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和田義男

 感動写真集

2009年3月14日改訂

今 日

昨 日

♪山の歌メドレー:山男の歌 / なため(明治大学ワンダーフォーゲル部部歌)

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秋の空山頂神社屋根の石  北舟

2007年11月23日作成

屋根に石を乗せた雄山神社

屋根に石を乗せた雄山神社(感動の立山連峰/北アルプス)
秋の立山連峰

雄山神社

撮影原作・蓮野渉
 
雄山おやま 登頂
   平成19年(2007)10月11日(木)、立山(たてやま)の主峰・雄山(おやま)(3,003m)に登った。気力・体力の自己検定で毎年続けている立山行き。体重77kg・年齢77歳と、妙な数字の一致!年齢は如何ともし難いが、体重が70kgくらいなら少しは楽だろうにと思う。

★☆★彡

 この日は素晴らしい秋晴れに恵まれ、早朝、いつものように自宅・金沢市からマイカーで富山地方鉄道・立山駅まで行き、ケーブルカーと高原バスを乗り継いで標高2,450mの室堂(むろどう)ターミナルまで上がった。

北アルプスの航空写真

北アルプスの航空写真

拡大写真(1400X1050)391KB

 資料

 

北アルプス

   北アルプスは、正式名を飛騨山脈(ひださんみゃく)といい、主に富山県、岐阜県、長野県にまたがる山脈で、木曽山脈(中央アルプス)、赤石山脈(南アルプス)と共に日本アルプスを構成する。日本アルプスは、イギリス人鉱山技師ウィリアム・ゴーランドによって命名された愛称だが、彼が最初に日本アルプスと名付けたのは、飛騨山脈だけだったという。

平成3年に新車両になった立山ケーブル鉄道(立山〜美女平)

立山ケーブル鉄道

   北アルプスは、太平洋プレートが北アメリカプレートの下、さらにその先のユーラシアプレートの下に潜り込むことにより、その力で盛り上がって生まれた山脈で、位置的にはフォッサマグナ*の西の端になり、第三紀**にできたといわれる。
*フォッサマグナ:日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目とされる地帯。
**第三紀:6,500万年前から2,500万年前までの約4,000万年間

室堂より雄山を望む

室堂より雄山を望む

 
立山 玉殿たまどの の湧水
   立山玉殿の湧水は立山連峰の雄山直下から湧出する地下水で、室堂一帯に潤いをもたらしている。立山トンネルの開通によりその一部が湧出したものという。水量は一日2tonで、真夏でも2〜5℃という低温。口当たりが柔らかく美味しい。

立山玉殿の湧水と立山 / 室堂平

立山玉殿の湧水と立山 / 室堂平

拡大写真(1400X1050)391KB

 
火山のある北アルプス
 
   中央アルプスと南アルプスには火山がないが、北アルプスは火山が多い。乗鞍火山帯に属していたからであるが、講学上、現在は火山帯という呼称は用いず、太平洋プレートやフィリピン海プレートがユーラシアプレート・北アメリカプレートに沈み込むことにより火山が生まれるという理論に基づき、沈み込み帯のユーラシア大陸側に東日本火山帯と西日本火山帯の火山フロントが帯状に存在するという考え方が主流となっているらしい。

室堂山荘前展望休憩広場より立山を望む

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

室堂山荘前展望休憩広場より立山を望む

パノラマ写真(2000X900)533KB

 涼や室堂からの登坂道  北舟 

しゅうりょうや むろどうからの とはんどう

 
立山連峰たてやまれんぽう

後立山連峰うしろたてやまれんぽう

 
   北アルプスの形状は南北に列なる巨大なY字型で、Yの字の中心には、日本のV字谷中でもその急峻さと巨大な黒四(くろよん)ダムで知られる黒部峡谷(くろべ・きょうこく)がある。その西側に剣岳(つるぎだけ)(2,998m)や立山(たてやま)(3,015m)などの立山連峰があり、東側に白馬岳(しろうまだけ)(2,932m)や鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)(2,889m)などの後立山連峰が聳(そび)えている。

一の越へ向かう一行

一の越へ向かう一行

 
立 山たてやま
   中部山岳国立公園にある立山は、北アルプスの立山連峰に属する富山県の山で、富士山と白山(はくさん)と共に日本三名山と日本百名山に数えられている。また、日本古来から屈指の信仰の山としても知られ、同じく富士山と白山と共に日本三霊山の一つとされている。

