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和田義男

 旅紀行ジャパン

2011年12月2日改訂

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♪五木の子守唄メドレー

 

秋高し樟の大樹や飯田丸   北舟

2009年11月28日制作

Autumnal high sky, Iidamaru by the big camphor tree.

樹齢800年の巨大クスノキと飯田丸五階櫓
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樹齢800年の巨大クスノキと飯田丸五階櫓/熊本城(熊本県熊本市)

秋の熊本城探訪

飯田丸

はじめに

 平成21年(2009)10月28日(水)から一泊二日の日程で、日本三名城の一つに数えられる熊本県熊本市古京町(くまもとけん・くまもとし・ふるきょうまち)に建つ熊本城を探訪した。前日羽田から福岡に飛んで一泊し、翌日、JR特急「リレーつばめ」で熊本に入った。

 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

頭を雲の上に出した富士山 / 富士吉田上空  2009.10.28 11:50

 

伊豆半島

駿河湾

清水港

頭を雲の上に出した富士山 / 富士吉田上空  2009.10.28 11:50

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  雲海に頭出したる秋の富士  北舟 

うんかいに あたまだしたる あきのふじ

Mt. Fuji in autumn, putting the head out of the sea of clouds.

  ▲▼ 羽田から福岡に向かう途中、富士吉田上空・高度1万メートルを飛行するANAジャンボ機から、「あたまを雲の上に出し」ている富士山が見えた。文部省唱歌「富士山」の歌詞さながらの素晴らし光景だった。  

富士山 / 作詞:巌谷小波 文部省唱歌

一、


 
あたまを 雲の上に出し
四方の 山を見おろして
かみなりさまを 下に聞く
富士は日本一の山
二、


 
青空高く そびえ立ち
からだに雪の 着物着て
霞のすそを 遠くひく
富士は日本一の山
▼ 僅か1分の間にジャンボ機は富士山の北西方に進んだが、左(北)側斜面の裾から頂上までジグザグの登山道が続いているのがハッキリと見えた。科学技術の最先端をゆく現代では、「富士の山を見おろして」ジェット機が飛び交っている。今年の8月26日に「吉田の火祭り」を取材したこともあって、とても感慨深く、江戸時代の富士講の人たちが見たら、きっと吃驚仰天(びっくりぎょうてん)することだろう。

雲海に浮かぶ富士山  2009.10.28 11:51

 

↓・・・・富士北口登山道・・・・↓

伊豆半島

雲海に浮かぶ富士山  2009.10.28 11:51

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特別史跡・熊本城

  ▼ 平成19年(2007)に築城400年を迎えた熊本城は、名将加藤清正(かとう・きよまさ)が幾多の実戦経験に基づき慶長6年(1601)から7年の歳月を費やして築いた天下の名城である。かつては、周囲5.3kmに及ぶ広大な城域内に、大小天守を中心に櫓(やぐら)49、櫓門(やぐらもん)18、城門(じょうもん)29を数える雄大豪壮な梯郭式平山城(ていかくしき・ひらやまじろ)だった。別名を銀杏城(ぎんなんじょう)という。
熊本城の衛星写真

熊本城の衛星写真

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資料:Google Earth

  ▲▼  天守閣は、明治10年(1877)の西南の役(西南戦争)で焼失したため、昭和35年(1960)に再建されたものだが、幸い焼失を免れた宇土櫓(うとやぐら)など13の建造物は昔のままで、国の重要文化財に指定され、今日までその貴重な姿を残している。 熊本城公式ホームページ
熊本城マップ

熊本城マップ

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  ▲ 地図を見れば分かるように、熊本城西側の二の丸広場のそばに駐車場があり、西大手門(にしおおてもん)から頬当御門(ほほあてごもん)を通って入城するのが正規だが、広大な敷地をくまなく巡回するためには熊本城南端の行幸橋(みゆきばし)から櫨方門(はぜかたもん)を通って入城する方法が推奨されていたので、その順路の2時間コースを辿ることにした。

行幸橋みゆきばし

の袂に立つ清正公の銅像

行幸橋の袂に立つ清正公の銅像

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  天高し清正公の高烏帽子  北舟 

てんたかし きよまさこうの たかえぼし

Autumnal high sky, the high headwear of Sir Kiyomasa.

采配さいはい

を持つ熊本城主・加藤清正公

采配を持つ熊本城主・加藤清正公

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  ▼ JR熊本駅から市電に乗り、熊本城前で下車し、徒歩数分で清正公(きよまさこう)銅像に着く。この位置からは、飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)とその奥の熊本城大天守(くまもとじょう・だいてんしゅ)が見える。そこから坪井川に架かる行幸橋(みゆきばし)を渡ると、長塀(ながべい)が見えてくる。
坪井川と

長塀ながべい

/行幸橋

坪井川と長塀/行幸橋

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  ▲▼ 長塀は、東の平御櫓(ひらおんやぐら)から西の馬具櫓(ばぐやぐら)まで長さ約242mもあり、現存する日本の城郭の塀の中では最長を誇る。白漆喰(しろしっくい)に黒の下見板(したみいた)を張り、桟瓦(さんがわら)が乗っている。内側には凝灰岩(ぎょうかいがん)の控え柱が立ち貫(たちぬき)で固定され、倒壊を防いでいる
日本一の

長塀ながべい

(内側)

日本一の長塀(内側)

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  秋天を堀に映して幾星霜  北舟 

しゅうてんを ほりにうつして いくせいそう

How many years have passed, reflecting the autumnal sky in the mort.

