2002年(平成14年)4月2日は穏やかな晴天に恵まれた。姫路城の桜が満開だというので、午後から出かけた。
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JR三ノ宮駅から姫路まで、新快速で40分。駅から北方1km、徒歩15分ほどで姫路城の大手門(写真下)に着く。
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国宝・姫路城は、1993年(平成5年)我が国で初めて法隆寺とともに世界文化遺産に指定された。2001年(平成13年)には、国宝指定70周年、築城400周年を迎えた。この日本一といわれる名城は、姫路市のシンボルであり、市民のオアシスとなっている。
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姫路城はその長い歴史の中で、戦にまみえることなく、近代の戦災に遭うこともなかった、たぐいまれな城である。
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姫路城
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兵庫県姫路市本町の姫山にある姫路城は、天守、櫓などの建築群を今に遺すことで名高い。1346年(正平1年/貞和2年)、赤松貞範(あかまつさだのり)が姫山に築城したことに始まる。
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近世の築城は、1580年(天正8年)に当時の城主黒田孝高(くろだよしたか 如水)が、毛利氏と戦うべく西下した羽柴秀吉にこの城を明けわたし、秀吉の居城として普請したのに始まる。
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秀吉の後もその親族が城主であったが、関ヶ原の戦いの後、徳川家康はここに池田輝政を封じ、西国大名に備えた。輝政は大天守、小天守、渡櫓(わたりやぐら)などからなる天守群を1609年(慶長14年)までに完成させるなど、大規模な改修工事を行った。現存の天守はこのときのものである。
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大天守は秀吉時代の三重天守の位置に建てられ、小天守建造には古材も使われた。
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天守は外観5重、内部6階、地下1階で、完成当時の天守は江戸城を除くと最大規模であった。平面の中央部に2本の大通柱(とおしばしら)を立てた構造は、織田信長の安土城天主のやり方を模したものだといわれている。
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