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2008年10月30日改訂

今 日

昨 日

♪太鼓メドレー

寒垢離や気合で浸る長良川    北舟
拡大写真(2200X1360)502KB

Winter purification ceremony,
Fired up for bathing in Nagara River.

2001年6月17日開設

清流・長良川の寒禊(葛懸神社/岐阜市池ノ上町)

清流・長良川の寒禊(葛懸神社/岐阜市池ノ上町)

 
奮闘記7

 

■■■ 158 和田義男写真展の全容決まる! ■■■

 
  2008年10月1日(水) 平成20年(2008)11月6日(木)〜19日(水)(日曜休館)の午前10時〜午後6時の間、東京都千代田区神田小川町の「オリンパスプラザ東京」ショールーム(入場無料)で、「和田義男写真展」を開催することになり、9月中旬から準備を進めていたが、このたび、その内容がまとまった。 オリンパスプラザ東京  

★☆★彡

和田義男写真展のポスター

和田義男写真展のポスター

 
 インターネットに世界の旅の写真館「Wa☆Daフォトギャラリー」 wadaphoto.jp (ワダフォト・ドット・ジェーピー)を開設して7年余。現在、世界39ヵ国、350編、1300頁、高画質写真11,000枚を超える作品をアップしているが、毎日1万件のアクセスを頂き、今年9月にアクセス総数が800万件を超え、規模と内容において日本一の写真館となった。これも一重に皆様方のご支援・ご鞭撻のお陰であり、心からお礼申し上げたい。
 
会場の「オリンパスプラザ東京」ショールーム(千代田区神田小川町)

会場の「オリンパスプラザ東京」ショールーム(千代田区神田小川町)

拡大写真(1600x1200)414KB

 
   このたび、筆者が愛用するデジタル一眼レフカメラを製造販売するオリンパスイメージング(株)のご厚意により、初めての個展を開催する運びとなり、とても嬉しく、また、光栄に思う。  
 
入口を入って正面奥のスペースに展示

入口を入って正面奥のスペースに展示

拡大写真(1600x1100)185KB

 
   オリンパスイメージング(株)はデジタル専用設計を一から始め、フォーサーズ規格を創造し、小型・軽量・高性能を目指す革新的な社風が素晴らしく、フィルムカメラの規格をそのままデジタルカメラに流用したニコンやキャノンなどとは違った魅力がある。携帯に便利なだけでなく、シャープな切れ味とビビッドカラーの素晴らしさは、ロマンと感動を求めて世界中を旅する筆者にピッタリで、旅と写真を志す多くの方々にお勧めしたい。ショーケースにはこれまで使用してきた全機種を展示するのでご覧頂きたい。  
 

会場に用意する展示写真の解説/A4サイズ

会場に用意する展示写真の解説/A4サイズ

印刷用pdfファイル/137KB

 
   今回は、自然景観を中心とした海外写真7ヵ国11点と祭りを中心とした国内写真10点の併せて21点を展示するが、どれも思い出深い作品ばかりである。会場に用意するパンフレットの「展示写真の解説」を参考に、2001年から始めた写真俳句と共にごゆるりと楽しんでいただきたい。  
 

主な展示スペース(奥は祭りコーナー)

↓展示室のソファー

Wa☆Daフォトギャラリーが閲覧できる専用パソコン↓

主な展示スペース

拡大写真(1600x1200)203KB

 
   展示室のソファーにはA4写真集と写真俳句集を兼ねた小型アルバムを用意しているので、是非ご覧頂きたい。また、写真展専用のパソコンからWa☆Daフォトギャラリーにアクセスできるので、ご自由に使用願いたい。  
 

00 富士山によく似たマウント・ナウルホエ/全紙サイズ

00 富士山によく似たマウント・ナウルホエ/全紙サイズ

 
   
 展示20点のうち、「00 マウント・ナウルホエ」「13 歌舞伎座の神輿」「14 青梅大祭四町競演」「16 七日堂裸詣り」の4点が全紙(457x560mm 1対1.225 5,397x6,612ドット)で、その他はすべてA3(297x420mm 1対1.41 3,507x4,946ドット)である。300dpi(ドット・パー・インチ)(1インチ25.4mmあたり300ドット)でプリントするため、オリジナル画像を拡大する必要があり、そのドットの調整はフォトショップV6で行った。フォトショップは、ドット増加分を案分比例して画像を滑らかに調整してくれるので、重宝する。
 
 

04 中世の宝石箱「ローテンブルク」/A3サイズ

04 中世の宝石箱「ローテンブルク」/A3サイズ

 
   全紙サイズは、圧巻で、素晴らしい出来栄えである。既に中判カメラの領域に踏み込んでいる感じがする。これは、デジタルカメラになってレンズの解像力が上がっていることと、鮮明なデジタル記録が可能となったことが大きいと思われる。

 全紙大にプリントするにはRAW(ロー)撮影が必須だとする固定概念がある。筆者はこれまで全てJPG1/8圧縮(工場出荷状態)で撮影してきたが、フォトショップと併用することにより全く問題ないことが分かった。(慎重を期したい方には、JPG
1/4圧縮をお勧めする。)原画をパソコンで編集する際は、BMPファイルに変換すれば良く、その後は何度修正しようと画像の品質が損なわれることはない。これからもこの和田方式を維持し、大量撮影のメリットを生かした激写で名作を切り取って行きたい。
 
 

13 歌舞伎座の神輿(鐵砲洲大祭)/全紙サイズ

13 歌舞伎座の神輿(鐵砲洲大祭)/全紙サイズ

 
   
 ニコンやキャノンなどフィルムカメラの規格をデジタルカメラに流用しているメーカーは、フィルムカメラのレンズを流用できることが利点だとしていた。しかし、これは写るだけのことであって、大きく伸ばすと、周辺部の光量不足が目立ち、ぼやけも気になって実用には適しない。そのため、デジタル専用設計のレンズを発売しているのである。

 しかし、フィルムカメラと同じ規格のため、600mmの超望遠ズームレンズだと1.2〜1.4kgの重さとなり、価格も23〜26万円と高い。これがオリンパスだと 615g、5万円(ED 70-300mm F4.0-5.6)で手に入るので、フォーサーズのデジタル専用設計が如何に有り難いか、リュックサックの軽さと値段の安さで体感できる。
 
 

16 七日堂裸詣り/全紙サイズ

16 七日堂裸詣り/全紙サイズ

 
   
 ソファーで休みながらご覧頂く小型アルバムは、縦 x 横 152mm x 152mm のリング製本アルバムで、21点の写真全てに和田北舟の俳句を添えた写真俳句集となっている。写真俳句は2001年6月から私が日本で初めて始めた新しい表現形式で、今回小型アルバムにしてみたので、是非手にとってご覧頂きたい。近年、internetで写真俳句が目につくようになったが、俳句の全てに英訳を付しているのは私だけである。 俳句「海の風景」
 
 

写真俳句集となった小型アルバム

写真俳句集となった小型アルバム

 
   
 12月5日(金)〜11日(木)の1週間、大阪市西区阿波座のオリンパスプラザ大阪「オープンフォトスペース」でも同様の写真展を開く予定であり、お近くの方は、是非足を運んで頂ければ幸甚である。 オリンパスプラザ大阪
 

 

■■■ 157 累計800万アクセス達成! ■■■ 

  2008年9月19日(金) 平成20年(2008)9月19日21:31:35、トップページの累計アクセスカウンターが8,000,000件を超えた。2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万〜200万件まで1年7ヵ月、200万〜300万件まで3ヵ月半(107日 9,346件/1日)、300万〜400万件まで4ヵ月(118日 8,475件/1日)、400万〜500万件まで4ヵ月(121日 8,265件/1日)、500万〜600万件まで2.5月(74日 13,512件/1日)、600万〜700万件まで3.3月(103日 9,708件/1日)、そして今回の700万〜800万件まで3.3ヵ月(101日 9,901件/1日)という記録だった。
 

800万アクセスをクリアーしたときのトップページ

800万アクセスをクリアーしたときのトップページ

   今年(2008)2月28日に600万アクセスを記録してからはペースがほぼ一定となり200万アクセスに204日かかった。700万件から800万件までの状況は8月の夏休みに1日8000件ほどにペースダウンしたが新学期が始まり連日1万件以上のアクセスとなって遅れを取り返したものの100万件100日に1日オーバーの100万件101日という結果となったのが惜しまれる。
   今後1日1万件のペースをキープできれば、12月28日にアクセス900万件を達成できる。そして200万件200日を確保できれば、来年(2009)4月7日には夢に見た1,000万件アクセスを達成できる。
 ともあれ、800万アクセスを超えたことは、多くのリピーターの皆さんや感動写真集に作品をお寄せ下さった同志の方々のお陰であり、心から感謝申し上げたい。これからも更にコンテンツを充実させ、日本一のフォトギャラリーとして、多くの皆様方のご期待に添えるよう、たゆまぬ研鑽を続けて行きたい。

 

