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2006年10月21日改訂

今 日

昨 日

♪栄華の墓所・水の宮・鎮守の森・想い川

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

拡大写真(1600x1200)440KB 

 立砂や相撲ふ童子の白褌    北 舟

2000年7月31日開設

A pear of sand cone,   -  White fundoshi sash  -  of sumo children wrestling.

齋王代の前で烏相撲

齋王代の前で烏相撲(京都・上賀茂神社)

2006年の日記  

 

10
 

9月

10月

11月

目次


2006年10月21日(土)曇
■■■     読者の投稿写真集」スタート! ■■■

本日、「読者の投稿写真集」を発足させた。

 平成12年(2000)7月16日(日曜日)にWa☆Daフォトギャラリーが産声を上げて以来、足かけ7年の月日が流れた。スタートした翌日には早速読者からお便りが寄せられので、ホームページを通じて多くの方々と素晴らしい出会いや交流が生まれたことをお伝えするために、「お便りコーナー」を開設したところ、大変好評で、Wa☆Daフォトギャラリーの発展と歩調をあわせて年々中味が充実し、既にアクセス数は10万件を突破し、今では月単位でお便りコーナーの頁を追加するまでになった。

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金龍や蓮珠の舞の早春賦   北 舟

2006年10月21日開設

A golden dragon,  - The dance for a lotus charm  -  is a poem of early spring.

撮影:志村清貴

金龍の舞の熱演(淺草寺/東京都台東区)

 振り返ってみると、この足かけ7年の間に、読者から数え切れないほどの写真がお便りに添付されて送られてきた。このままお便りコーナーに埋没させてしまうのは、とてももったいないと思われたので、このたび、写真が貼付されたお便りを抜粋し、「読者の投稿写真集」というタイトルで紹介することにした。

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初春や雲の大河のうねりゆく  北 舟

2006年10月21日開設

茶畑から山々を望む - 2006年元旦の雲海 -

撮影:大森 保武                       

 茶畑から山々を望む - 2006年元旦の雲海 -(岡山県美作市)

 現在、Wa☆Daフォトギャラリーは、南光優さんをはじめ21人を数える同志の作品集である「感動写真集」のお陰で、バラエティ豊かな写真館として人気を得ているが、感想文に写真を貼付してお送りいただいたことから文通がはじまり、それがきっかけで感動写真集の作者になられた方が多い。これからも読者からロマンと感動溢れる写真をお送りいただき、「感動写真集」の仲間に入っていただけることを祈念しながら、開設時点で既に10集を数えることになったこの写真集を更に充実させてゆきたいと思う。読者の皆様方の今後益々のご支援を切にお願い申し上げたい。

2006年10月18日(水)晴
■■■     東京メトロ広報パンフレットと鐵砲洲稲荷神社弥生会広報誌に写真掲載! ■■■
 本日、鐵砲洲稲荷神社「弥生会」の石川辰夫幹事長より東京メトロの広報パンフレットと「弥生会」広報誌「いやおひ IYAOI 第24号 が送られてきた。

東京メトロ広報パンフレット

 メトロのパンフレットは、神田明神の寒中禊と鐵砲洲稲荷神社「寒中水浴大会」が並んで紹介されていた。「寒中水浴大会」の方は、私の「続寒中水浴大会」 http://wadaphoto.jp/maturi/sui1.htm の写真が使われており、下の地図の上に小さな字で「写真 / 和田 義男氏」とキャプションが入っていた。東京メトロへの写真の提供は以前「弥生会」から打診があり、了解していたものである。掲載された4枚の写真のうち、下の2枚は同じ絵柄になっているのが気になるが、思ったより大きく扱われており、大変光栄に思う。
 来年52回目を数える「寒中水浴大会」は、1月14日(日)午前11時から鐵砲洲稲荷神社の境内で開催される。ひとまわり大きくなった新しい水槽が登場し、還暦を迎える青柳晴男「弥生会」会長が赤褌で参加される予定である。「弥生会」の会友である私としては、来年で三度目の取材となるが、年々見学者も増加しており、メトロの広報パンフレットにも掲載されたことから、更に見学者が押し寄せ、撮影環境がますます厳しくなると予想されるが、弥生会の半纏を着て、初春の風物詩として定着した寒中水浴大会を激写したいと思っている。

