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平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸広場で金沢市消防出初式が行われた。金沢は平成14年(2002)放映のNHK大河ドラマ「利家とマツ」で全国的に有名になった前田家・加賀百万石の城下町で、戦災を免れ、江戸時代の心意気が現代に受け継がれている町並みや情緒豊かな文化が旅人を魅了する。 |
平成19年金沢市消防出初式 |
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地元では「日本一の出初式」と豪語するこの祭典は、今から340年ほど前の万治2年(1659)1月4日、第四代将軍徳川家綱が幕府の定火消(じょうびけし)の士気を高めるため、上野東照宮前で行ったことに始まる。明治3年(1870)金沢で初めて開催されたときは「押出」と呼ばれていたが、明治40年(1907)に「出初式」と呼ばれるようになった。 |
金沢城菱櫓(ひしやぐら)をバックに「加賀鳶(かがとび)はしご登り」 |
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国旗掲揚に始まる消防式典では、金沢市長の観閲や石川県知事の挨拶と表彰、県警本部長の万歳三唱などが行われた。続いて、金沢城菱櫓(ひしやぐら)を背景に消防団員1300人による伝統芸能の披露があり、46本の梯(はしご)が立ち並ぶ「加賀鳶(かがとび)はしご登り演技」と全49分団による「一斉放水(はだか放水)」が行われた。 |
加賀鳶はだか纏(まとい) |
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当日は強風が吹き荒れる悪天候で、頻繁に雨や雹(ひょう)に見舞われたが、約3000人の観衆の前で、江戸時代さながらの勇壮な裸のページェントが繰り広げられ、筆者の新春初感動となった。 |
ずらり並んだ褌一丁の纏持ち |
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強風のため、はしご登りは大の字だけで終わったのが残念だったが、はだか放水の方は、寒波の張り出しの中で褌一丁の消防団員たちが纏(まとい)を振りかざし、一斉放水するさまは素晴らしいの一語に尽きるもので、「日本一の出初式」といっても過言ではない。 |
金沢城菱櫓を背に一斉放水用意! |
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加賀鳶は全員白晒の前垂れ式六尺褌に腹巻と豆絞りの捻り鉢巻を締め、黒の地下足袋を履いている。外気温は3℃だが、強風で体感温度は零下となっている。公式行事とあって酒は飲んでおらず、寒さを我慢するのは大変なことと思う。 |
加賀鳶はだか放水開始! |
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これから「加賀鳶はだか放水」として完全版を作成し、筆者の新春第一弾として発表する予定なので、ご期待頂きたい。 |
纏で景気付ける褌一丁の鳶たち |
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感 想 |
金沢は暖冬で雪はなく、寒気団の張り出しで日曜日は雪になることを期待したが、暴風雨となった。ポンチョ式防水衣にスキーズボン・ゴム長靴という完全装備で臨んだが、垂直に放水した水が筆者の頭上にも大量に落下し、ナイアガラ瀑布の観覧船どころではなく、滝のような激しい水の洗礼を受け、全身びしょ濡れになり、取材後ホテルで着替える羽目になった。 |
強風でポンチョが煽られて2台のカメラもずぶ濡れになり、未経験の厳しい取材だったが、オリンパスの愛機2台とも完全に作動し、タオルでカメラやレンズを拭きながらも感動の光景を多数切り取ることができた。 |
天まで届け、はだか放水! |
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厳重な立入規制のないお陰でなし得た肉弾?密着取材による迫真の画像は、他の追随を許さないと確信している。・・・いつもの自画自賛? (^^; |
ともあれ、帰りの飛行機は荒天のため欠航となり、JRの金沢〜米原〜東京の代替ルートで何とか午後7時半頃帰宅できたのは幸いだった。「分かっていながら行くんだから本当に物好きね。」とは家内の感想。(^^; いつもながら夢中で取材するので防寒衣の中は汗だくで、前日も半日、小雨模様の観光スポットを巡り歩いたこともあって体重は1〜2kg減ったようだ。今のところ体力は衰えていないので、これから続く裸祭りのシーズンを元気で乗り切りたい。 1/7 23:55 |
追記:帰りの電車の中で、全ての画像をチェックして掲載写真の選定を行い、速報版の原稿を起案することができたので、即日にアップすることができた。こんな早業が可能だったのもIT時代のinternetとデジカメのお陰である。 1/8 07:30 |