■■■ 156 11月に「Wa☆Daフォトギャラリー写真展」開催予定! ■■■

 
  2008年9月2日 このたび、筆者が愛用しているデジタル一眼レフカメラを製造販売するオリンパスイメージング(株)のご厚意により、平成20年(2008)11月10日(月)〜22日(土)の午前10時から午後6時まで(日曜休館)東京都千代田区神田小川町の「オリンパスプラザ東京」ショールームで、「Wa☆Daフォトギャラリー写真展」を開催することになった。  
 この写真展は神戸に単身赴任していた6年ほど前からお世話になっている同社営業本部の若松誠一さんのお骨折りにより実現したもので入口の正面奥の展示スペースを使って全紙数枚とA3サイズ併せて20枚ほどを展示することにしている。また、internetに接続しているパソコン1台が常備されているので、期間中はWa☆Daフォトギャラリーがリアルタイムで閲覧できるようになる。 オリンパスプラザ東京
 
会場の「オリンパスプラザ東京」ショールーム(千代田区神田小川町)

会場の「オリンパスプラザ東京」ショールーム(千代田区神田小川町)

拡大写真(1600x1200)414KB

 
   写真展には、私が使用しているE-3やE-510も展示され、オリンパス機のPRに一役買うことになるが、初めて写真展を開く機会を与えて頂いた恩恵ははかりしれない。期間中、取材はできなくなるので、週末を中心に出来る限り展示ルームに立ち、来客の接遇に当たりたいと思っている。  
 オリンパスは、デジタル専用設計を一から始め、フォーサーズという規格を創造し、小型軽量高性能を目指す革新的な社風が素晴らしく、フィルムカメラの発想の域を出ない他社にない魅力がある。これからもオリンパス機を愛用してゆくことにしている筆者としては、オリンパス機の良さをアピールし、旅と写真を志される多くの方々にお勧めしたい。
 
入口を入って正面奥のスペースに展示

入口を入って正面奥のスペースに展示

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   一日1万アクセスを頂くWa☆Daフォトギャラリーのリピーターからすれば、写真展をやる必要があるのかと思われる一方で、これまでどうして写真展を開かないのかと励ましてくれる読者もおられる。筆者としては、写真展を開くことで、パソコンで見る世界とどう違うのかということが体験でき、これからの作品創りに大いに役立つものだと考えている。  
 

主な展示スペース

 

Wa☆Daフォトギャラリーが閲覧できるパソコン↓

主な展示スペース

拡大写真(1600x1200)203KB

 
   何より、30人の同志と共に歩んできたWa☆Daフォトギャラリーがオリンパスから高い評価を得て写真展を開催するに至ったことは、大変光栄なことであり、また、来年春の1千万アクセス達成(予定)と相まって、大きく飛躍する節目になるものと思われる。  
 オリンパスプラザでの展示ということで、オリンパス機でない仲間の写真の展示ができないことが心残りであるが、その点はご了解頂きたい。年内には、オリンパスプラザ大阪でも同様の写真展を開く予定であり、お近くの方は、是非足を運んで頂ければ幸甚である。

 

■■■ 155 2008年鐵砲洲大祭の記録 ■■■ 

 
  2008年8月2日 先日、鐵砲洲稲荷神社弥生会の石川辰夫幹事長からDVDと機関誌いやおひ第31号が送られてきた。DVDは弥生会が作成した今年の鉄砲稲荷神社例大祭のビデオ記録で、2000円で頒布される。このケースのカバー写真に私の写真が使われており、「撮影 和田義男」とクレジットが入っていた。御本社神輿が歌舞伎座の前を渡御するところを対面のビルの4階から撮影したものである。クレジットは大きな文字なので、DVDの撮影者だと思われそうだが、祭りのビデオ撮影は委託業者が行ったものである。  
 
平成20年の鐵砲洲大祭のDVD(ビデオ記録)

平成20年の鐵砲洲大祭のDVD(ビデオ記録)

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   いやおひ第31号は、今年の鐵砲洲稲荷神社例大祭の写真特集で、A4サイズ6頁カラーグラビア印刷の豪華なもの。そのトップページにも私の写真が使われており、「(撮影:和田義男)」とクレジットが表示されていた。この撮影はオリンパスE-3のライブビューで撮影したもので、脚立を使えない場所にもかかわらず、高い位置から深みのある画像を切り取っており、御本社神輿の宮出しシーンとしてはこれ以上望めないアングルである。  
 
「いやおひ」第31号のトップページ

「いやおひ」第31号のトップページ

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   2〜4頁は弥生会広報部が撮影した写真集で、なかなかの出来栄えである。見とれていると、5頁目にWa☆Daフォトギャラリーから抜粋した写真が掲載されていた。その最後に筆者が撮影しているシーンが収録されており、「いやおひ」の読者に私を紹介していただいたものと思われ、広報部の細やかなご配慮に深謝申し上げたい。  
 

Wa☆Daフォトギャラリーの写真集と随筆「江戸っ子!鐵砲洲大祭」

「いやおひ」第31号のトップページ

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   最後の6頁には「江戸っ子!鐵砲洲大祭」と題する随筆が掲載され、「弥生会会友・デジタル写真家 和田義男」と表示されていた。この文章は、過日、弥生会の星広報副部長から依頼を受けて執筆したもので、読み返してみると、私の感じた具体的な心情を簡明直裁に記載しており、良く書けていると自画自賛してしまった。(^^; 鐵砲洲稲荷神社の皆さんとのつきあいは2005年の正月以来4年ほどになるが、ここまで親密な間柄になるとは思ってもおらず、感無量の思いである。  

 

■■■ 154 累計700万アクセス達成! ■■■ 

  2008年6月11日(水) 平成20年(2008)6月10日21:40、トップページの累計アクセスカウンターが7,000,000件を超えた。
2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万〜200万件まで1年7ヵ月、200万〜300万件まで3ヵ月半(107日 9,346件/1日)、300万〜400万件まで4ヵ月(118日 8,475件/1日)、400万〜500万件まで4ヵ月(121日 8,265件/1日)、500万〜600万件まで2.5月(74日 13,512件/1日)、そして今回の600万〜700万件まで3.3ヵ月(103日 9,708件/1日)という記録だった。
 

700万アクセスをクリアーしたときのトップページ

700万アクセスをクリアーしたときのトップページ

画像:S. K. さん

   500万〜600万件まで2.5月(74日 13,512件/1日)で達成したのは黒石寺蘇民祭騒動でアクセスが集中したことが原因で、その後沈静化し、今回、9,708件/1日のペースで100万アクセスを得た。今後、このペースは変わらず、一日1万アクセス前後で推移するものと予想されるので、1000万アクセスは来年の4月頃になりそうである。

 

■■■ 153 安くなったコンパクト・フラッシュ(CF ■■■ 

 

8GBコンパクト・フラッシュ

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2008年6月11日(水) 2007年7月3日、E-510の発売にあわせ、4ギガのコンパクトフラッシュ(CF) SanDisk Extreme III 4.0GB をアマゾンに出店している会社から13,300円(税・送料込)で購入した。
 1年半前に同製品の2ギガ版を25,567円(税・送料込)で購入したことを考えると、単純計算しても1/4の値段であった。
SanDisk Extreme III 4G
 この永久補償のCFは、プロの写真家による厳しい環境下での撮影に要求されるスピード、パフォーマンス、信頼性を備える究極のメモリーカードで、革新的なEPS ( Enhanced Super-Parallel Processing ) 技術を搭載し、読み書き速度20MB/sec以上を達成しているという。

 先日、ドイツ旅行に備えて、容量8GBのコンパクトフラッシュSanDisk Extreme III 8GB を2枚購入した。価格.COMで調査し、最安値だったark オンラインショップから 24,069円(送料467円 代引手数料550円 消費税1,146円込み)で購入した。1枚約12,000円という安さだ。1年前に買ったときの1/2、2年半前の1/8の値段である。
 しかも同じExtreme III ではあるが、読み書き速度は30MB/secを達成しており、それがカードに明記されている。8ギガだと3,246枚撮影できるので、2枚で6,500枚、4ギガ800枚、2ギガ400枚x2=800枚、合計8,100枚撮影できる。このほか、512MB2枚と128MB10枚をあわせると、合計27GB約9,000枚撮影することができるので、今回はソニーの40GBフォトストレージ HDPS-M10 を持参しないことにした。
 また、愛機オリンパスE-3とE-510による高感度手振れ防止撮影で、夜間でも三脚は不要となり、いつもズッシリと重かったリュックサックの重量がかなり軽減された。フィルム換算24mm〜600mmをカバーする二刀流でどこまで迫れるか、明日の出発に期待はふくらむ。科学技術の急速な進歩に改めて感動する今日この頃である。

 

■■■ 152 パソコン内蔵ハードディスクの危機! ■■■ 

 

Endeavor Pro-1000

2008年6月2日(月) 現在我が家の居間で稼働中のパソコンは、平成16年(2002)5月1日に購入したEPSON DIRECT のフラッグシップ・モデル Endeavor Pro-1000 で、その年の日経パソコン4/29号でパソコン性能ランキング・デスクトップ編第1位を獲得した最速のWindowsXpマシンである。
 以来、はや6年が経過したが、その間、光ケーブルが引かれてinternetを中心とするIT環境が整備され、毎日1万件前後のアクセスを頂いているWa☆Daフォトギャラリーは、このパソコンをホームグラウンドとしている。ハードも格段の進歩を遂げ、メモリーやハードディスク、DVDなど、高性能化が進み、値段も安くなり、誰でも手軽にIT文化を享受できる世の中になった。
 6年の間にOSもWindowsVistaが投入されるなど、高性能化が著しいが、それに伴うCPUなどのハード器機の高スペック化も進んだが、体感的には6年前のXpパソコンの快適さは変わらず、買い換えたいと思ったことがない。ウィルス対策やサービスパック2の導入などで、ソフト的には遜色が無く、これからも壊れない限り使い続けて行きたいと思っている。
 