メトロのパンフレットに掲載された鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴大会

メトロのパンフレットに掲載された鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴大会

拡大写真(1780x1670)447KB

鐵砲洲稲荷神社弥生会広報誌いやおひ

 鐵砲洲稲荷神社「弥生会」広報誌「いやおひ IYAOI 第24号 (平成18年10月17日発行)」に、上賀茂神社「重陽の烏相撲」 http://wadaphoto.jp/maturi/karasu1.htm が掲載された。こちらの方も弥生会広報部長の高橋さんが私の作品をご覧になって編集後記の「国技の相撲は何処へ」という小文が良かったということで、「いやおひ」で紹介したいとの打診があり、お受けしていたものである。
 文章は、案文を推敲させて頂いたものを全文掲載されており、大変嬉しく思っている。写真については高橋さんにお任せしていたが、鳥居の写真を省き、私の写真を小さくして、六尺褌をキリリと締めた童子が相撲を取っている写真を大きく掲載していただければもっと良かったと思われるが、1頁を割いて大きく掲載して頂き、大変嬉しく思っている。

「いやおひ」第24号第3頁に掲載された「重陽の烏相撲」

「いやおひ」第24号第3頁に掲載された「重陽の烏相撲」

拡大写真(1110x1600)374KB


2006年10月15日(日)晴
■■■     わんぱく相撲全国大会 ■■■
 わんぱく相撲全国大会は、全国から東京の国技館に集まった小学生による相撲大会である。小学生に広く相撲実践の機会を与え、心身の鍛錬と健康の増進をはかることを目的に、財団法人日本相撲協会と社団法人東京青年会議所(東京JC)の主催により毎年開催される。 国技館が蔵前から両国に移転された昭和60年(1985)に、わんぱく相撲東京場所と共催でわんぱく相撲全国大会の第1回が開催されたことにはじまる。

開会式の様子

開会式の様子

写真:(社)鴨川青年会議所

 平成18年(2006)の第22回(前身のわんぱく相撲東京場所から数えると第40回)大会は、7月30日に開催され、全国5万5千人の予選を勝ち抜いた小学4〜6年生約450人があこがれの土俵に上がった。大会の前夜には、出場選手は相撲部屋に泊まる特典があり、大部屋で力士と一緒にちゃんこ鍋を食べ、布団を並べて寝る。この体験で、わがままだった子供たちが、勝負にこだわり、勝てば喜び、負けたら大泣きするようになるという。「わんぱく相撲」は、(社)日本青年会議所(JCI)の素晴らしい社会貢献であり、これからの更なる発展を祈念している。

善通寺市与北小学校の予選を経て出場したさぬき地区の選手

善通寺市与北小学校の予選を経て出場したさぬき地区の選手

写真:(社)さぬき青年会議所

 2006年10月14日(土)の朝日新聞夕刊の第1面に「わんぱく育てる草相撲」という見出しで、今年の実行委員長を務められた堅山真一さんの熱い思いが掲載されている。その締めくくりの言葉が印象的だった。「実は、本大会はオマケです。本当に大切なのは予選。地域で集まり、勝った負けたで喜ぶ。そうい場を提供したいんです。」 今後益々の発展を祈念したい。

