である。 |
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2400X1550)490KB |
撮影:後藤美香 |
|