★彡

   しかし、先週末は、内蔵120ギガのハードディスクに悪夢のトラブルが発生し、パソコンが起動できないという事態に至ってしまった。ことの発端は、20ギガの領域を割り当てているCドライブの残容量が少ないという警告が頻繁に出るために、ハードディスクを買えばおまけに付いてくるパーティション変更ツールで、Cドライブの容量を残り100ギガを割り当てているDドライブから5ギガを移動し、25ギガにするようにしたのである。CとDにあるシステムやデータは、別のハードディスクにバックアップしているので、万一失敗しても大丈夫だとたかをくくっていたのが悲劇の始まりだった!
   パーティション変更ツールを実行し、パソコンを再起動しようとしたところ、バイオス(パソコン本体のラムにあるプログラム)が起動したあと、「・」が点滅するだけで、Windowsが起動しなくなってしまったのである。そのソフト会社は土日は勤務しておらず、サポート電話をかけられない。仕方なく、ビックカメラ立川店に行き、同じ容量のバッファロー製の120ギガ・ウルトラATA内蔵ハードディスクを1万円(6年前は4万円!)で購入した。(私のパソコンは規格が古く、最大120ギガのハードディスクしかつけられない。)
   早速、ジャンパーピンをマスターに設定して新しいハードディスクを古いものと交換し、パソコンに付いているリカバリーCDを立ち上げて、Windowsのインストール作業を始めた。Windowsがインストールでき次第、フロッピーからバックアップソフトを起動し、丸ごとリストアすれば、約1時間くらいで完璧に以前の環境を構築することが出来る・・・とばかり思っていた。
   ところが、パーティションをC:25ギガ、D:95ギガに設定したまでは良かったが、Cをフォーマットすることができないというトラブルに見舞われた。「このドライブはWindowsに対応していません」というメッセージが出て、そこから先に進むことが出来ないのである。対応ドライブであることを確認して購入したので、そんなはずはないと思い、何度か繰り返してみたが、まったく同じところで行き止まりになってしまった。オーマイゴッド!
 

★☆彡

   そこで、ハードディスク・メーカーのバッファローに電話をかけたが、週末で、何度かけても話し中のツーツーという音しか聞こえず、全くつながらない。「大事な土日にサポート電話が混雑でつながらないような会社はダメだな」といらだちが増してくる。そこで、パソコン・メーカーのエプソン・ダイレクトのサポート電話にかけると、自動音声での応対があり、パソコン・サポートの3をプッシュすると、いくらか待たされたが、間もなくつながり、懇切丁寧な対応を受けた。
   しかし、フォーマットができないというトラブルを解決するアドバイスは得られなかったので、ハードディスクの初期不良に違いないと思い込み、ピック立川店に電話した。ここは何度も電話したが、直ぐにつながり、内蔵ハードディスク担当のフロアにつなげてくれる。これがビックの魅力の一つに違いない。
   店員に事情を説明すると、在庫を確認し、交換に応じるというので、青梅から立川まで往復し、新しいバッファローのハードディスクに交換してもらい、再度、パソコンに取り付けてWindowsのインストール作業を再開した。ところが、同じところで、同じような表示が出て、フォーマットできないという事態は変わらなかった。つまり、前のドライブも正常だったということが判明したのである。
   万策尽きたので、バッファローに電話したところ、やっとつながったので、事情を説明したところ、私のパソコンの型式を聞かれ、間もなく、「このドライブはおたくのパソコンに適合しているかどうかを確認していないので、不適合機種の可能性が高い」という返事だった。つまり、ハードディスクの規格が同じでも、パソコンの機種によっては作動しないことがあるというのである。「そんなことは箱のどこにも書いていないぞ!」と切れかかったが、すでに体力を消耗しており、怒る気力も失せていた。(^^;
 

★☆★彡

   電話を切り、ビックカメラ立川店に電話して担当の店員にその旨を告げた。小売店は、販売するときに適合機種のパソコンかどうか確認する注意義務があるはずで、彼はそれに気づかなかったことを反省したに違いない。私のトラブルで彼が学習したことは確実である。私は店員に私のパソコンの機種を告げ、適合するハードディスクを探してもらうように依頼し、返事を待った。彼は責任を感じたらしく、間もなく返事が届いたが、それによるとアイ・オー・データ機にもなく、ベアドライブはなおさら危ないという。結局新しいドライブを調達できないことが分かり、彼は返品に応じてくれた。
   この時点で、私はかなり深刻な事態に直面していることに気付いた。バックアップがあるので安心していたのだが、新しいハードディスクが入手できない以上、バックアップすることができず、バックアップを取っていなかったことと同じ事態になっているのである。冷静になり、次の対応策を検討したところ、読者お気付きの通り、残された手段は、起動しなくなったハードディスクを正常に戻すことしかない。これが不可能であれば、新しいパソコンを購入するしかなく、現在のシステム環境を構築するとなれば、1週間はかかってしまうことだろう。それを思うと憂鬱になってしまった。
 

★☆★☆彡

   しかし、パーティション変更ソフトのメーカーは月曜日まで連絡できないし、月曜日になってもオフィスからではどうしようもない。そこで、パソコン・メーカーのエプソン・ダイレクトに電話し、立ち上がらなくなったハードディスクの現状復帰ができるかどうか相談した。
   すると、30分以上もかかったが、電話の子機でやりとりしながら、画面の表示にあわせてオペレーターの親切で適切な指示に従って復旧作業を進めたところ、見事に現状復帰に成功したのである! 失われたのは、私の週末の時間と体力だけで、パソコン環境やデータを完璧に取り戻すことが出来た喜びは大きかった。
   その作業を説明すると、バイオスの立ち上げ時にF-8キーを押してセーフモードでWindowsXpを立ち上げ、アクセサリーのフォルダーにある「環境の修復」ツールを実行する。カレンダーが現れ、どの日時の環境に戻すかを聞かれるので、バーティション変更・ソフトを使った日の前日に指定すると、しばらくして自動的に再起動され、無事、WindowsXpの高精細画面が現れた。セーフモードが起動しないとなると、事態は更に深刻だったが、上手くセーフモードで環境の修復ができたのは、ドライブ自体は正常だったことが幸いしたようである。遭難者が海上保安官に救助された心境はこのようなものだろうなと思いつつ、これからもエプソン・ダイレクトのパソコンを購入していこうと思った次第である。
   最後に、容量不足の件は、使わないソフトやデータなどを圧縮するウィザードが現れたので、それを実行すると、1時間ほどかかって、残容量0.3ギガ(300メガ)が5ギガとなり、余裕のスペースが生まれて無事解決することができた。めでたしめでたし・・・ (^^;

 
■■■ 151 随筆 「江戸っ子!鐵砲洲大祭」 ■■■
 
  2008年6月2日(月) 先日、鐵砲洲稲荷神社報道副部長の星宏幸さんから、神社広報誌「いやおひ」への投稿依頼があった
ので、5月19日にアップした「 江戸っ子!鐵砲洲大祭 」と同じ題名で随筆を書いた。
 

★☆★彡

江戸っ子!鐵砲洲大祭

 5月19日(月)今年第17作(通算第348作)の作品「江戸っ子!鐵砲洲大祭」をWa☆Daフォトギャラリー wadaphoto.jp に発表
した。この作品は、弥生会のお世話で神社近くのホテルに2泊して鐵砲洲稲荷神社例大祭(鐵砲洲大祭)を密着取材したもの
で、9頁150枚の大作となった。発表後1週間で3000件を超えるアクセスがあり、好評を博している。
   今年の鐵砲洲は、6年ぶりに絢爛豪華な御本社神輿が17ヵ町を渡御する素晴らしい神輿祭りだった。ヘトヘトになりながら神
輿と共に全町内を廻ったが、それぞれに風情があり、楽しみながら土地勘を身につけることができた。
 
   江戸っ子の下町文化が躍動する東京の夏祭りは、鐵砲洲から始まるが、何といっても歌舞伎座前の神輿練りが圧巻で、その
感動を対面のビルからたっぷりと切り取ることができた。今回、弥生会の石川幹事長や報道部の星副部長から色々とご尽力を
賜り、3ヵ所の建物から渡御の全景を撮影することができ、フィナーレの御本社神輿の宮入りなどスケール感溢れる感動シーン
を多数切り取ることができた。お世話になった多くの方々には心よりお礼申し上げたい。
 
 

【編集子が選ぶ名作】

宮元神輿に見送られながら宮入する御本社神輿

宮元神輿に見送らて宮入する御本社神輿

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   神輿の掛け声といえば「ワッショイ」のはずだが、近年の江戸神輿は殆どが「セイヤ」「ソイヤ」などに変質している。唯一その
伝統が残っているのは富岡八幡宮の深川祭である。鐵砲洲では、先代の故・中川正光名誉宮司のご遺志を継いで、神輿が次
の町会に引き継がれる毎に、掛け声は「ワッショイ」(和し背負へ)だと指示していたのが印象的だった。しかし、初めのうちは
「ワッショイ」だが、いつの間にか「セイヤ」になったりした。都会の空洞化に伴い、地元の氏子が減り、外来の睦会に頼らざるを
得ないためにそうなってしまうのだろう。弥生会のご苦労が偲ばれるが、「ワッショイ神輿は深川と鐵砲洲」といわれるようになっ
て欲しい。
 
 
宮元の神輿差し/歌舞伎座

宮元の神輿差し/歌舞伎座

拡大写真(2000x1500)636KB
 
   石川さんによると、鐵砲洲の衣装は半纏と半股引(ハンダコ)が原則だが、褌も認めているという。そのため、睦会を中心に六
尺をキリリと締めたこだわりの褌派を多数撮影できた。ハンダコは江戸時代には存在しないので、祭り衣装が変質していること
は間違いない。筆者としては、粋で鯔背な江戸っ子の祭であれば、博多っ子の博多山笠のように、祭りには褌を締めて江戸っ
子の心意気を示して欲しい。
 
   神田っ子の水森亜土さんのコメント(東京人 2003年6月号52頁):お祭りは専ら行列を追いかけるだけだけど、実は・・・、お神
輿を担ぐ人のふんどしを締めたお尻が美しい!中学生の頃からなんてセクシーなんだろうと思ってた、キャハハ。ませてたのか
な。お祭りが盛り上がって熱気が最高潮に達すると、お尻もピンクになるのね。あっ、言っちゃった!
 
