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「奥の千本」と表示されているが、地元では
奥千本と呼ぶ。(吉野山観光協会の説明)
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華麗な花をつけた白山桜
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奥千本の桜
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西行庵のある一帯が奥千本(おくせんぼん)と呼ばれるところだ。ほとんどの桜がまだ一分咲き程度だった。
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苔清水
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苔清水(こけしみず)は、西行の歌で知られる。
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西行が詠った苔清水は、今でも西行庵から100mほど離れた山あいにある。鶯の鳴き声が聞こえるなか、西行が見た光景と変わることなく、綺麗な清水が流れている。
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苔清水を後に、別ルートで杉林を抜け、金峰神社(きんぷじんじゃ)に戻る。あとは上千本を目指してひたすら下り道を歩く。
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高城山
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奥千本と上千本のほぼ中間に高城山(たかぎやま)休憩所がある。休憩所からの眺めは見事なもので、吉野山では最奥の展望台だ。
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標高702mのこの山は、高城山又はつつじが城と呼ぶ。1333年(元弘3年)後醍醐天皇の皇子・護良親王(もりよししんのう)が攻め寄せる北条幕府軍を相手に激しく戦った際、奥の詰城となったという。
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残念ながらこの辺の桜はまだ三分咲き程度だった。参考のためにパノラマ写真を撮影したが、満開時を想像して見ていただきたい。
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昼時になったので、高城山で昼食を取る。ここを下れば、上千本に着き、いよいよ吉野山の佳境に至る。
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午前中晴れていた吉野山だったが、雲が増えてきたので、昼食もそこそこに下山する。
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吉野水分神社の枝垂桜
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吉野水分神社
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高城山から上千本に至る途中に吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)
がある。旧村社で、天之水分大神ほか5神を祀る。水分神は流水を分配することをつかさどる神で、この神を祀った神社は諸国にあり、朝廷が豊年を祈請した。木像の玉依姫(たまよりひめ)命座像は国宝。
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社殿は、中庭を囲って、北に楼門とその両側に付く翼廊、西の一段高いところに本殿、南に幣殿、東に拝殿が配置されており、初めて見るユニークな構成となっている。これらの社殿は1604年(慶長9年)豊臣秀頼によって再興されたという。
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本殿は桁行9間、梁間2間の流造(ながれづくり)の形式をとり、正面に千鳥破風(はふ 屋根の妻側(棟の端)に合掌形に付けられた板)を三つ並べている。桃山時代の特徴をよく表しているという。
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中庭には見事な枝垂桜が満開で、神社の建物との調和が素晴らしく、華やかさの中に落ち着いた雰囲気が漂っていた。
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神社を後に、坂を下っていくと、世尊寺跡・三郎鐘、人丸塚を通り、上千本(かみせんぼん)の展望台に着く。
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