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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2006年10月13日改訂

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♪ムガール音楽 《 四種のバイラヴィ 》

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2006年10月12日制作

ムスリムの子供たち

                        ムスリムの子供たち(ガンダーラ仏教美術/パキスタン)

パキスタン世界遺産

パキスタン国旗

ガンダーラ仏教美術

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1/8 2/8 3/8 4/8 5/8 6/8 7/8 8/8 インド シリーズ 丹下誠司
はじめに

 Wa☆Daフォトギャラリーに、「インド通信」を登場させて頂き、早や3年近くが経過しました。昨年9月末にインドから帰任して、東京での生活にもやっとペースが出来て来ましたので、今回、帰任直前の2005年9月8日〜12日の間、旅行して来ました隣国パキスタンの画像を、今年5月頃から時間を見つけてまとめてきましたが、このたび完成しましたので、撮影からもう1年も経ってしまいましたが、ご紹介出来ることになりました。

 パキスタンは、仕事でないとなかなか行かない土地ですので、この西アジアの一国を、旅行も趣味とされる方が多いWa☆Daフォトギャラリー・ファンの皆さんに、私の画像と文章で、楽しんでいただけたらと思います。インドからの旅行日を含めわずか7日間の旅でしたので、回れた場所も限られており、また、いつもながら私の撮影は地味な画像が多いのですが、あの国の雰囲気が皆さんに少しでも伝われば、撮影者としてこれ以上の喜びは無いと思っています。
パキスタンはこんな国
 さて、皆さんもご存知の通り、パキスタンは、英領インドが、イギリスから、1947年に独立する中で生まれたイスラム教徒のための国です。インドが1947年8月15日を独立記念日とするのに対し、パキスタンは一日早く8月14日を独立記念日としています。インドをはさんでベンガル湾側にありました東パキスタンは、1971年にバングラデッシュとして、さらに独立しています。
 インドとパキスタンは、両国を支配する宗教が、ヒンドゥー教とイスラム教ということで、決して良好な関係ではなく、インドとパキスタン間の戦争は、1948年、1965年、1971年の3度に亘っています。最近では、2001年から2002年に掛けては、カシミールの国境線を巡る紛争で、両国から核兵器が飛び交う戦争になるのではという緊張下、両軍合わせて150万の兵士がカシミールの山岳地帯に対峙する状況に至っています。
 現在のムシャラフ大統領は軍人出身ですが治世に優れた政治家でもあり、1999年に無血クーデターで政権を奪取後、各民族間の争いも盛んなこの複雑な国を、長期に亘って見事にまとめています。インドとも、緊張緩和政策を展開し、2年ほど前から、両国間の陸路の交通も再開。パキスタンと日本とは、日本からの国際援助も多く、良好な関係が続いていると言えるでしょう。

 人口では、パキスタン1億5千万人、インド10億8千万人、バングラデッシュ1億3千万人と言われており、合計すると、旧インド帝国領土内で約14億人。現在65億人と言われる世界人口の実に5分の1以上が、この南アジア地域に集まっており、人、人、人、そしてまた人の、人密度の濃さがこの地域の特徴になっています。このエリアの、国家と民族、そして、宗教のパワーバランスが、今後の世界平和に及ぼす影響は、益々増して来るものと思われます。
 また、今回の撮影の一ヶ月後の、昨年10月8日には、北部パキスタンで大地震があり、死者7万3千人、負傷者8万人、被災者は330万人という大きな被害となりましたが、日本始め各国の支援もあり、復旧も着実に進んでいるようです。
 今回のパキスタン旅行では、タキシラ遺跡と、ラホール城の、2つの世界遺産を訪問することが出来ました。マケドニアのアレキサンドリア大王も、紀元前4世紀のペルシャ東征の際に通過したタキシラ、そして、ムガール帝国の3代皇帝アクバル以下歴代の皇帝によって建設が続けられたラホール城を撮影することが出来ましたので、この訪問記の中で、ご紹介したいと思います。
 では、私のパキスタン訪問記に、しばし、お付き合い願います。
紺碧の空
 勤務地のインド西ベンガル州のプルリアから、ジャルカンド州の州都ランチに抜ける路上にて。どうです、この紺碧の空!! 現場の休みを貰い、リュックサックを担いでデリーに飛ぶべくランチ空港へジープで走りましたが、この撮影の15分後に、トライバル(部族)エリアの山道で、アウトカーストの人々の権利要求の集会で道路が封鎖されている箇所に遭遇、あの手この手で交渉するも、どうしても通行させて貰えず、とうとう諦めて、逆方向のカルカッタへ向け400キロ走り、翌日に、カルカッタ空港から、デリー空港へ飛べました。インド勤務中は、予想外のことが次々に起りましたが、このインドの紺碧の空に元気付けられ、何事も最後まで諦めず、工夫して前向きに対処する知恵のようなものが身に付きました。

紺碧の空

首都イスラマバード
 翌日、デリー空港から、ラホール空港経由で、イスラマバードへ。パキスタンの首都は、独立後すぐはアラビア海に近いカラチでしたが、1960年代に、新たに新首都として建設されたイスラマバードへ、首都機能を移転させています。
 整然とした街並みは、ギリシアの建築家の設計によるもの。イスラマバードの街を、ダマネコ展望台から望んでいます。中央に見えるのは、イスラマバードの市民の水源でもある人工湖のラワール湖です。

イスラマバード

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 ここは、イスラムの国。国民の97%がイスラム教徒です。イスラマバードの当社の宿舎の回りをカメラ片手に朝の散歩をしていましたら、クリケットをして遊んでいた子供達がゲームを止めて集まって来て呉れました。

ムスリムの子供たち

ムスリムの子供たち

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ファイサル・モスク
 サウジアラビアのファイサル国王の援助で、建てられた白大理石のモスク。最大10万人の礼拝が可能で、世界最大級のモスクの一つと言われています。異教徒にも寛容で、洗った裸足であれば見学を許して貰えましたので、私たちも、靴を脱いで足を洗い、モスク中の見学をさせて貰えました。

ファイサル・モスク

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パラタ
 パキスタンの朝食です。ベンガルのチャパティーとは違い、油をたっぷりと注いで、焼いています。少し齧(かじ)らせて貰いましたが、焼き立ては、小麦の粉の味もしっかり残っていて美味く、腹持ちもします。でも、日本人には油が胃にもたれ過ぎて、少しきついかも。

パラタ

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 パキスタンでも、インド同様、家庭以外では、男が料理人のようです。イスラマバードの東に広がるパンジャブ州は、豊かな穀倉地帯で、良質の小麦を産します。

パラタ屋台

パラタ屋台

インダス河
 
 世界4大文明のインダス文明を生んだ、大河です。世界各国が登場するWa☆Daフォトギャラリーでも、インダス河は、初めてでは? 有名なモヘンジョ・ダロ遺跡やハラッパ遺跡は、もっと南にありますので、今回の旅行では回れませんでしたが、またいつかの楽しみに取っておきたいと思います。インドを流れるガンジス河とは、周辺に家もなく、また違った趣きです。

インダス河

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 撮影場所は、イスラマバードの北部辺りですので、インダス河も、かなり上流です。河口付近のカラチの辺りですと違った表情になるのかしれません。左がアフガニスタン担当の谷君、右が、パキスタンに着任間も無い蓼沼君。私の帰任旅行ということで、時間を割いて、パキスタン国内を案内して呉れました。谷君は、現在、ベトナムに赴任、蓼沼君は、アフガニスタンとパキスタンの両国を担当中。頼もしい当社の後輩たちです。

インダス河を背景に

インダス河を背景に

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