 

こだわりの褌派

こだわりの褌派 1 こだわりの褌派 2

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撮影:小林豊一

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こだわりの褌派 3 こだわりの褌派 4

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こだわりの褌派 5 こだわりの褌派 6

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こだわりの褌派 7 こだわりの褌派 8

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銀座二丁目東の神輿で遊ぶ子供たち 2005.5.4

銀座二丁目の神輿東で遊ぶ子供たち 1 銀座二丁目東の神輿で遊ぶ子供たち 2

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   今年の鐵砲洲大祭では初めて「新富座こども歌舞伎」が奉納された。長いセリフに詰まる場面もあったが、無事に公演が終わ
り、関係者はホッとしたことだろう。公募で選ばれた全くの素人集団が、短い練習期間にもかかわらず、これだけの演技ができ
るとは驚きだが、今後、歌舞伎座前の神輿練りと共に「こども歌舞伎」が「歌舞伎の鐵砲洲」として祭りの目玉になることだろう。
鐵砲洲のこれからが楽しみである。〈 完 〉
 
 
金子きんす 入れから百両が出てきて驚くお 嬢吉三じょう きちさ /木村安寿(中央小学校3年)

金子入れから百両が出てきて驚くお嬢吉三/木村安寿(中央小学校3年)

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■■■ 150 「いやおひ第30号」に「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」掲載! ■■■
 
  2008年4月5日(土) 本日、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の石川辰夫・弥生会幹事長から平成20年4
月1日発行の
広報誌「いやおひ第30号」が送られてきた。その第4面に「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」が掲載されていた。去
る2月24日に弥生会から原稿の依頼があったもので、「デジタル写真家 弥生会会友 和田義男」と紹介されていた。
 
   同誌には、1年前に「還暦記念の赤褌水浴」という随筆を寄稿し、2008年の第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会に還暦記念
の赤褌水浴をすることを予告しており、一年後に実現したものである。大変厳しい寒中水浴だったが、何とか無事にやり遂げる
ことができ、その辺の顛末を完結編として書かせて頂いたものである。
 
   この完結編の結語として、今後も寒中水浴を継続することを予告した。気力体力が続く限り、来年以降の新年は、鐵砲洲稲荷
神社に詣で、真新しい白褌(びゃっこん)を締めて神前での寒中水浴からスタートする覚悟である。
 
 

「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」が掲載された「いやおひ30号」 2008.4.1

「還暦記念の赤褌水浴(完結編)」が掲載された「いやおひ30号」 2008.4.1

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還暦記念 赤褌あかふん 水浴(完結編)
 
   弥生会の石川幹事長の爽やかな弁舌に乗せられ、平成19年4月1日発行の「いやおひ第26号」に「還暦記念の赤褌水浴」と題
して、寒中水浴を決意した駄文を掲載して頂いたが、このたび、無謀にも褌一丁になり、8年目にしてはじめて撮る側から撮ら
れる側に身を置いた。参拝客の視線を一身に感じたが、裸になっても恥ずかしさを感じなかったのは、喜ぶべきか、悲しむべき
か分からないが、還暦という人生を一回りしてしまった年のせいなのは間違いない。

 第53回寒中水浴大会の公式水浴の後、中川宮司のご高配により、今年満60歳の厄年を迎えた平野五雄さんと三木芳樹さん
と共に白褌を赤褌に締め替えて還暦記念水浴を行った。二度目の水浴は初回にも増して辛かったが、介添役の長谷川昇司・
石川辰夫両氏始め約20人が一緒に水浴して還暦を祝って頂いたおかげで、何とか無事に成就することができた。

 褌は着物と同じで、痩せた人だと貧相に見えるが、少し肥満気味なのが幸いして、初心者にも係わらず、サマになった禊がで
きたものと居直っている。しかし、ベテランは寒いのをおくびにも出さず、泰然自若として寒中水浴を楽しんでいるふうだったが、
初心者の私にはその余裕が無く、星さんに写して頂いた写真を見ると、いかにも辛そうで情けない表情である。次回はこの経験
を生かして、長谷川さんのように笑顔で水浴といきたいものである。
 
 水槽を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかったが、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは
和らいだ。入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温(ぬる)めのシャワーを交代で使いながら身体を慣らし
て最後に湯に浸かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。

 しかし、事後は全身に渇が入ったように爽快で活力が湧き、体調が頗る良く、今年は一度も風邪を引かずに元気で冬を乗り
切ることができた。年に一度くらいは死ぬ思い?をするのも悪くないと思うので、これかも毎年挑戦してみたいと思っている。来
年は、是非、青柳会長とご一緒したいので、どうか宜しくお願いします。(完)
 
 

赤褌寒中水浴

赤褌寒中水浴

 
 

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

 
 

 
 

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」 2007.4.1

「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ26号」 2007.4.1

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還暦記念 赤褌あかふん 水浴 
 
   今年も晴天に恵まれ、木漏れ日の下で、江戸下町に残る半世紀以上も続く寒禊(かんみそぎ)の一部始終を激写し、Wa☆Da
フォトギャラリーに「鐵砲洲寒中水浴'07」として、発表することができ、さい先の良いスタートを切ることができた。

 何よりも嬉しかったことは、私のような部外者を仲間として受け入れて頂いたことである。弥生会の直会のあと、浦安の三木さ
んと浅草の志村さんとともに石川邸の二次会に招かれ、美しいお母様の手料理と愛犬バロンのスキンシップのもてなしを受け
た。

 また、戦後、鐵砲洲稲荷神社が再建されたときの貴重なビデオテープを拝見しながら青柳会長ら幹部の皆さんと歓談させてい
ただき、楽しいひとときを過ごさせていただいた。誰彼の区別なく受け入れてくれる包容力は、さすが気っ風の良さで知られる江
戸っ子だと思った。

 再三にわたり、石川幹事長や三木さんから寒中水浴を誘われてきたが、撮影を理由に断ってきた。しかし、今年三月六日に
還暦を迎えるので、人生の大きな区切りを記念する意味で、来年の寒中水浴大会には同い年の三木さんとともに赤褌で参加す
ることにした。青柳会長ともご一緒できれば幸甚である。

 私は「ふんどし談義」という作品を通じて、日本男児のアイデンティティ(日本人らしさ)は、裸褌(はだかふんどし)文化にあるこ
とを繰り返し述べてきたが、一年先とはいえ、公衆の面前で身をもってその姿を披露するとは思ってもみなかった。

 しかし、江戸っ子の開かれた文化の中に溶け込むことができた今、私もどっぷりと浸かってみたいと思った。インターネットで
いえば、ROM(ロム Read Only Memory :読むだけのメモリー→読むだけの人、傍観者)からRAM(ラム Random Access 
Memory :読み書きできるメモリー→参加型の人)に変わろうとしている。

 趣味で始めたホームページを通じて人の輪が広がり、その影響を受けて変革してゆく自分がいる。これもインターネット文化
のお陰で、団塊の世代の一つの生き方であるかも知れない。来年を愉しみに、今から身体を鍛えておこう。
 

 

■■■ 149 グーグルが宣伝してくれる「Wa☆Daフォトギャラリー」 ■■■ 

2008年3月6日(木) 2008年1月8日(火)の夕方、岩手県奥州市作成の黒石寺(こくせきじ)蘇民祭(そみんさい)のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否したことから始まった蘇民祭フィーバーの影響でアクセスが集中し、度々麻痺したWa☆Daフォトギャラリーは、2月20日に至ってやっと正常に復帰した。
 この騒動でWa☆Daフォトギャラリーの認知度が高まり、以後、当サイトへのアクセスは、これまでの二倍に当たる一日13,000〜16,000件ほどに増加したが、3月に入ってからも毎日1万件を超えるアクセスが続いている。これは、 Google (グーグル)など無料の検索エンジンに負うところが大きい。
 

★☆★彡

   本日、筆者の満61歳の誕生日を迎えた機会に、久しぶりに Google (グーグル)で「フォトギャラリー」を検索したところ、
Wa☆Daフォトギャラリーは、832万件中オリンパスフォトギャラリーに次いで二番目に表示された。昨年(2007)10月に検索
したときには、450万件中トップに表示されていたが、今回、倍近いヒット数となった中で、堂々の第2位はとても嬉しい。個
人のサイトとしてはトップであることは云うまでもない。また、当時オリンパスフォトギャラリーは第3位だったので、我が愛
機E-3のメーカーがトップになっているのはとても嬉しい。(写真下)
 
Googleで「フォトギャラリー」を検索すると832万件中第2位に表示! 2008.3.6

Googleで「フォトギャラリー」を検索すると832万件中第2位に表示!

