04 |
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桜と天守閣
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A (1200x900)272KB
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B (1200x900)243KB
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C (1200x900)261KB
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D (1200x900)277KB
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昔のままの城内
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大天守に入場すると、靴を脱ぎ、ビニール袋に入れて持ち歩く。一方通行となっていて、ひたすら急な階段を登る。入場者が多くて引き返すことができない。
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出口まで1時間。城内は全て板間で、400年前と変わらない。エレベーター付き鉄筋コンクリート造りの大阪城とは対極にある。
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お菊井戸(怪談・播州皿屋敷)
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城内の上山里丸と呼ばれる広場に「お菊井戸」がある。有名な怪談・播州皿屋敷に出てくる井戸である。
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永正年間の1505年のこと、城主小寺則職の執権・青山鉄山が城の乗っ取りを計画。これに気づいた忠臣・衣笠元信は、愛妾・お菊を青山家に女中として送り込み、陰謀を暴こうとする。
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05 |
枝垂れ桜
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千姫が暮らしていた西の丸の西方の曲輪(くるわ 広場)に、見事な桜が植えられている。ここから望む天守閣がベストショットだと地元アマチュア写真家が教えてくれた。(見出しの写真と04のC,D)
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♪成
敗♪
写真をクリックすると
成敗の音楽が流れます。 |
拡大写真は(1200x900)218KBです。
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白壁の坂道
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松平健扮するテレビ時代劇「暴れん坊将軍」のロケ地 時代劇ロケ地資料
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しかし、努力のかいもなく、青山一家のクーデターは成功。それでもお菊は青山家に残り、龍野に逃れた元信に情報を送っていたが、ついに町坪弾四郎に気づかれてしまい、それをネタに肉体関係を迫られる。
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「お菊井」と表示されている。 |
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しかし、お菊はどうしても首を縦に振らず、腹を立てた弾四郎は家宝の皿10枚のうち1枚を隠し、お菊の不始末として責め殺して井戸に投げ込む。それからというもの毎夜、「1枚、2枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったという。
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その後、元信ら忠臣によって鉄山一味は成敗され、お菊は「於菊大明神」として十二所神社の境内にあるお菊神社に祭られている。
→ 皿屋敷の謎
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千姫と姫路城
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千姫は1597年(慶長2年)、徳川秀忠(二代将軍)と正室・於江与との間に生まれた。 |
千姫7歳の時、祖父・徳川家康の婚姻政策により豊臣秀吉の子・秀頼のもとへ嫁ぐ。大坂冬の陣のときには千姫は18歳となっていた。 |
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翌年、大坂夏の陣において秀頼とその母淀君が自害するに及んで豊臣家は滅亡。
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辛くも千姫は、落城する大坂城から救出される。その後、江戸へ戻ることになるが、その途中桑名で本多忠刻(ほんだただとき)と出会い、忠刻と再婚する。
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千姫は忠刻との間に一男一女をもうけるが、長男幸千代はわずか3歳で死亡。夫忠刻もその5年後に他界。千姫30歳の時であった。忠刻亡きあと千姫は姫路城を去り、
落飾(らくしょく 出家)して天寿院と号し、江戸城竹橋御殿で余生を送る。江戸に戻ってから40年、1666年(寛文6年)死去、享年70歳であった。
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06 |
老人と孫
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《 撮影 2002年4月2日 》
オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素 190枚 |
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狭間(さま)
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塀をくり抜いた四角や三角の窓。姫路城の鉄砲狭間、矢狭間の数は、記録では2,522ヵ所といわれている。現在残っているのは内曲輪(くるわ 城を構成する区画で、陣地や屋敷地のために作り出された平場)のものだけで、その数287だという。
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日本一の名城と桜。城と桜がこんなにも似合うとは思わなかった。パッと咲いてパッと散る桜だからなのだろうか。
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400年の歴史をかみしめながら一歩一歩坂道を踏みしめ、階段を登り、秀吉や千姫、お菊さんなどの足跡を辿りながらの歴史散策は、体力を要するものの、楽しかった。姫路城は外国人観光客も多く、日本が胸を張って世界に誇れる素晴らしい文化財であることを実感した。(完)
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