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馬籠宿と妻籠宿の間に標高801mの峠があり、馬を引いて越える事が出来ないほど険しい道のりだったことから馬籠という名がつけられたという。現在の峠道は檜林(ひのきばやし)の中の快適な信濃路自然遊歩道として整備されている。 |
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明治24年(1891)に峠越えをした正岡子規の句碑や吉川英二の小説「宮本武蔵」に登場する男滝(おだき)・女滝(めだき)、江戸時代に檜材が木曽から外に出ないように監視していた番所跡などを巡りながらハイキング出来る。 |
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妻籠宿に続いて馬籠宿に行った。下のマップの展望台のそばの駐車場に車を置き、石畳の坂道を往復した。 |
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資料 |
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馬籠宿は中山道43番目の宿場で、かつては長野県木曽郡山口村であったが、平成17年(2005)2月越県合併により、現在は岐阜県中津川市にある。木曽十一宿の一番南に位置する。明治28年(1895)と大正4年(1915)の火災により、古い町並みは石畳と枡形(ますがた)*以外はすべて消失したが、その後復元されて現在の姿となった。文豪・島崎藤村の生まれ故郷としても知られ、名作「夜明け前」の舞台ともなった宿場町である。 |
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*枡形:敵の侵入を阻むために道を直角に折り曲げたところ。宿場は幕府の防塞施設としての機能を持った。 |
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展望台から眺める恵那山(2,192m)と馬籠宿(右)
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展望台のすぐそばに高札場がある。かつては宿や村の庶民に法令を徹底させる手段として高札場が設けられていた。高札場の管理は厳重で、古くなって文字が薄くて墨入れを必要とするようなときでも藩の指示を待たねばならなかった。当時の場所に復元されている御定書は、正徳元年(1711)のものという。 |
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中山道の難路である木曽路の最南端に位置し、宿場町として栄えた馬籠。全長600mの石畳の坂道に沿って、軒の低い格子造りの家並みが宿場時代の面影を残している。 |
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代々、年寄役を務めた脇本陣蜂谷家跡に建つ資料館。藤村の小説「夜明け前」に登場する桝田家のモデルでもある。館内には藤村が執筆の資料とした初代蜂谷源十郎の覚え書きを展示。諸大名が宿泊した上段の間の復元や、蜂谷家に伝わる遺品なども展示されている。 |
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街道の 坂に 熟れ柿 火を灯す |
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この句碑は、馬籠脇本陣資料館の入口にある。山口 誓子(1901.11.3 - 1994.3.26)は京都市出身の俳人。本名は山口新比古(やまぐち ちかひこ)。「新興俳句運動」の指導者的な存在であった。 山口誓子記念館 |
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島崎藤村 |
1872.3.25 - 1943.8.22 |
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日本の詩人、小説家。本名、春樹(はるき)。信州木曽の馬籠(現在の岐阜県中津川市)生れ。「文學界」に参加し、浪漫派詩人として「若菜集」などを刊行。さらに小説に転じ、「破戒」「春」などで代表的な自然主義作家となった。ほかの作品に、日本自然主義文学の到達点とされる「家」、姪との近親姦を告白した「新生」、父をモデルとした歴史小説「夜明け前」などがある。 |
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藤村の出生地・馬籠の本陣・島崎家の跡地に建ち、当時を再現した冠木門(かぶきもん)をくぐり敷地に入る。入ってすぐ右手にある藤村記念堂は、藤村を慕う村民の手で造られた建物。中には藤村像や年譜等が展示され、大火で焼け残った隠居所、藤村の原稿や蔵書など6000点が展示されている文庫がある。 藤村記念館 |
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「ふじむら・きねんかん」と読んだ人がいて、思わず失笑してしまった。 (^^; 知らない人は知らないのである。 |
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BGMに流れる木曽節は、長野県木曽地方の盆踊の歌である。木曽川の流れの音と相和して、この木曽路のどこか明るい中に、檜山(ひのきやま)に住み着いている山住まいの男の寂しさが感じられる哀愁歌である。素朴で和やかな手振りで踊る盆踊りは、木曽文化の真骨頂といえよう。なお、歌詞は500番まであるといわれ、その順序も3番以降は歌い手や発売されたアルバムなどによって違っていることが多い。 |
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★☆★彡 |
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(さんは)ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
(ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ)
袷(あわし)よナー 中乗りさん
ああわしょやりたやナンジャラホーイ
足袋(たびよ)をそえて ヨイヨイヨイ
(ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ) |
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心ナー 中乗りさん
心細いよ ナンジャラホーイ
木曽路の旅は ヨイヨイヨイ
(ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ)
笠にナー 中乗りさん
笠に木(こ)の葉がナンジャラホーイ
舞(まえ)えかかる ヨイヨイヨイ
(ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ) |
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木曽のナー 中乗りさん
木曽の名木(めいぼく)ナンジャラホーイ
ヒノキにサワラ ヨイヨイヨイ
(ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ)
ネズになー 中乗りさん
ネエズにアスヒにナンジャラホーイ
コウヤマキ ヨイヨイヨイ
(ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ) |
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いしざかや あきのきみつる まごめじゅく |
A stone slope, Magome station full of autumn air. |
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「なかのりさん」は諸説あるが、「木材を木曽川で運搬した際、組んだ筏の真ん中に乗った筏師」を指すのが通説のようである。先頭を「舳(へ)乗り」、後ろを「艫(とも)乗り」、真ん中を「中乗り」といった。 |
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木曽の名木は、木曽五木*(きそごぼく)といわれる。檜(ひのき)を筆頭に椹(さわら)・高野槙(こうやまき)・翌檜(あすなろ)(明日檜(あすひ)とも)(唄:アスヒ)・鼠子(ねずこ)(唄:ネズ)の5種をいうが、はじめの4種は宝永5年(1708)に、鼠子は享保13年(1728)に、それぞれ停止木(ちょうじぎ)とされ、木曽の全ての山で「生一本首一つ」といわれて伐採厳禁であったという。 |
*木曽五木:江戸時代に尾張藩により伐採が禁止された木曽谷の木 |
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