   ちなみに、Google (グーグル)で「旅の写真館」を検索してみると、22,600件中トップに表示された。Google では更なる改
良が施されており、トップページの下には「旅紀行日本の裸祭り」などWa☆Daフォトギャラリーのポピュラーサイトが並んで
いる。(写真下)
 
Googleで「旅の写真館」を検索すると22,600件中トップに表示!

Googleで「旅の写真館」を検索すると22,600件中トップに表示!

   また、Wa☆DaフォトギャラリーのURLである wadaphoto.jp からの検索結果を参照することができるようになっており、ク
リックすると、94件のページが検索されていた。まさに、至れり尽くせりのPRである。(写真下)
 
wadaphoto.jpでの「旅の写真館」の検索結果94件が網羅

wadaphoto.jpでの「旅の写真館」の検索結果94件が網羅

   internet の普及を加速させたひとつに検索エンジンの進歩がある。最近は画像検索も進歩しており、必要な画像がサム
ネイルで表示される。Google (グーグル)で「寒中水浴大会」を検索してみると、151件が表示された。最初のページは全て
Wa☆Daフォトギャラリーの画像である。(写真下)
 
「寒中水浴大会」を画像検索した結果151件が表示

「寒中水浴大会」を画像検索した結果151件が表示

   このようにして、特定の画像を必要としている出版社やテレビ局、教育機関、旅行代理店などから画像使用を希望するメ
ールが送られてくる。当サイトでは商用使用についてのみ有料としており、頂いた浄財はサイトの管理費や取材費の補助
として活用させて頂いている。
    Google Yahoo! などの検索エンジンは、ホームページを無料で宣伝してくれる有り難い存在であり、一旦有名サイト
になれば、上位に表示されて更に知名度が上がるという好循環が生まれる。反面、知名度が低いサイトは表示が下位の
ページになってしまうため、人目に触れる機会が殆どないので、格差が広がる一方である。internetは、格差社会でもある
ことを実感する。

 

■■■ 148 累計600万アクセス達成! ■■■ 

  2008年2月29日(金) 平成20年(2008)2月28日23:30頃、トップページの累計アクセスカウンターが6,000,000件を超えた。
2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万〜200万件まで1年7ヵ月、200万〜300万件まで3ヵ月半(107日 9,346件/1日)、300万〜400万件まで4ヵ月(118日 8,475件/1日)、400万〜500万件まで4ヵ月(121日 8,265件/1日)、そして今回の500万〜600万件まで2.5月(74日 13,512件/1日)という記録で、100万アクセス過去最速の107日を33日も短縮する新記録となった。
 

600万アクセスをクリアーした翌日のトップページ

600万アクセスをクリアーした翌日のトップページ

   原因は明らかなように、1月8日の夕方から始まった蘇民祭セクハラ・ポスター騒動に端を発する蘇民祭フィーバーである。「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm と「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/matu
ri/somin1.htm が「2ちゃんねる」にリンクされたためにアクセスが集中し、たびたびWa☆Daフォトギャラリーが麻痺するという被害を受けたが、結果的には、Wa☆Daフォトギャラリーの知名度が高まり、蘇民祭が終わった後も1日10,000〜15,000件のアクセスが続いている。
   アクセス件数は徐々に減ってきてはいるが、このまま高止まれば、年間500万アクセスを超え、年内に累計1,000万アクセスが実現できる可能性がある。取らぬ狸の皮算用はこの程度とし、これからも更にコンテンツを充実し、多くの読者の期待に応えるべく、愛機を携えて地道に世界旅を続けて行きたい。乞うご期待!

 

■■■ 147  「蘇民祭セクハラ・ポスター騒動」の結末! ■■■ 

  2008年2月28日(木) 2008年1月8日(火)の夕方、「岩手県奥州市作成の黒石寺(こくせきじ)蘇民祭(そみんさい)のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨のテレビ報道から始まったこの騒動は、新聞や週刊誌などが次々に話題に取り上げて全国報道したことから、黒石寺蘇民祭は、一躍全国に知られることになった。
   この騒ぎで、「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm と「黒石寺蘇民祭」 http://wada
photo.jp/maturi/somin1.htm が「2ちゃんねる」にリンクされたためにアクセスが集中し、3日間ほどWa☆Daフォトギャラリーが麻痺するという被害を受けた。その間の事情は徒然日記 「Wa☆Daフォトギャラリー」アクセス殺到でパンク状態!に詳しい。
 

2008.1.9 20:50のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 15:30のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 20:50のカウント状況/黒石寺蘇民祭

2008.1.9 15:30のカウント状況/黒石寺蘇民祭
   その後、岩手県警が蘇民袋争奪戦で、蘇民袋に切れ目を入れる親方が全裸なのは、刑法のわいせつ罪(公然猥褻物陳列罪)に当たるとするコメントを発表し、マスコミが全国的に報道したため、千年に渡って継続され、国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている「黒石寺蘇民祭」が再び注目を浴び、全裸の適否について議論が白熱した。
 

岩手県警が刑法のわいせつ罪に当たるとした全裸の親方(蘇民袋争奪戦)

                       ↓親方 ↓山本さん・長谷川さん

岩手県警が刑法のわいせつ罪に当たるとした全裸の親方(蘇民袋争奪戦)

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   刑法に当たる罪で裁判官が有罪を判決するためには、構成要件該当性、違法性、有責性の全てが認定されなければならず、一つでも欠けると無罪となる。今回の場合、祭りの最中に公衆の面前で全裸になる行為は、公然猥褻物陳列罪に定める構成要件に該当し、正常な人格を有する大人の故意に基づく行為であるので有責性をも具備するが、ボクシングのリング上で相手を殴って怪我をさせたような場合と同様に、正当業務行為や歴史的慣行として違法性阻却事由が存在するので、違法性がないと判断され、無罪となるのは確実だろう。(和田説)
   警察は、蘇民祭の全裸シーンがアダルト・サイトなどに出回り、風紀が紊乱していることを憂慮し、アダルト・サイトを取り締まるよりも全裸を禁止した方が手っ取り早いと判断したのではないかと推測されるが、数年前から全裸による祭礼を止めさせようとしており、昨年(2007)、蘇民祭の最高責任者である黒石寺・藤波洋香(ふじなみ・ようこう)住職が一般参加者の全裸を禁止することを受け入れるという苦渋の決断をした。
   そのため、昨年は警察が初めて蘇民祭の内容に介入し、私有地である黒石寺境内で催行された柴燈木登(ひたきのぼり)で全裸で山内節(やまうちぶし)を歌った「昇ちゃん」こと長谷川昇司さんを境内に設置された警察用のテントに呼び出し、褌を着用するよう指導した。この前代未聞の事件は、伝統の祭りを忠実に伝承してきた祭り関係者や有識者に大きな衝撃を与えた。私は、千年の伝統文化の変質に心を痛めながら、昨年発表した 黒石寺蘇民祭 の最後に「昇ちゃんの蘇民祭」と題する随筆を発表した。(以下に再掲) また、国内のみならず海外の読者からも祭りを変質させないよう励ましのメールをもらった。
 

昇ちゃんの蘇民祭

 私が心配するのは、このおおらかな祭りが、変質してゆくということである。数年前から素裸で参加することを自粛する動きがみられ、今年、素裸で裸参りをした人は、昇ちゃんを含めて僅か二人であった。昇ちゃんは、伝統に従って三巡目で素裸になり、その後柴燈木(ひたき)に上がって素裸で山内節を披露した。

昇ちゃんの熱唱!「山内節」

昇ちゃんの熱唱!「山内節」

画像をクリックすると山内節が聞けます!