 船橋大神宮子ども相撲 

 地域で楽しむ草相撲は、全国各地の鎮守の森や学校などで行われていたが、都市化が進み、学校から土俵が失われてゆくに従って廃れていった。そうした逆境の中にあって、千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮の子ども相撲は、今年も10月15日に開催された。ここでは、伝統に従い、男子は肌に直接まわしを締めて相撲を取る。
 パンツの上にまわしを締めてもよければ出場するという学校もあるが、主催者の船橋大神宮奉納相撲執行委員会(氏子青年部)は、そのような不格好な参加は認められないというこだわりをもつ。子供用のまわしは、執行委員会が用意しており、自前のまわしを持参する子もいるが、すべてテント小屋で世話役が締めてくれる。

船橋大神宮子ども相撲の立ち会い

以下3枚は、わんぱく相撲の広報写真に使用されたもの

船橋大神宮子ども相撲の立ち会い

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体操着の上にまわしを締めた女子の相撲

体操着の上にまわしを締めた女子の相撲

拡大写真(1200X900)154KB

太陽の下の真剣な立ち会い

太陽の下の真剣な立ち会い

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 船橋大神宮の奉納相撲は、約400年前に徳川家康が鷹狩りで船橋に滞在した際、地元漁師の子供たちが相撲を取って見せたところ、大変喜んだ家康が相撲を神社に奉納したことに始まるという。家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられた大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事となった。
 400年の歴史を誇る奉納相撲は、大人の部と子供の部があり、毎年10月20日の大人の部に先立つ日曜日に、子ども相撲大会が開かれる。関東地区では貴重な行事であり、これからも伝統を崩すことなく、益々の発展を願いたい。

2006年10月14日(土)晴
■■■     海女のふんどし ■■■

 現在は、廃れてしまったが、かつて海女(あま)の労働着であった能登半島の先端に位置する舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれるふんどしの資料を入手したのでここに紹介したい。

 現在、女ふんどしが売り出されて話題を呼んでいるが、昔は、海女(あま)の労働着として、腰巻きと共にふんどしが使われていた。日本のあちこちでその例が見られるが、能登半島の先端にある舳倉島(へくらじま)の「サイジ」と呼ばれる海女ふんどしは、その代表例である。

舳倉島の海女ふんどし「サイジ」

 

サイジ姿で潜る海女

舳倉島の海女ふんどし「サイジ」   サイジ姿で潜る海女
   

資料

 このサイジは、一本の細索(さいさく 細いロープ)を横褌(よこみつ)に使い、その中央に三角形の刺し子の布をつけた簡単なもの。越中褌のように紐を前で結び、三角布を股下から前に導き、前褌(まえみつ)の外側から内側に巻き込んで止めている。越中褌の前垂れは外側に垂らすが、サイジはその反対で、しかも前垂れに当たる部分がとても短い。(参照:サイジ姿の海女)
 彼女たちは実践を通じて改良し、このようなかたちになったもので、これで外れないのは、海の中では刺し子が濡れて摩擦が増し、この寸法で外れることがないことを知ったのであろう。貴重な布なので、必要にして十分な形状がこのサイジなのである。一つとして同じものがないのは、かつての越中褌のように、体型に合ったサイズを手作りしたためである。

サイジ姿の海女

 

鉛のウエイトをつけた海女

 

貝金を腰に差した海女

サイジ姿の海女   鉛のウエイトをつけた海女   貝金を腰に差した海女
       

資料

 現在のダイバーのように身体が浮かないようにロープに鉛を巻いた重しをつけ、鮑(あわび)おこしの貝金(かいがね)(重さ約3kgの鉄製)を短刀のように腰に差した姿は、とても大胆で精悍な姿である。当時、乳房を丸出しにすることは、裸文化の日本では、海女に限らず、日本人にとって恥ずかしい行為ではなかった。
 明治維新のあと、新政府はふんどし一丁の労働着やトップレスが恥ずべき野蛮な行為であるとして、撲滅に腐心したため、高温多湿の気候風土に育まれてきた日本の裸文化が変質し、やがて消滅してしまい、国技の相撲や神事、祭りなどの特別なイベント以外は、公衆の面前で裸体を晒すことができなくなってしまった。

