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11月3日(金)本番の日、午後1時頃裸祭りの主役を務める川組の40歳以下の男性約80名の輿丁(よちょう)たちが公民館に集合し、赤組と白組の二手に分けられた後、狩衣(かりぎぬ)と呼ばれる袖(そで)のない短い上衣をまとい、褌を締めて祭り衣装を整えた。 |
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公民館で褌を締める川組の輿丁たち |
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裸祭りに欠かせない褌は、1反10mの晒木綿を使用して、前垂れ式に締め込んだ六尺褌である。激しい揉み合いにも乱れないよう、狩衣の上から何重にも巻き締める。前垂れは膝頭の上くらいの長さだが、若干長めである。 |
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前垂れが余り長いと、足にまとわりついて運動の妨げとなる。晒しを二重にして締めると、後ろの立褌(たてみつ)も太くなり、前袋が水に透けて見えるのを防ぐのでお勧めであるが、一重のまま締める人が多い。 |
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一反10mを使った前垂れ式褌 |
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祭り衣装に着替えたあと、午後2時頃、川組会長の桑原猛さんの挨拶があり、三本締めの出陣式を行った。 |
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川組会長の挨拶を正座で聞く組員 |
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その後、恒例により、褌姿の男たちが適宜市内の飲屋街に繰り出し、日頃お世話になっているママさんたちの心づくしの祝酒や、おにぎり、おでんなどをいただき、お礼の三本締めをして廻った。 |
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笑顔とおでんの振舞酒 |
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ママさんに三本締め |
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「くしっ子」のママさんに三本締め |
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宮神輿 |
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桂川右岸(東岸)に鎮座する若宮八幡神社の本宮(元宮)(もとみや)では、既に神輿庫から宮神輿が引き出されて、出番を待っていた。 |
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若宮で出番を待つ宮神輿 |
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太鼓の練習をする子供たち |
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午後3時半ころ、神輿の宮出しをつとめる若宮八幡神社陸組(おかぐみ)保存会(陸組)の氏子たちが白装束に身を固めて神輿庫前に集合。神輿を本殿の前に移動した後、午後3時40分ころから古式に則って御霊入れの儀が行われた。 |
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拝殿に座す若宮八幡神社維持会の長老たち |
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若宮八幡神社維持会
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裸祭りの主催者は「豊後高田市裸祭り保存会」であるが、その母体は年間を通じて若宮八幡神社の行事や維持・管理、運営の手助けを行う神社奉賛会に当たる「若宮八幡神社維持会」である。河野禮治会長以下役員が拝殿に正座し、宮司ら神官とともに儀式に参加した。 |
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祝詞奏上(のりとそうじょう)やお祓いなどの神事が終わると、氏子たちが白幕を揺り動かすなか、宮司が本殿から宮神輿に御霊を入れ、若宮は目出度く輿に移った。 |
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神輿の宮出し
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儀式が滞りなく終了したあと、白幕が取り払われ、河野禮治・維持会会長や三本線の襷をかけた河野昭一・陸組会長の挨拶の後、清めの塩を神輿に挟み、三本締めのあと、神輿の宮出しが行われた。 |
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河野禮治維持会会長の挨拶 |
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宮出し・宮入れ前後の陸上を担ぐのは、若宮八幡神社陸組(おかぐみ)保存会(陸組)の輿丁(よちょう)たちである。昔は来縄(くなわ)在住の者しか陸組に入れなかったが、現在は担ぎ手の減少でその制約はない。また、川組と違って年齢制限もないので、川組OBが入ることもある。 |
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神輿を宮出しする陸組の氏子たち |
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