 しかし、事後、昇ちゃんは警察から褌を締めるよう注意を受けた。藤波住職が健全な蘇民祭を永続させるために苦渋の決断をしていたことを知った昇ちゃんは、ショックを隠しきれないでいたが、住職の意を酌んで、来年から素裸を止めることにした。そのため、来年の蘇民祭から素裸で参加する人はいなくなり、褌だけの裸祭りになる。
 全裸ということで奇祭といわれ、全国的に知られるようになった黒石寺の蘇民祭は、その弊害として興味本位の参加者が増え、風紀が乱れ、全裸ビデオが流れて、アダルトサイトなどで悪用されるなど、公序良俗に反する弊害が指摘されてきた。藤波住職もこれ以上伝統文化だとして固持できないと判断されたものと思われる。
 記録保存すべき国の無形民俗文化財であるだけに、私ばかりでなく、蘇民祭の伝統を守るために献身してきた山本グループや有識者たちは、日本の祭りのおおらかな原点が失われることの重大性に鑑みれば、どうしても割り切れない気持ちが残ることはいなめない。地元にも賛否両論がある。
 しかし、時代の変遷による価値観の多様化や映像文化の発達などに伴い、伝統文化も時代の要請に合わせて変質してゆかざるを得ない状況にあり、黒石寺住職の決断は、現実的選択と思われる。
 私の予測では、今後、鬼子を背負う人、袋出しをする人、袋に刀を入れる人などの「役持ち」は素裸の伝統を保持し、観衆の面前で裸参り・柴燈木登・蘇民袋争奪戦に参加する者には褌が義務づけられるものと見られる。
 愛知県稲沢市(いなざわし)國府宮はだか祭 では、最後に全裸の神男(しんおとこ)が現れるが、9千人のはだか男は全員褌を着用しており、黒石寺蘇民祭もそのような形になるものと思われる。ともあれ、一般参加者の素裸が無くなったとしても、それ以外の伝統文化は大手を振って存続させることができるわけで、蘇民祭を末代まで健全に伝えてゆけることが約束されたともいえよう。
 そして、昇ちゃんは、蘇民祭千余年の歴史の中で、柴燈木の上で素裸で山内節を唄った最後の男として、永遠に語り継がれてゆくことになる。昇ちゃん、長い間ご苦労さま、そして、おめでとう! これからは、褌を締め直して誰に憚ることなく山内節を唄って欲しい。 ( 2007.3.14 黒石寺蘇民祭 より抜粋 )
   私がこの随筆に書いた 國府宮はだか祭 (こうのみや・はだかまつり)では、最後に厄を一身に背負う全裸の神男(しんおとこ)が数千人の裸男たちの前に現れ、体中を触られながら渦の中心となって参道を移動し、最後に社殿に収容・救出される。手桶隊が肌と肌の接触による火傷を負わないよう渦に水をかけ、神男もあらかじめ全身を剃毛して怪我を防いでいる。
   これがこの祭りのクライマックスなのだが、愛知県警は、この全裸の神事を認めており、神男のそばで事故防止のための雑踏警備に専念している。伝統の神事という違法性阻却事由がある限り、たとえ刑法のわいせつ罪に当たるとして起訴されたとしても、違法性がなく、無罪となるのは明らかだろう。愛知県警もそのように判断しているものと思われる。
 

国府宮(尾張大國霊神社) 第46回写真コンテスト 特選 真野宏平 「クライマックス」

第46回写真コンテスト 特選 真野宏平 「クライマックス」

写真提供:國府宮社務所
 こうのみや ぜんらのかみに やくおとし
 国府宮全裸の神に厄落  北 舟 
 
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター
 
 話を蘇民祭に戻すと、岩手県警が一般参加者のみならず、神聖な祭事を担う親方衆の全裸まで刑法のわいせつ罪に当たると発表したことを受けて、テレビ朝日が2月11日夕刻「蘇民袋を切り裂く親方が全裸なのは問題で、開催が危ぶまれている」旨報道したことから、再び私のサイトはパンク状態に陥った。

平成20年のセクハラ?ポスター

平成20年のセクハラ?ポスター
 私は、警察の見解は蘇民祭を冒涜するものであり、とても許されるものではないと思っていたところ、渡海文部科学大臣が警察の行きすぎた行動に不快感を示し、警察権力の介入を批判する談話が発表された。
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター

拡大写真(990x1400)252KB

   これに対し、警察当局は、これまでのいきさつを十分踏まえたものだと弁解したが、それなら介入することはできないと判断すべきで、警察の不明を渡海大臣によって糾弾された格好となり、大臣のコメントで、伝統の裸文化を維持したいという熱い思いを抱く多くの良識派が溜飲を下げた。
 2月13日夜から始まった今年(2008)の蘇民祭では、47社約170人もの報道関係者をはじめ、例年になく大勢の見学者が押しかけたが、一般参加者の全裸姿は見られず、柴燈木登(ひたきのぼり)では褌を締めた長谷川さんが登場し、山内節を声高らかに披露した。
 クライマックスの蘇民袋争奪戦では、蘇民袋を切り裂く親方は、照明が消されたあと、フラッシュを浴びながら全裸で登場した。警察の出方が注目されたが、渡海文部科学大臣のコメントが効いたのか、警察の介入は一切なく、伝統の行事は全うされた。
 この結果、来年からは警察の介入はないと推測され、藤波住職が推進する伝統の蘇民祭は不滅となった。これからも国の指定を受けたこの無形文化財を変質することなく存続されることを祈念し、微力ながら応援を続けてゆきたいと思う。
 最後に、藤波洋香住職と、補佐役として親方から蘇民袋を切り裂いた小刀を受け取る山本啓一さん(東京都目黒区 70歳)、そして伝説の長谷川昇司さん(東京都八王子市 57歳)のコメントを紹介して、この小論を締めくくりたい。
藤波洋香  様より 

和田様 いつもお世話になっております。サンデージャポンの録画CD、拝見いたしました。明けても暮れてもセクハラだの全裸だのという騒ぎが続き、うんざりしてTVも新聞も週刊誌もほとんど見ておりません。世間にどう思われようと、マスコミがどう伝えようと関係ないのです。とにかく祭りが無事に終わったことを感謝するのみです。

そういう訳で、和田様から頂いたCDは貴重な記録映像ということになります。どうもありがとうございました。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
   妙 見 山 黒 石 寺
住 職 藤 波 洋 香
  〒023-0101岩手県奥州市
   水沢区黒石町字山内17
     TEL0197-26-4168
     FAX0197-26-4303
http://kokusekiji.e-tera.jp/
kokusekiji@e-tera.jp
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 2008.2.21
山本啓一  様より

今晩は 蘇民祭については今更お話する程のこともないですが、千年の歴史ある素朴な祭りに魅力を感じ、今日まで続けてきました、時代と共に多少の変化は仕方ないが 行政が介入すると祭りはつまらなくなりますね、単なる観光のPRに過ぎなくなって・・・

47社もの報道機関が詰めかけ 彼らのためにやった蘇民祭みたいな気さえしました。(蘇民祭と言えば水沢市ですが 奥州市ではピンときません)

私が褌を締め(てやっ)たのは 日テレのザ・サンデーの石橋さんです、祭りデレクターとして頑張りたいので各地の祭りも教えて欲しいと言ってました。日テレ以外 TBSや東スポさんなどからも取材されました。 2008.2.27
長谷川昇司  様より

洋香住職様や地元の皆様に迷惑はかけられないので 褌は着用しますがそれ以外は例年通り粛々と祭に参加をします 警察と喧嘩する気は無いけれども 蘇民袋争奪戦の開始の時に 刃物で袋に切れ目を入れる役の親方まで全裸禁止なのは どう考えても変です 地元民から特別に選ばれた親方は精進潔斎はもちろんですが 当日夜中の3時頃に誰もいない井戸端で全裸で禊ぎをして 本当に神聖な体で蘇民袋に刃物を入れます

何も包み隠さずやましいことの無い体で親方が刃物を入れます それまで規制をされるとは思ってもいないことでした 私と山本先輩がお堂では親方の両脇でサポート出来るのが有りがたく 光栄な事と思っております

私事ですが 柴焚登で山内節を歌うのも地元の保存会が高齢のためか 現場で歌わなくなってから何とか次世代へつなげようと孤軍奮闘してきましたが 数年前に保存会の歌声をテープに取って頂きそれをダビングして 若手にも配り何とか歌えるのが出てきて良かったと思っております

ここからは自分の夢ですけど(笑) ここ数年は現場の大勢の人たちにだけでなく 黒石寺を取り巻く諸々の地霊達に歌声が届けば良いななんて大きな事を考えて歌っています(笑) 2008.2.12


おはようございます 報道陣が自局の為に何か仕入れようとして 取り合いをしていた蘇民祭でした サンデージャポンは見てました 女性コメンテーターが言っていたことも解らなくもないけど 過疎で消滅していった祭も多くありますね 一度途切れると以前と同じ形で復活するのはもの凄く大変なことだから 祭を真摯に受け止め伝承するために 外部の力も必要と思いますけど 人それぞれ違うので難しいことです

20年ぐらい前にも永六輔さんが 祭好きと称する都会の若者が地方の祭に参加をして形が変わって伝わってしまうのは困ったことだとラジオで言ったのを聞き 浮ついた気持ちで参加するのはやめています こんな考えは少数派なのは自分でも痛し痒しです

インタビューのことは日テレといろいろ話しましたが 東京マラソンで全部とばされてしまいました(笑) マスコミのマイクに マスコミばかりが変に煽って嫌だなんて言ったからかな?(笑) 我々余所者でも形を変えずに綺麗に伝承する為の手伝いが出来れば良いと思って毎年来ています 蘇民祭の凄さは現場に来なければ解らないので 仕事でなく来年もぜひ来て下さいと言ったけど(笑) 2008.2.20

(長谷川さんが写っているサンデージャポンの)CDが届きました 貴重なCDをありがとうございます 手間と時間が係るのにいつも丁寧にありがとうございます こういった実績や誠実さで多くの人から信頼を得るのですね 見習うことが多く頭が下がります やまさんKUMAちゃんと会ったときに持参して皆で見ます

文部科学大臣のコメントも夕方のニュースで ほんの少しだけですけど聞きました 蘇民祭の行事は貴重な文化なので伝承をしていきたいです 時代は味方をしてくれますけど これからはどうなっていくのでしょうか これからも焦らずに普段通りに行事に参加をしていきます 2008.2.22

