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和田義男

 旅紀行ジャパン

2007年11月23日改訂

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2005年10月15日作成

出平駅ですれ違うトロッコ電車

出平駅ですれ違うトロッコ電車(黒部峡谷鉄道)
立山黒部夏紀行

宇奈月

   室堂平の観光を終えた後、立山黒部貫光のバスで一気に立山を下り、富山県立山町の立山駅前に到着。待機していたツアーバスで富山市に入り、一泊した。翌日、宇奈月温泉に行き、黒部峡谷のトロッコ電車に乗った。

黒部峡谷鉄道宇奈月駅

黒部峡谷鉄道宇奈月駅

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宇奈月うなづき

   宇奈月は富山県の東端、下新川郡(しもにいかわぐん)の人口7千人弱の町で、北流して日本海は富山湾に注ぐ黒部川が形成した黒部峡谷を中心とする飛騨山脈の山岳地帯と下流の黒部扇状地を擁している。

模型電車の前で記念撮影

模型電車の前で記念撮影

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   黒部扇状地の扇頂部東岸にある明日(あけび)は、稚児舞で知られる法福寺(ほうふくじ)の門前町として開け、西岸の浦山(うらやま)は、江戸時代に北陸道の宿駅(しゅくえき)であったという。  

宇奈月駅を出発するトロッコ電車

宇奈月駅を出発するトロッコ電車

   宇奈月は、大正末期の日本電力の起工以後、急激に発展し、愛本(あいもと)より上流の黒部峡谷内に黒部川第四発電所など関西電力の10発電所、下流に北陸電力ほかの6発電所があり、総出力は約90万kWに達し、日本屈指の水力電源の町となっている。  

赤い鉄橋の黒部川

赤い鉄橋の黒部川

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宇奈月温泉
 
   大正12年(1923)、黒部峡谷の入口、標高200mの段丘上に上流の黒薙(くろなぎ)温泉(96℃)から約8km引湯し、泉温60℃・単純泉の宇奈月温泉として開湯した。黒部川の電源開発とともに発展し、現在は黒部峡谷探勝の基地となっている。  
中世のお城のような

新柳河原しんやながわら

発電所

中世のお城のような新柳河原発電所

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   宇奈月は、富山市から富山地方鉄道黒部線が通じ、宇奈月と欅平(けやきだいら)を結ぶトロッコ電車で知られる黒部峡谷鉄道の始発地となっている。  

後曳橋あとびきばし

を通過するトロッコ電車

後曳橋を通過するトロッコ電車

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トロッコ電車
 
   日本一深いV字峡谷を縫うように走るオレンジ色の小さなトロッコ電車は、宇奈月から終点・欅平(けやきだいら)までの20.1kmを41のトンネルをくぐり、22の橋を渡り、1時間20分かけて、ゆっくりと走る。客車はオープン型の普通客車と雨でも濡れない窓付き車輌(三種類)があり、窓付きの方は特別料金となる。  

ダムを行くトロッコ電車

ダムを行くトロッコ電車

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黒部峡谷鉄道
 
   黒部峡谷鉄道(黒鉄)は、通称トロッコ電車と呼ばれる軌間762mmの小さな鉄道で、平成16年12月現在の車両総数323両(機関車27両、客車138両、貨車156両、特殊車2両)は、中小民鉄第1位という。黒部峡谷は冬期の積雪が多く、雪崩の危険も高いことから、冬期運休する鉄道でもある。  
   利用者のほとんどが黒部峡谷を訪れる観光客であり、およそ6,000人/日キロと、富山地方鉄道をはるかに上回る北陸一の輸送密度を誇っている。 黒部峡谷鉄道の公式サイト  

出平だしだいら

駅ですれ違うトロッコ電車

出平駅ですれ違うトロッコ電車

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   黒部峡谷鉄道の歴史は古く、大正14年(1925)に豊富な電力資源を利用してアルミニウム精錬を計画した東洋アルミナムの子会社が運行する黒部鉄道として開通したのが始まりである。  

上下電車の発進

上下電車の発進

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   その後、東洋アルミナムは経営不振で日本電力に吸収合併され、路線の延長工事は日本電力によって行われたが、昭和26年(1951)の電力会社の再編で、関西電力の専用軌道の黒部鉄道となった。  

エメラルド色の黒部川

エメラルド色の黒部川

 
命の補償がなかった鉄道
 
   戦後の混乱が終わるころ、黒部峡谷が隠れた秘境として知られはじめ、一般への開放を求める声が増したため、一般乗客の便乗扱いが行われるようになった。この頃の黒部鉄道は発電所建設の資材や作業員を運ぶのが主な仕事で、便乗用の切符には「命の保証はしません」と書かれていたという。  

黒部川第二発電所

黒部川第二発電所

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   黒部峡谷を訪れる観光客の増加と富山県の強い要請を受け、昭和28年(1953)免許を取得して旅客輸送を開始し、昭和46年(1971)関西電力の100%出資子会社「黒部峡谷鉄道」として発足し、現在に至っている。  
   鉄道事業のみでは赤字であるものの、その他の収益を含めて経常黒字となっているという。  

窓のある特別車輌

窓のある特別車輌

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