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奈良市五条町にある律宗(りっしゅう)の総本山。唐の高僧・鑑真(がんじん)和上(わじょう 和尚のこと)の開基にかかり、今日、金堂、講堂、鐘楼、鼓楼、経蔵、宝蔵などの伽藍が白砂青松の中に規矩整然と残り、奈良時代寺院の面影を今に伝える唯一の寺である。
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唐招提寺の入口・南大門
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鑑真和上と唐招提寺
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朝廷に請われて唐より来朝した南山律宗(なんざんりっしゅう)の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう
688-769)は、12年の歳月を費やし、6回目の渡航でやっと奈良に到着したときには、既に両眼を失明していたという。この辛苦のさまは、井上靖の名作「天平の甍(てんぴょうのいらか)」に詳しい。
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鑑真は、随伴の諸僧とともに東大寺唐禅院に留住し、大仏殿の前に戒壇(かいだん 授戒の場 授戒とは仏弟子となるために道徳の基準となる戒を授けること)を設け、聖武(しょうむ)・孝謙(こうけん)両帝をはじめ、我が国の多くの高僧を授戒(じゅかい)した。756年に大僧都(だいそうず 僧の高い位階)に任ぜられ、仏教界を統べる僧綱(そうごう)の重職を与えられたが、彼の身をいとった孝謙天皇は、僧綱の任を解いた。
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公職から退いた鑑真は、平城右京5条2坊にあった新田部(にいたべ)親王の旧宅の地を拝領し、759年(天平宝字3年)、戒壇を設けて私立学問所を開き、唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建した。招提とは私寺の意味である。
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平城宮の東朝集殿を賜わって講堂にするなど、国家予算をつぎこんだ官寺と違い、成り立ちはつましいが、最も天平の香りを残す寺として名高い。建築群が独特の構成美をもつことから「伽藍の交響楽」と賛えられている。
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以前の金堂(国宝)
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〈資料〉
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修復中の金堂
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金堂(国宝)
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金堂は、我が国現存最大の天平建築であり、天平金堂唯一の遺構として君臨する。「天平の甍」と称されるこの金堂は、間口7間、奥行4間、寄棟造のどっしりした建物で、前面に並ぶ8本の美しいエンタシスの円柱が堂に奥行きを与えている。
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豊かな量感、ダイナミックな立ち姿、大棟(おおむね)を飾る風雪1200年の鴟尾(しび)の簡潔な美しさは、筆舌に尽くしがたいといわれる。
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現在金堂は、2000年(平成12年)から10年をかけて行われる平成大修理の最中で、その姿を見ることができない。
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その代わり、大型ディスプレーを用いたコンピュータ・グラフィックスによるビデオ映像により、あたかも境内を散策しているかのように、金堂をはじめとする建造物を鑑賞することができる。年に一度数日しか公開されない御影堂(みえいどう)の内部も鮮やかに映し出される。
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本尊・盧舎那仏坐像(国宝)
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金堂内には3体の巨像が並ぶ。中央に本尊・盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像(国宝)、右に薬師如来立像(国宝)、左に千手(せんじゅ)観音立像(国宝)が安置されている。これらは乾漆像(かんしつぞう 乾漆(漆の固まり)を使った彫像)で、本尊は像高3mを越える大きな仏像である。
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弥勒菩薩坐像
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表示は、「重要文化財 弥勒如来 鎌倉時代」となっている。
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講堂(国宝) |
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金堂の後ろにある講堂は、平城京の東朝集殿を移築したものである。奈良時代の宮殿建築の遺構として唯一のものである。
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堂内には鎌倉時代の木像・弥勒菩薩坐像とその左右に天平時代の木像・持国天立像と増長天立像が安置されている。 |
増長天立像
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増長天立像(重文)は、胸下に帯を巻き、腰に花形の甲をつけるなど、8世紀後半の唐の神将立像などとの類似性がみられる。
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