★☆★彡

 セクハラ・ポスター騒動が始まった1月8日から3日間麻痺したWa☆Daフォトギャラリーは、その後も蘇民祭開催前後の2月6日、11日、14日にアクセスが集中したため、蘇民祭関係のファイルを削除するなどの防衛策を余儀なくされたが、2月20日に至って正常となり、終息宣言を出した。
 この騒動でWa☆Daフォトギャラリーの認知度が高まり、以後、当サイトへのアクセスは、これまでの二倍に当たる一日13,000〜16,000件ほどになり、このまま推移すれば、年間500万アクセスを超え、年内に累計1,000万アクセスが実現する可能性が高くなった。苦あれば楽あり、人生万事塞翁が馬である。(^^; 〈 完 〉 2008.2.28 和田義男

■■■ 146       還暦記念の赤褌水浴 ■■■
 平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で寒中水浴大会が開催され、神楽殿から鐵砲洲囃子が流れるなか、参加者約60名が白鉢巻・白褌(女性は白衣)姿になって氷柱で冷やされた直径10mの円形水槽に胸まで浸かって冷水を浴びた。今年で53回を数えるこの神事は、関東最長の歴史を誇る寒禊で、東京の春を呼ぶ新年の風物詩として知られている。

お囃子をバックに氷水の寒中水浴

お囃子をバックに氷水の寒中水浴

拡大写真(1800X1350)526KB

撮影:星 宏幸

 今年満60歳の厄年を迎えた筆者ら3人は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌による還暦記念水浴を行った。介添役の長谷川昇司・石川辰夫両氏始め約20人が一緒に水浴して還暦を祝ってくれた。

還暦記念水浴

還暦記念水浴

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撮影:小林豊一

 還暦の赤褌水浴初神楽  北舟 

かんれきの あかふんすいよく はつかぐら

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

 水槽を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかったが、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは和らいだ。入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温めのシャワーを交代で使いながら身体を慣らして最後に湯に浸かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。

                         徒然日記〈1月〉/ 「鐵砲洲寒中水浴'08」速報!  鐵砲洲稲荷神社公式サイト

■■■ 145       「Wa☆Daフォトギャラリー」危機を脱す! ■■■
2008年1月11日(木) Wa☆DaフォトギャラリーはWADAXレンタル・サーバーの厳しいアクセス制限により、9日のトータルアクセス数は4000件くらいに落ち込んでしまい、しかも最後までダウンロードできないため、事実上凍結状態に陥っていた。
 10日の朝もノロノロ状態は解消しなかったため、WADAXのユーザー・サポートに電話で掛け合った。当方の言い分は、「集中攻撃を受けたファイルはアクセスできないようにしたので、解除しても大丈夫ではないか。」というものであったが、サーバー側は、「今もアクセス要求が高水準にあるので、解除できない」と繰り返すばかりだった。
 「解除してもファイルがないのだから以前のようにダウンロードできず、負荷がかからなくなっているから心配ない」と私が説明しても、負荷がかかるの一点張り。どうも担当者はパケット通信の理屈が分かっていないのではないかという気さえして、不信感を持ち、「私はレンタル料を払ってサイトを運営しており、納得いく説明がないままに制限をかけ続けるのは契約違反ではないのか」と、強く主張したところ、やっと折れてくれ、制限を一段緩める対応をとってくれた。
 その説明は、Wa☆Daフォトギャラリー全体に対して同時に100人がアクセスできるところを500人にするという総枠規制の緩和だという。数字は例示であり、実際の数字は開示できないという。また、個別ファイルだけアクセスできないようにすることはできないということだった。長電話を切ったとたん、Wa☆Daフォトギャラリーはサクサクとアクセスできるようになった。大きな画像も一瞬でダウンロードできるようになった。説明は規制緩和だったが、その実は規制撤廃だった。面子を保つために理屈をつけたような気がして、後味が悪かったが、真摯に私の希望に耳を傾けてくれ、最終的には善処してくれたので、良い会社だと思い、これからも使い続けて行こうと思った。
 実は、専用サーバーに切り替えようかとも考え、WADAXに相談したところ、専用サーバーは個人のサイトではなく、営利会社が利用するもので、金額も高く、今の危機が終われば、このままで十分快適に運営できるから、オーバースペックといわれた。ちなみに容量80ギガという最低の専用サーバーでも初期費用が7万円、年間20万円ほどかかるという。現在の共用サーバーは、容量40ギガで年間6万円なので、四倍以上もする。また、サーバーの管理に別途月5万円の委託費用が必要と聞いて、ギブアップした。
 ねばり強く交渉した結果、アクセス制限がほぼ外れ、9日は一日で16,111件と平常に復した。私の説明どおり、問題のファイルはアクセスできないので、サーバーの負荷はなく、11日1900現在、正常に作動している。ここに危機を脱したことをお伝えする。ご迷惑をおかけした読者には、心よりお詫び申し上げる。この経験を今後に生かし、同じような集中攻撃に遭ったときは、ファイルの削除など、迅速な対応を心がけたい。

■■■ 144       「Wa☆Daフォトギャラリー」アクセス殺到でパンク状態! ■■■

2008年1月9日(水) 昨日の夕方、「七日堂裸詣り」の取材で帰宅した直後、テレビで「奥州市作成の黒石寺蘇民祭のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨の報道があり、とても驚いてしまった。その後、レンタルサーバー会社WADAXからメールが届き、

「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm
「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm

へのアクセスが集中し、サーバーがパンク状態になっているため、午前11時より帯域制限とアクセス制限をかけている旨の通報を受けた。その後、事態が改善せず、今朝、起床後パソコンを起動してアクセスしたところ、FTP転送を含め完全にアクセスできない状態になっていた。

 本日、オフィスの昼休みにWa☆Daフォトギャラリーを覗いてみると、何とかアクセス出来る状態になっていたので、アクセスが集中している二つの作品のファイル名を変更し、アクセスできないように措置したあと、WADAXのユーザーサポートに電話して対応を報告したところ、直ちに平常に復することはできないので、徐々に制限を解除してゆくということだった。

2008.1.9 20:50のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 15:30のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 20:50のカウント状況/黒石寺蘇民祭

2008.1.9 15:30のカウント状況/黒石寺蘇民祭
 結果的に「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm は、1月8日の一日だけで16,693件のアクセスがあった。普段は50〜200件/日くらいなので、1日に100日分のアクセスが集中したことになる。
 「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm の方も2,322件のアクセスがあり、いつもの約10倍である。
 共用サーバーを利用している以上、当サイトにアクセスが集中すると他のユーザーサイトへのアクセスが出来なくなるためレンタル・サーバー会社の対応に従わざるを得ない状況にある。蘇民祭関連の作品は、沈静化したことを確認したあとに復活させることにするが、WADAXから復旧するとしてもファイル名を変更して旧名ではアクセスできないようにするようアドバイスを受けている。
 ともあれ、現在もWa☆Daフォトギャラリー全体にきついアクセス制限が課せられており、ダウンロードに時間がかかったり時間切れでファイルや画像がダウンロードできない事態が続いている。読者の皆様には、大変ご迷惑をおかけしており、お詫びするしかないが、今しばらくのご不便を我慢していただけるよう、お願い申し上げたい。 2008.1.8 22:45

■■■ 「蘇民祭ポスターがセクハラに当たる」としたJR東日本のミスジャッジ ■■■ 

長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター
 

★彡

 旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われる「黒石寺蘇民祭」は、裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭りで、東奥の奇祭ともいわれる。
 岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられる蘇民祭は、古代の祭りの姿を今に伝える貴重な裸祭りで、国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。

★☆彡

 今回、JR東日本がセクハラに当たるとして駅構内に掲示することを拒否したポスターは、髭づらの男性とそのバックに褌を締めた裸男が並んでいる写真で、これまでのポスターと変わる点は殆どない。平成18年(2006)には友人の長谷川昇司さんが大写しになったポスターが作られ、問題なく掲示されている。
 平成20年のポスターは、長谷川さんの代わりに髭づらの男性が大きく掲載されているが、彼の風貌は美男子でもなく紳士でもないが、普通の男性である。
 徹夜で祖民袋を争奪する勇壮な裸祭りに美男子ややさおとこは不似合いであるのは当然で、奥州市の選んだ男性は荒々しい争奪戦にふさわしい野性的な風貌をした男性であるというに過ぎない。
 その顔がセクハラに当たるというJR東日本の判断は信じられないもので、マスコミ当局は、その異常な事態に報道価値を認め、テレビ報道がなされたのだろう。

☆★☆彡

 マスコミが報道したこのセクハラ発言は、信じられないミスジャッジで、むしろモデルとなった男性へのセクハラ発言であり、名誉毀損であるとも考えられる。
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター

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 私は、小さい頃から「人は外見で判断してはいけない」と教わったが、ポスターの男性の風貌(顔つき)がセクハラになり、美男や美女のポスターでないと駅構内に掲示できないというのであれば、大変な暴言であり、差別発言である。JR当局は金子みすゞの「みんなちがってみんないい」という詩をご存じないのかもしれない。
 褌着用による裸祭りは、Wa☆Daフォトギャラリーの「日本の裸祭り」シリーズをご覧いただければ分かるように全国に数多く存在し、世界に誇る日本独自の伝統文化である。土俵の上でまわしと呼ばれる褌を締めただけの裸形の男性が取り組む相撲は、その最たるもので、国技である大相撲がお茶の間で人気があるように、公序良俗に反する要素はまったく存在しない。長谷川さんによると、風貌がセクハラだとされた男性は、古くから蘇民祭に尽くしてこられた方で、長谷川さんのような余所者ではなく、きちんと精進潔斎をし、真摯に蘇民祭に取り組んでこられた立派な人だという。

