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か ん お う |
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山形県の南部に広がる置賜(おきたま)地方には置賜さくら回廊といわれる桜の名所がある。白鷹町(しらたかまち)にある小守堂の桜は、エドヒガンザクラで、樹齢約1000年といわれ、樹高約19m、幹周約7m。 |
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あるとき、鮎貝本庄家三代義長(1721-1745)の三女以津子姫の子守がこの桜の木の根元に草履(ぞうり)を脱いだまま行方不明になった。人々は子守が地蔵に化身したと考え、祠を建てて祀ったのが子守堂のはじまりで、この桜は毎年立派な花をつけるので、小守堂の桜として知られるようになったという。 |
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山口奨学桜も白鷹町(しらたかまち)にある。この地は、元、山口村小学校の跡地で、明治26年(1893)、当時の校長・小嶋太栄治が寄付した学校基本財産資金により、子弟の教育の向上を目的として奨学田が作られた。明治44年(1911)10月、小嶋奨学田碑が建立されたとき、その記念に一本の桜が植樹された。樹齢88年になった平成11年(1999)、山口地区民教育のよりどころとして、また、地域づくりの心にと、山口奨学桜と命名されたという。 |
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釜の越桜は、白鷹町(しらたかまち)指定天然記念物のエドヒガンザクラで、樹齢約800年といわれる古木。樹高約20m、胸高周囲約6.0m。古くから人々に愛し育まれてきた名木である。「釜の越」は古い地名。 |
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樹下に立つ三個の巨石は、八幡太郎義家が居陣した時に、この石で竈(かま)を築き、兵糧を炊いたとの伝説がある。開花期は4月25日ころ。ややうつむきながら咲く薄紅色の可憐な花の姿は、見る人々を楽しませてくれる。 |
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釜の越桜を含めて、白鷹町(しらたかまち)には樹齢500年を越す桜の古木が7本ある。県内全域には11本あるが、そのうち7本が白鷹町に集中しており、地元民の誇りとなっている。 |
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置賜(おきたま)さくら回廊のうち、白鷹町(しらたかまち)に隣接する長井市には全国的に有名な伊佐沢の久保桜がある。樹齢1200年、樹高16m、特に枝張は東北地方最大といわれる。山形県内初の国指定天然記念物で、開花シーズンの夜間はライトアップされ、夜桜もひときわ美しいという。 |
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米沢市は、東北地方の南部、山形県の南東部にある人口約9万2千人の都市。置賜(おきたま)地方の中心都市で、置賜総合支庁の所在地でもある。 |
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鎌倉時代は長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、戦国時代に伊達氏の本拠地となる。「独眼竜」こと伊達政宗は米沢城で生まれ、岩出山(いわでやま)(現在の宮城県大崎市)へ移転するまで米沢を支配した。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町となった。 |
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米沢城(よねざわじょう)は、暦仁元年(1238)長井時広の築城と伝えられ、松岬城(まつがさきじょう)と称した。以来、伊達・蒲生・直江・上杉の諸氏の居城となった。 |
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明治6年(1873)、新政府により城が取り壊され、翌年、公園として市民に開放され、昭和32年(1957)10月に都市公園となった。松岬公園は、周囲を幅20〜36m・延長約800mの水濠に囲まれ、春には200本のソメイヨシノが開花する桜の名所ともなっている。 |
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公園内には、中央に上杉謙信を祭神とする上杉神社、濠外東方に上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)を祭神とする松岬神社、その南方に上杉記念館(旧上杉伯爵邸)がある。また、上杉謙信公像、上杉鷹山公像をはじめ、春日神社、福徳稲荷神社などが立ち並び、歴史を感じる公園である。 |
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資料 |
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出羽国米沢藩の第9代藩主・上杉鷹山は、領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られる。諱(いみな)(本名)は治憲(はるのり)だが、藩主引退後の号である「鷹山」の方が著名。 |
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兜に愛の字の前立(まえたて)を付けて戦った直江兼續(兼続)は、戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将で、上杉家の家老である。2009年放映予定のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公である。 |
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直江兼続 |
の「天地人」が大河ドラマ化 |