木々を映す備前堀

木々を映す備前堀

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  ▲▼ 備前堀を左に見て、櫨方門(はぜかたもん)から入城するとそこは竹の丸で左手に飯田丸五階櫓が見える。熊本城の本丸は「天守台」「平左衛門丸(へいざえもんまる)」「数寄屋丸(すきやまる)」「飯田丸(いいだまる)」「東竹の丸(ひがしたけのまる)」「竹の丸(たけのまる)」「西出丸(にしでまる)」の7区に分けられており、飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓が「飯田丸五階櫓」で、小さな城の天守閣の役目を果すものである。

飯田丸五階櫓いいだまるごかいやぐら

飯田丸五階櫓

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  ▼ 竹の丸から北方を臨むと、幾重にも石垣が築かれ、その上に大天守(南面)が見える。ガイドブックではここからの眺めが最も美しいとされている。
 熊本城の石垣は、「武者返し」と呼ばれ、美しい曲線を描く石垣は有名で、自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術が高い評価を受けている。この城は、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となった。
熊本城天守閣(南面)と石垣/竹の丸

熊本城天守閣(南面)と石垣/竹の丸

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  天高し八重の石垣黒天守  北舟 

てんたかし やえのいしがき くろてんしゅ

Autumnal high sky, a black castle tower on the multilayered stone walls.

美しい天守閣と石垣/竹の丸

美しい天守閣と石垣/竹の丸

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熊本城天守閣(南面)/竹の丸

熊本城天守閣(南面)/竹の丸

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  ▼ 石段を上がって北に進むと、二様(によう)の石垣に至る。石垣の傾斜の違いが一目瞭然で、隅石(すみいし)の積み方の違いを簡単に比較することができる。
 熊本城の石垣は全て「打ち込みハギ」という工法で積まれている。二様の石垣は、同じ打ち込みハギでも隅石の積み方に違いがあり傾斜の緩い方(右)は同じような大きさの隅石を使っており築城初期のもの。傾斜が急な外側の石垣(左)は、長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせることにより、より急な角度を出すことができる「算木積み(さんぎづみ)」という工法がとられており、築城技術が発展した後のものだという。
 ちなみに二様の石垣の外側は細川忠利(ほそかわただとし)の代に、本丸御殿(ほんまるごてん)増築の際、積み足したもの。
二様の石垣

二様の石垣

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  ▼ 二様の石垣から西に進むと飯田丸に出る。樹齢800年、樹高30m、幹囲(みきまわり)10mの巨大な楠のそばに寄り添うようにして飯田丸五階櫓が建っている。飯田丸の名称は加藤清正の重臣、飯田覚兵衛(いいだかくべえ)が管理していたことから、そう呼ばれるようになったという。
樹齢800年の巨大クスノキと

飯田丸五階櫓いいだまるごかいやぐら

樹齢800年の巨大クスノキと飯田丸五階櫓

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  高し樟の大樹や飯田丸  北舟 

あきたかし くすのたいじゅや いいだまる

Autumnal high sky, Iidamaru by the big camphor tree.

立派な

飯田丸五階櫓いいだまるごかいやぐら

立派な飯田丸五階櫓

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  ▲▼ 飯田丸は、熊本城南面防衛の要(かなめ)であり、櫓と塀で囲い込まれ、内部には井戸や台所、鉄砲蔵まで設けられていた。西面には西櫓門を備え、出撃することも可能で、飯田丸だけでも小さな城の機能を持っていた。その小さな城の天守閣の役目を果たすのが飯田丸五階櫓だった
 明治になり、熊本城に鎮台(ちんだい)が置かれると、「不要建物」として取り壊されてしまったが、その優美な姿は古写真に残され、多くの市民が復元を望み、平成17年(2005)に復元が完成した。
ちょうなと呼ばれる手斧を使った荒削りの巨大な梁

ちょうなと呼ばれる手斧を使った荒削りの巨大な梁

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  ▼ 東竹の丸は、西南戦争の際、戦火を免れた本丸東側の防衛ライン。源之進櫓(げんのしんやぐら)が田子櫓(たごやぐら)や七間櫓(しちけんやぐら)、十四間櫓(じゅうよんけんやぐら)、四間櫓(よんけんやぐら)に隣接して建っている。
 源之進の名は、櫓を管理していた人物の名前に由来するといわれ、普段は武器や武具などの倉庫として利用されていたが、外壁には狭間(さま)と石落しを備え、戦時には兵の駐屯地となった。
 築城当時49あった櫓のほとんどは西南戦争で焼失したが、宇土櫓(うとやぐら)や監物櫓(けんもつやぐら)などと共に戦火を逃れて現存する11の櫓は、いずれも国の重要文化財に指定されている。
国の重要文化財に指定されている11の平櫓

源之進櫓

四間櫓

十四間櫓

 

鬼門(丑寅/東北)に建つ不開門

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  ▼ 東竹の丸の最北部には、鬼門(丑寅/東北)に建つ不開門(あかずのもん)がある。昔の陰陽道では、この方角は塞いでも開け放してもいけないとされ、門は造るが普段は閉ざし、不浄なものを運ぶときだけこの門を開いたという。現在は入城口として使用されており、伝統工芸館への近道で、国の重要文化財に指定されている。
鬼門(丑寅/東北)に建つ

不開門あかずのもん

鬼門(丑寅/東北)に建つ不開門

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