☆★☆★彡

 JR東日本がこのような背景や伝統文化としての価値を認識せず、ただ単に外見だけで判断し、その人の写真がセクハラに値するとしたことは、非常に残念である。国鉄から私鉄になったJRとはいえ、公共の輸送機関であり、その判断には慎重な対応が求められよう。
 

平成20年のポスター

平成20年のポスター

 
■■■ 143       明けましておめでとうございます! ■■■
 

新年のご挨拶

2008年1月1日(火) この正月で満7歳半になったWa☆Daフォトギャラリーは、多くの読者と感動写真集30名の同志の方々のお陰で、昨年12月16日に500万アクセスを超えた。昨年1月4日に200万アクセスを突破してから500万アクセスに至る迄の300万件をわずか1年で達成したことになり、サイトを立ち上げてから200万アクセスを得るのに6年半かかったことを考えると、凄いことだと自分でも驚きを隠せない。また、去年は40作品高精細画像1,688枚を発表したが、我ながらよくもこれだけ大量の作品を創作できたものと思う。これも一重に皆様方の大きなご支援のお陰であり、心からお礼申し上げます。

 
初夢や遠き異国の旅枕

First dream of the New Year, Lodging at the foreign country far away.

 今年は去年の大ブレークの勢いをどう生かして行くか、Wa☆Daフォトギャラリーにとって大きな正念場である。心身ともに初心に還り、日本一のフォトギャラリーとして、累計1,000万アクセスを目指して、更にロマンと感動の世界旅を続け、美しく迫力ある画像を散りばめて、夢多き和田ワールドを築きあげて行きたい。今年も皆様方のご支援とご鞭撻を衷心よりお願い申し上げます。

2008年子年

 平成20年(2008)がスタートした。今年の干支(えと)は子の鼠で、十二支(じゅうにし)(子・丑うし・寅とら・卯・辰たつ・巳・午うま・未ひつじ・申さる・酉とり・戌いぬ・亥)の最初の年である。干支は、神様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物が割り当てられたというエピソードがあり、鼠が一番先に着いたから最初に子があるという。アジアだけでなく、ロシアなど東ヨーロッパ諸国にも十二支の風習があることは意外と知られていない。
 干支は、本来、十干十二支(じっかん・じゅうにし)のことで、十干を甲乙(こうおつ)、丙丁(へいてい)、戊己(ぼき)、庚辛(こうしん)、壬癸(じんき)の五行を十二支と組み合わせ、60通りとしたもので、平成20年(2008)は、25番目の戊子(つちのえね)の年に当たる。暦(こよみ)はこれを繰り返しており、生まれてから一巡して最初の年に戻ると満60歳(数え年61歳)となる。元の暦に戻るので還暦(かんれき)と呼ばれる。

干支

 ちなみに、戊辰戦争(ぼしんせんそう)〈慶応4年/明治元年(1868)〜明治2年(1869)〉は、王政復古で成立した明治新政府が江戸幕府勢力を一掃した内戦だが、慶応4年/明治元年(1868)の干支が05番目の戊辰だったことからこの名がついた。

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白褌びゃっこん の放水天に出初式    北舟
加賀鳶はだか放水
New Year ceremony of fire brigades, wearing white fundoshi sash, splaying water to the sky.
謹賀新年/加賀鳶はだか放水(金沢市)

 

加賀鳶はだか放水/石川県金沢市  2007.1.7

還暦記念の赤褌水浴

 私は24番目の丁亥(ひのとい)の年に生まれ、平成19年(2007)3月6日に満60歳の還暦を迎えた。心身を一新して二巡目の人生を健康で明るく過ごしたいと思い、正月13日(日)に東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で還暦記念の寒中水浴をして、厄払いをすることにした。
 日本には古来より還暦を迎えた人に還暦祝いとして赤い頭巾やちゃんちゃんこなど赤色の衣服を贈る風習がある。かつては魔除けのために赤子の産着(うぶぎ)に赤色が使われていたため、赤子と同じ赤い装束を身に着けて生まれ変わった気持ちで長寿を全うしてほしいとの願いが込められている。
 赤い褌を「あかふん」と呼ぶが、丹後地方などでは42歳の厄年に着物の下に赤褌を締めて神社参りをする風習があり、「赤褌(あかふん)行事」と呼ばれている。また、全国的には60歳の還暦祝いに赤褌が贈られ、赤褌を締めて禊をし、厄落としをする風習がある。 高良大社へこかき祭 は、還暦に赤褌で水浴する神事である。そこで私もこの伝統に従って、還暦記念水浴を赤褌で行うことにした。実施要領: 還暦記念水浴について

私の写真が使われている第53回寒中水浴大会のポスター

私の写真が使われている第53回寒中水浴大会のポスター

 本来、神前の禊は白装束でなければならないが、鐵砲洲稲荷神社の中川宮司のご高配により、第53回寒中水浴大会の神事のあとに実施することで特別許可を得た。介添役には、常連の長谷川昇司さんと地元・弥生会幹事長の石川辰夫さんに引き受けてもらった。参列水浴として、有志の方々も一緒に水浴していただくことになった。粋な江戸っ子の皆さんのお陰で、人生に一度の禊による厄払いを執り行う運びとなった。多くの方々のご支援に心から感謝申し上げたい。
 なお、公式の寒中水浴大会と還暦記念水浴ともに、地元氏子のみならず、部外者の飛び入り参加を歓迎しているので、興味のある方は、この機会に是非水浴に参加していただければ幸甚である。
                             参考: 徒然日記〈2007年12月〉/ 「還暦記念の赤褌水浴」実施要領決定!

■■■ 142       2007年2007の年間アクセスは315万件! ■■■
2008年1月1日(火)  2008年元旦の零時零分零秒にメーリングリストに登録の読者に年賀カードをお送りした。ところが通信エラーで送信できず、再送信のタイムスタンプは、Date:Tue, 01 Jan 2008 00:00:47 +0900となり、47秒遅延してしまった。昨年は成功しただけに、残念である。通信回線が混んでいたのだろうか。

 トップページを開いて、カウンターを切り取った。元旦の零時零分の累計は1を差し引いて5,128,505件だった。2007年元旦の零時零分は1,971,621件だったので、差し引きすると、昨年(2007)の一年間の総アクセス数は3,156,884件だった。一昨年(2006)の一年間のアクセス数は63万件だったので、アクセス数は5倍に増えたことになる。

 
■■■ 141       オリンパス「E-3」のラインナップ完成! ■■■
 
  2007年12月28日(金) 今日、待望のズイコーデジタル ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD が我が家に届き、新しい戦力が全て揃った。主力のE-3には ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD を付け、E-510には ED 70-300mm F4.0-5.6 を付ける。これで、レンズ交換無しに、12mm〜300mm (35mm換算で24mm〜600mm)の広角から超望遠までの広域をカバーするシステムが完成した。  
 

オリンパス E-3

オリンパス E-3

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オリンパス E-510

オリンパス E-510

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ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD

ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD

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ED 70-300mm F4.0-5.6

ED 70-300mm F4.0-5.6

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   E-510は、既にニュージーランドで使用し、中級機として必要なスペックは全て揃い、安定した画像が得られている。E-3は、12月8日の岐阜・池ノ上みそぎ祭で筆卸しを行ったが、その階調豊かな画像は、オリンパスのフラッグシップ機にふさわしいもので、大満足の一言あるのみである。(^^  
   E-3の使用感を総括すると、画質向上、11点全点ツインクロスセンサーによるAF機能アップ、手振れ防止、高感度撮影時のノイズ低減、連写機能、SAT、ノイズリダクションなど、現時点の最高水準の機能が全て盛り込まれており、E-510と比べて、ワンランク上の高級機である印象がとても強い。全天候型の設計のため、頑丈にできており、サイズが大きく重いのはやむを得ないという気もする。  
 

裸男たちの夜の禊 / 撮影:E-3(手持フルオート)  1/60  F2.9  ISO400  FL-50

裸男たちの夜の禊

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   特記したいことは、階調オートの設定でSATが働くと、写真上のように、光が届かない遠くでも明るく写ることである。今までなら、光が届く範囲は明るいが、それを過ぎると真っ暗闇になっているところである。この差は驚くほどで、今後、大きな戦力になることだろう。  
 また、内蔵フラッシュの能力が高いことが挙げられる。E-510もE-3も充電が早く、かなり早く写せる。外部フラッシュのFL-36は充電が遅くて、速写時には使えない。FL-50も早いが、内蔵フラッシュの方が早いように感じた。再充電だけでなく、内蔵フラッシュはボディ一体となっているためか、合焦機能がチューンナップされているようで、とても早く感じられ、ストレス無く撮影が続けられる。バウンス撮影とレンズの蹴られが発生する近接撮影以外は、内部フラッシュで完璧に対応できる。重くて大きな外部フラッシュFL-50は、バウンス撮影など、特殊な状況のみに使い、普段は、内蔵フラッシュで対応したい。専用電池を沢山持って行けばよく、単三を用意したりすることも必要ないので、とても楽になる。

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