2006年10月13日(金)晴
■■■     丹下誠司さんの第7作「ガンダーラ仏教美術」完成! ■■■
 昨日、インド通信でお馴染みの丹下誠司さんの第7作「ガンダーラ仏教美術」が完成した。この作品は、丹下さんがインド在勤中にパキスタンに旅行され、世界文化遺産のタキシラ遺跡とラホール城などを激写されたものである。この作品により、ムガール人たちが英領インド帝国から独立して打ち立てたパキスタンが26ヵ国目として登場し、一挙8頁高精細画像72枚の感動巨編となり、感動写真集の71作目を飾った。

ムスリムの子供たち / 首都イスラマバード

ムスリムの子供たち / 首都イスラマバード

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 ギリシャ文明の影響を色濃く受けたかつての仏教美術は、異文化人による積年の破壊により、見る影もなく荒廃してしまったが、つぶさに観察すると、アジャンタとは微妙に違った独自の味わいがある。西洋人の風貌を持つふくよかな彩色像だけでなく、骨と皮になった修行中の仏陀像など、変化に富んだ仏教美術の遺品がロマンと感動を誘う。

タキシラ美術館に並べられた西洋風の頭部

タキシラ美術館に並べられた頭部

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 日本から遠く離れた異国の文化に触れることは至難の業であるが、丹下さんの行動力のお陰で、居ながらにして異文化を味わうことができる喜びを読者と分かち合えることに感謝したい。

金箔を押した仏陀の頭部 / ラホール美術館

金箔を押した仏陀の頭部 / ラホール美術館

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撮影:丹下誠司

 今回もBGMに苦労した。滅び去った文明の音楽は存在せず、苦肉の策としてムガール帝国が残してくれたムガール音楽を挿入した。ムガール帝国は、1526年から現在のパキスタンを含むインド北部を支配し、1858年まで存続したイスラム王朝で、その子孫が1947年にイギリス領インドから独立してつくった国がパキスタンである。BGMでイスラム文化の雰囲気を味わいながら、彼らが滅ぼしてしまった仏教文化を鑑賞してもらうという、いささか強引な趣向となってしまった。(^^;

釈迦苦行像 / ラホール美術館

釈迦苦行像 / ラホール美術館

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 丹下さんが原稿を完成されたのは、今年の夏の甲子園大会のときで、発表が今日になったことは、私の怠慢によるもので、弁解の余地がなく、心よりお詫び申し上げたい。
 最後に、このような仏教美術の至宝を撮影禁止にせず、広く世界に公開されているパキスタン政府の粋な計らいに心より感謝申し上げる。 

2006年10月9日(月)晴
■■■     浦祭母が米壽の祝島 ■■■
 この三連休を利用して、家内の母の米寿を祝うため、家内の実家のある広島県呉市に旅し、10月7日(土)、子や孫が大崎上島(おおさきかみじま)の木江(きのえ)にあるきのえ温泉「ホテル清風館」に一泊して長寿を祝った。88歳になった母は、腰も曲がらず、杖もつかずに健康で暮らしている。これ以上の幸せはない。
 私の父母と家内の父は他界して久しいが、家内の母だけが長生きしている。現在、長男の隣の家で一人で暮らしているが、スープの冷めない距離での生活は理想的である。長男夫婦がよくしてくれるので、長女を東京に連れ出している私としても安心このうえない。次女も嫁いで近くに住んでいるので、心強い。
 普段の親不孝の穴埋めに、手作りのパネル写真を母にプレゼントした。ちばあきおさんの坂越の船祭りの写真をお借りし、お祝いの気持ちを詠んだ俳句と共にA4に印刷してパネルに入れたものである。母は大変喜んでくれ、居間のテレビの横に飾ってくれた。毎日、このパネル写真を見て暮らすことになり、当分は親類が尋ねてくるたびに目につくこの写真が話題になることだろう。

