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水 煙 |
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塔の上層部・相輪(そうりん)に火災に遭わないよ
う願いを込めて水煙(すいえん)が祀られている。 |
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全 体 |
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笛を吹く飛天 |
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三重塔(国宝)
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西 塔
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東 塔
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三重塔(国宝) |
薬師寺は、東西に二つの塔を持つ。 |
東塔 東塔は、730年(天平2年)に造営されたと伝えられる創建当初唯一の遺構で、
高さ33.6m。各層に裳階(もこし 庇の外側に建物を囲むようにつけた一段低い屋根)をつけているために一見六重に見えるが、三重塔である。
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東塔は、薬師寺を代表するだけでなく、白鳳文化を象徴する建造物である。裳階が三層の屋根に変化を与え、洗練された塔建築の美を味わうことができる。
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塔の頂上にある相輪(そうりん)に取り付けられた水煙(すいえん)は、4枚の銅板からなり、24体の飛天(ひてん
虚空を飛ぶ天人)が笛を吹き、花をまき、衣をひるがえして祈りを捧げる自由な姿で透かし彫りにされている。
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アメリカの美術研究家フェノロサが「凍れる音楽」と絶讃した。
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西塔 1528年(享禄元年)の兵火により、西塔は礎石だけが残されたが、1981年(昭和56年)、東塔とほぼ同形に再建された。東塔よりも屋根の傾斜は少ないが、高さは百年後に東塔と同じ高さになるように多少高く造られているという。 |
朱と緑、水煙の金色が美しい。金堂とともにその造形の妙味と青空に映える朱の色は見事である。とりわけ新しい西塔と、風格を備えた東塔とのコントラストが不思議な調和をつくっている。
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〈資料〉
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東院堂(国宝) |
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東院堂(国宝) |
東塔の東側にある入母屋造りの東院堂(とういんどう)は、奈良時代の東院伽藍の名残で、日本最古の禅堂として知られる。 |
吉備(きび)内親王が母・元明(げんめい)天皇のために721年に創建。現在の建物は鎌倉時代に再建された。
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聖観音菩薩立像(国宝)
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東院堂には奈良時代・白鳳期の金銅仏・聖観音菩薩立像(国宝)が本尊として祀られている。33の化身を持つ観音の元の姿をとっており、その慈悲深い姿は「理想の青年像」といわれている。
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高さ1.9mの本尊は、19歳で刑死した有間皇子(ありまのみこ 孝徳天皇の皇子。658年、謀反の罪で処刑された。)をモデルにしたという説もある。
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直立不動の姿勢や左右対象に広がる裳の表現は豊かさに満ちている。
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透き通るような衣を身につけた感じを巧みに表現した彫刻方法は、インドから初唐時代の中国を経て伝わったグプタ朝形式の影響によるものといわれている。
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玄奘三蔵院
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玄奘三蔵院伽藍
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玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)は、中国の唐時代の高僧で、特に唯識思想(ゆいしきしそう インド仏教において、3〜4世紀ころに興った大乗思想で、あらゆる存在は唯(た)だ識すなわちこころのはたらきで表された仮の存在にすぎないとみる唯心論)に関心を持ち、それを究めるため約16年間インド各地を旅し、膨大な経典の翻訳や、「大唐西域記」を著し、唐文化の仏教のみならず、中国文化全体に大きな影響を与えた。
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1944年(昭和19年)、玄奘三蔵の頂骨が中国政府から日本仏教会に分骨された。唯識を教義とする法相宗の大本山である薬師寺は、1981年(昭和56年)、頂骨の分骨を入手し、1991年(平成3年)、玄奘三蔵院伽藍を建立した。
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玄奘塔
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玄奘三蔵 602-664 西遊記で知られる中国・唐代初期の僧。一般には三蔵法師(さんぞうほうし)として知られる。13才のときに僧侶となり玄奘(げんじょう)と名乗り、629年の秋、26才で西安市(昔の長安)からインドへ無許可で出国。約16年間費やしてインド各地をまわり、645年に馬20数頭分の経典や仏具などを中国に持ち帰った。
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主なものは仏舎利150粒、仏像8体、経典657部で、これらは弘福寺に安置された。インドから経典を運んだ僧侶は多いが、玄奘は質・量ともに記録的なものであった。
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帰国時には皇帝・太宗が出迎えたといわれる。太宗は勅を下してただちに訳経に従事させ、玄奘は弘福寺や大慈恩寺などで翻訳作業を行った。彼の翻訳は、あまり意訳しないところに特徴があったという。
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彼が20年間に訳出した大乗小乗の経論は、大般若波羅蜜多経600巻をはじめ、1235巻に達した。
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664年2月遷化(せんげ 高僧の死亡)。日本でも遺骨の一部が薬師寺と慈恩寺(岩槻市)に祀られている。
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西安市の大慈恩寺には大雁塔(だいがんとう 7層の楼閣式、方形の塔で、全高64m。)が建てられ、ここに完成した翻訳本が納められたが、唐が滅びてからは、戦乱等で散逸した。
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弟子の弁機に編述させた旅行記・大唐西域記12巻は、彼の伝記である大唐大慈恩寺三蔵法師伝10巻とともに、正確無比な記述によって7世紀の西域・インドを知る貴重な文献であり、小説・西遊記の素材となったことでも有名である。
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伽藍は、中央に玄奘三蔵の頂骨を納めた玄奘塔を中心に、大唐西域壁画殿(だいとうさいいきへきがでん)と回廊からなっている。大唐西域壁画殿には、平山郁夫(ひらやまいくお)画伯が玄奘三蔵求法(ぐほう 仏法を願い求めること)の精神を描いた壁画が祀られており、一般公開されている。
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平山郁夫画伯の大唐西域壁画
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平成12年12月31日、日本画壇の重鎮であり、世界的に活躍している平山郁夫画伯が30年の歳月をかけて完成した大壁画が大唐西域壁画殿に奉納された。
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この壁画は高さ2.2m、長さ49mにも及ぶ大作で、玄奘三蔵の身命を賭した求法の旅が描かれている。
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三蔵と聞いて、まず思い浮かべるのは、西遊記に登場する孫悟空らと天竺への旅をする三蔵法師である。ちなみに、三蔵法師とは、もともと仏教の三つの聖典に通じている人を指し、西遊記が有名になってからは、三蔵法師といえば、玄奘というようになった。
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平山画伯は、玄奘三蔵をテーマとした作品で注目を浴び、その後の仏教、シルクロードの連作を生み出した。その感謝の気持ちが壮大な壁画制作へとつながったという。
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