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兼続の父は長尾政景に仕えた樋口兼豊(木曽義仲の重臣樋口兼光の末裔という)、母は信州泉氏の娘(直江景綱の妹説もある)。仙桃院(謙信の実姉で上杉景勝の母)の推薦で、幼い頃から謙信(一説では景勝)に近侍していたといわれるが、当時の様子が窺える史料は皆無であり、父・兼豊の身分についても見解が分かれている。藩翰譜*(はんかんふ)によれば兼豊は薪炭吏だったという。 |
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*藩翰譜:儒者・新井白石による江戸時代の家伝・系譜書。全12巻。 |
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資料 |
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史学における通説では、兼続は永禄3年(1560)に樋口兼豊の長男として生まれ、永禄7年(1564)に長尾政景が死去すると、謙信の養子となった上杉景勝(当時の名乗りは長尾顕景(ながお・あきかげ))に従って春日山城に入り、そのまま景勝の小姓・近習として近侍していたとされているが、これを立証し得る一次史料や信頼できる史料は存在しない。 |
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通説では、兼続は謙信に才気と美貌を見出され、小姓として近侍し、信長の森欄丸の如く、その寵愛深い衆道の相手または信頼の篤い近臣であったとされているが、生前の謙信と兼続の関わりを示す信憑性のある史料は少なく、青少年期の兼続が謙信に近侍していた可能性は、決して少なくないものの不明であるとされている。 |
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去年の大河ドラマ「風林火山」の山本勘助と同様に史料に乏しいため、来年の大河ドラマで兼続がどう描かれるのか、自由度が極めて高いので、興味は尽きない。いすれにせよ、来年は松岬公園が脚光を浴びることだけは間違いない。 |
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武将の幟が立つ |
松岬公園 |
(米沢城址) |
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よねざわや ちしょうのめでし さくらばな |
Yonezawa,
The cherry blossoms admired by the resourceful generals. |
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撮影・原作:
アマチュア山岳写真家 南光
優 (なんこう
まさる) |
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住居:大阪府豊中市 |
趣味:パソコンいじり、写真、山登り、ガーデニング |
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あとがき |
今年は花では、梅、桜、山野草の美しい花々を求めてアチコチ動き回りました。そして、桜撮影では今年の打ち止めとして東北の三春の滝桜、花見山公園、置賜ざくら等々を見てきました。東北には一本立ちの古木がアチコチにあり、見ることが出来たのは、ほんの一部でしょうが、貫禄があり見ごたえ十分でした。
唯、天候には恵まれた方と思いますが、限られた時間で背景も含めて最適の条件では撮ることが出来ませんでしたので、何時の日か一人旅で再挑戦したいと思っております。 2008.5.2 南光 優
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【編集子が選ぶ名作】 |
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撮 影
2008年4月23-24日
OLYMPUS
E-3
12-60mm
1000万画素 750枚 1,547MB
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毎年200万人の観光客を集める弘前城の桜は日本一の観桜スポットであり、是非見たいと思っていたが、今年その懸案を果たすことができた。クラブ・ツーリズムのツアーを利用したが、開花が1週間早まるとの予報で、当初の予定を一週間早めて4月23日に変更することができ、満開の夜桜を激写することができた。 |
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それだけで満足だったが、同じ時期、南光優さんも東北の桜ツアーに出掛けられていたことが分かり、急遽、原画をお送り頂いて、二人の合作としたため、大作になってしまった。 |
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また、角館では、満開の時期が過ぎていたが、松井公代さんから満開の写真をお借りすることができ、読者の方々に大満足して頂ける作品に仕上げることができた。お二人には心から御礼申し上げたい。
東北地方の桜は、北上するに連れ、同じソメイヨシノでもピンクの色が濃くなっていることを知った。厳しい寒さを乗り越えたお陰で、色鮮やかに開花するのだろう。そして、弘前城では、古い枝を剪定することで、古木も勢いを増し、鮮やかな彩りの豊満な桜に感動した。 〈 完 〉 2008年5月2日 和田義男 |
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旅紀行日本の花第31集/旅紀行ジャパン第101集
「みちのく観桜の旅」 |
撮影・原作:和田義男・南光 優 協力:松井公代 監修 : 和田義男 |
平成20年(2008)5月2日
作品:第16作 画像:(大63+小9) 頁数:4 ファイル数:145 ファイル容量:43.7MB
平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:287 頁数:1,001 ファイル数:34,226 ファイル容量:4,960MB
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【編集子が選ぶ名作】 |
下乗橋と天守/弘前城 |
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