母にプレゼントしたパネル写真

母にプレゼントしたパネル写真

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撮影:ちばあきお

  浦祭母が米壽の祝島  北舟 
 

うらまつり ははがべいじゅの いわいしま

 
 パネル写真とともに、次のメッセージを添えた。
 このたびは米寿を迎えられたことを心よりお喜び申し上げます。お祝いの一句を詠ませていただきました。「うらまつり ははがべいじゅの いわいしま」「ほくしゅう」と読みます。

 和田北舟は私の俳号で、七年ほど前に広島で単身赴任中、正岡子規の流れを汲む高橋三洋子(たかはし・さんようし)(子規の弟子は虚子のように必ず「子」がつきます。)先生に師事して、和田北舟という俳号で本格的に俳句をはじめました。その甲斐あって、既に500句ほど詠んでいますが、なかなか名句をものにすることができません。今回も私の駄作ですが、米寿のお祝いの気持ちを俳句に詠ませていただきました。

 「浦祭」は秋の季語で漁村の祭りです。丁度十月のこの日、兵庫県(播州)赤穂市で坂越(さこし)の船祭り(国指定無形民俗文化財)が催されますので、その祭りを撮影した写真を背景に使用しました。私のホームページ「Wa☆Daフォトギャラリー」
http://wadaphoto.jp/  で発表しているものです。赤い衣装がめでたさをあらわしています。江戸時代から続く伝統の祭りで、男性が化粧して女性の姿で漕ぎ手を鼓舞する華やかで楽しいお祭りです。

 俳句にもどりますが、おばあちゃんの子や孫が大崎上島に集まったこのたびのお祝いを「浦祭」にみたてました。「祝島」は瀬戸内海に実在する島ですが、ここでは「祝い」とのかけことばで、お祝いをする島「大崎上島」のことです。

 これからもいつまでもお元気で長生きして下さい。東京にもお気軽に遊びに来て下さい。お待ちしています。

★☆★彡

大崎上島の櫂伝馬競争

 大崎上島も水軍の島で、坂越と同じ櫂伝馬船(かいでんません)がある。坂越は片舷5つの櫂が出ているが、この島で使われている櫂伝馬は7組の櫂を持ち、もっと長くてスピードが出る。

木江の櫂伝馬競争

木江の櫂伝馬競争

撮影:黄旗組
 大崎上島町では、木江(きのえ)地区の厳島神社十七夜祭(7月22日)と、東野(ひがしの)地区の住吉祭り(8月13日)に櫂伝馬競争が行われる。帰郷した若者たちとまだまだ元気な親の世代が力を合わせて舟をこぎ、それぞれの地区の沖合で先頭を争うが、坂越のように褌姿でないのが残念である。 木江の十七夜祭

瀬戸内海を見渡す露天風呂の朝 / 2006.10.8 0700

瀬戸内海を見渡す露天風呂の朝 / 2006.10.8 0700

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露天風呂から見た瀬戸内海

露天風呂から見た瀬戸内海

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 ホテル清風館は高台に建ち、見晴らしが素晴らしい。我々の泊まった部屋は大浴場と同様のオーシャンビュー。露天風呂も気持ちよく、写真は朝7時の朝風呂の様子。無色透明無臭の温泉だが、実は海水風呂。風呂からあがるときはシャワーで塩抜きしなくてはならないが、これも一つの話題になる。記憶に残る米寿祝であった。

★☆★彡

やまとミュージアム(広島県呉市)

 この機会に、呉のやまとミュージアムや江田島の海軍兵学校(現・幹部候補生学校)などを取材し、かつての軍港・呉港を激写してきた。「やまとの里」(仮称)と題して、後日、作品化する予定にしている。

戦艦大和1/10模型(呉市・やまとミュージアム)

戦艦大和1/10模型(呉市・やまとミュージアム)