一の越から室堂平・大日連山を望む

一の越から室堂平・大日連山を望む

拡大写真(1600X1200)562KB

 

立山三峰と立山三山

 
   立山は山頂に雄山神社の本殿が建つ主峰の雄山(おやま)(3,003m)・最高峰の大汝山(おおなんじやま)(3,015m)・富士ノ折立(ふじのおりたて)(2,998m)の3山から成り、立山三峰とも呼ばれる。また、立山に南の浄土山(じょうどさん)(2,831m)と北の別山(べっさん)(2,880m)をあわせて立山三山と呼ばれる。

布団を屋根に干している一の越山荘(2,700m)

布団を屋根に干している一の越山荘(2,700m)

拡大写真(1400X1050)476KB

 
一の越いちのこし
   室堂ターミナルから雄山山頂に至る登山道の中間点、標高 2,700mの尾根は「一の越」と呼ばれ、「立山一の越山荘(たてやま・いちのこし・さんそう)」という山小屋があり、〒 930-0413 富山県中新川郡(なかにいかわぐん)上市町(かみいちまち)一の越という立派な住所がある。 参考:一の越山荘のHP

一の越南方の龍王岳と浄土山

 

龍王岳(2,872m)

     浄土山(2,831m)

一の越南方の龍王岳と浄土山

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   一の越からは東に後立山連峰が望め、西には室堂平(むろどうだいら)を始め遠く富山湾や能登半島が見える。南には竜王岳(りゅうおうだけ)(2,872m)と浄土山(じょうどさん)(2,831m)が聳え、北には立山が屹立(きつりつ)している。雄山への登山道は、ここから急峻(きゅうしゅん)な山道になる。

一の越から雄山山頂を目指す登山者たち

一の越から雄山山頂を目指す登山者たち

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雄山おやま 神社
   雄山神社は、立山町にある神社で、雄山山頂の本殿(ほんでん)、山麓の中宮社殿(ちゅうぐうしゃでん)と前立社壇(まえだてしゃだん)の三社からなる。本殿は海抜3,003mの山頂にあるにもかかわらず、〒930-1418 富山県中新川郡立山町立山峰(たてやまみね)1番地という立派な住所を持つ。本殿の下に社務所がある。 参考:雄山神社のHP
 中宮社殿と前立社壇は、〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)にある。

雄山神社社務所

雄山神社社務所

 雄山神社は、霊峰の立山を御神体とし、立山の神として伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と天手力雄神(あまのたちからのかみ)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社で、かつては立山修験(たてやましゅげん)の源であったという。

社務所で休憩

社務所で休憩

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 社務所の前で、職員が法螺(ほら)を吹いてくれた。法螺は、修験道(しゅげんどう)の山林修行や法要儀式などの際に吹き鳴らされるもので、この音を聞くものは煩悩(ぼんのう)を滅し、悟りを得るといわれている。神社の法螺は、かつての神仏混淆(こんこう)の歴史を彷彿とさせるもので、興味深い。

法螺を吹く社務所職員

法螺を吹く社務所職員

 
立山の開祖・ 慈興上人じこうしょうにん
 
   雄山神社が創建された年代は不詳だが、万葉集にこの神社についての記載があるという。社伝では、701年(大宝元年)、景行(けいこう)天皇の後裔(こうえい)という越中国(えっちゅうのくに)の国司(こくし)佐伯宿祢有若(さえきのすくねありわか)の子、佐伯有頼(さえきのありより)(後の慈興上人(じこうしょうにん))が16歳のときに白鷹に導かれて岩窟に至り、「我、濁世の衆生を救はんがためこの山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」という雄山大神の神勅を得て開山したといわれる。

雄山山頂(3,003m)に建つ雄山神社本殿

雄山山頂(3,003m)に建つ雄山神社本殿

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立山頂上雄山神社由緒

立山頂上雄山神社由緒

雄山神社の木造の鳥居

雄山神社の木造の鳥居

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 秋の空山頂神社屋根の石  北舟 

あきのそら さんちょうじんじゃ やねのいし

屋根に石を乗せた雄山神社(冬季閉鎖中)

屋根に石を乗せた雄山神社(冬季閉鎖中)

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