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2006年10月日(日)雨
■■■     眼鏡とおさらば! ■■■
 数日前から私のプロフィールや作品の巻末の写真から眼鏡が消え去ったことにお気付きの読者は少ないのではないだろうか。 実は、今年の春から眼鏡を外し、裸眼で生活している。私は近眼で、学生時代から眼鏡のお世話になっていたが、齢を重ねるにつれ、視力が変化し、50代に入ってからは老眼が入り、乱視も若干あることから、数年に一度、視力にあった眼鏡に交換していた。
 ところが、左右の視力が極端に違っていたのが幸いし、眼鏡を忘れてしまったときに、遠くは視力1.5の老眼(遠視)の左目で、近くは視力0.2の近眼の右目で見ることで、何不自由なく暮らせることが分かった。これは私にとって大きな発見だった。
 左右の視力が極端に違うと遠近感がつかめるかどうか心配になるが、エレベーターのボタンを押したりする程度の距離なら右目でも見えるので、正確に指を運ぶことができることが分かり、問題ないことが分かった。
 カメラのファインダーを覗くのは以前から左目なので、視力1.5ではっきりと被写体を見ることができる。本来なら右目でファインダーを覗き、左目で直接被写体を見るのが正しい方法だが、私の効き目が左目なのでどうしようもなく、恥ずかしながら撮影中右目はカメラの裏で休んでいるという何ともぶざまな格好で撮影しているのである。(^^;

WaDaフォトギャラリーの名刺

 名刺も丁度切れたので、雨の日曜日に眼鏡を外した名刺をつくった。ホームページの写真も名刺の写真も新しいものではなく、以前の写真から眼鏡を削り取ったものである。デジタル写真だとこういう芸当ができるのが嬉しい。

 これを機に、名刺は、従来の両面マット紙から両面写真画質のものにグレードアップし、裏の写真は「静の舞」と「齋王代」の二種類にした。スキャナーで取り込んだ写真が下の画像であるが、とても名刺をスキャンしたとは思えない綺麗な品質である。エプソンのプリンター複合機が世界一の性能であることを実感する。名刺をお渡しした方が伝統衣装に身を包んだ美しい日本女性を見てニコッとして頂くことが、私のささやかな喜びである。

名刺の表

名刺の表

名刺の裏1

名刺の裏1

名刺の裏2

名刺の裏2

私のパスポート写真

 実は7月のスイス旅行を前にして、家内と共に新しいパスポートを取得した。電子チップが埋め込まれた新型のもので、写真の規格も顔を大きく表示したものに変わっている。10年間有効のものなので、赤色のパスポートになる。この写真の撮影は、外務省のホームページから写真の規格を見て自宅で撮影して印刷したものである。新宿西口の都庁で手続きしたが、別段クレームもなく、自前の写真は無事にパスポートに焼き込まれ、台紙と一体となったパスポートが交付された。

私のパスポート写真

 私の写真は、家内が撮影してくれたもので、良く撮れている。オリンパスE-330だから当然である。4月に撮影したものだが、眼鏡を外して撮影した。今後、車の運転以外は絶対に眼鏡をかけないという決意表明である。
 これまでは、眼鏡を置き忘れたり、レンズを洗浄したり、汗を拭くにも大変だし、何かと気を遣うことが多く、それが当たり前のように受け入れていたが、眼鏡がないことが如何に快適かを実感する毎日である。少なくともパスポートの有効期間が満了する10年間は、眼鏡無しで暮らしたいものだと思っている。

★☆★彡

 この小文を書いたのは、実はホームページで知り合った方とお会いしたとき、プロフィールの写真を見られておられるのに私が分からなかったので、その理由をお聞きしたところ、眼鏡をかけていると思っていたので、分からなかったといわれた。
 なるほど、人はまず眼鏡の有無で最初の選別をするのだと納得し、眼鏡のない正しい写真を掲載したという次第である。読者の皆さん、今度お会いしたときは見間違わないようにお願いします。(^^; 〈完〉

 

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