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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年6月7日改訂

♪安里屋ユンタ・十九の春・谷茶前・与那国小唄 夢 現

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2005年6月7日作成

二人の星砂浜

二人の星砂浜(竹富島/沖縄県)

八重山編

沖縄美ら海紀行

竹富島

竹富島たけとみじま

 西表島のツアーを終え、大原港から定期フェリーに乗り、30分ほどで竹富島の玄関口・竹富港に着いた。
 周囲9km、面積5.4km2、人口330人、観光で暮らす小さな島。白い砂の道と花々が顔をのぞかせる隆起珊瑚でできた石垣の連なり、シーサーを載せた赤瓦の家々・・・。竹富島には沖縄の古い町並みが色濃く残されている。
 この美しい島は昭和62年(1987)国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。

竹富港に接岸するフェリー

竹富港に接岸するフェリー

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水牛車の旅

 竹富島を四輪の水牛車で案内してくれるのが新田観光(にったかんこう)。由布島のように牛車が観光の目玉になっており、港に待機している送迎バスに乗り込むと、そのまま水牛車乗り場まで案内してくれる。

観光客を待つ水牛車

観光客を待つ水牛車

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 水牛がベージュがかった白砂が敷き詰められた道をゆっくりと歩き出せば、御者(ぎょしゃ)のオジイが名調子でガイドを始める。赤瓦屋根の家が並ぶ集落や旧跡などの観光スポットを30分にわたってノタリノタリと巡回する。
 水牛が道順を覚えているので、オジイはゴーストップを合図するだけでよく、あとは乗客のサービスにいそしむ。

ブーゲンビリアの道

ブーゲンビリアの道

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三線の弾き唄い

 ここでも御者のオジイが三線の弾き唄いを披露してくれた。由布島では海上のため景色が余り変化しなかったが、こゝでは綺麗な花の咲く石垣や民家、ユニークなシーサーなどを眺めながらオジイの喉自慢を聞く。水牛は人が歩くスピードよりも遅いので、景色をゆっくりと楽しむには最適な乗物である。

三線の弾き唄いをするオジイ

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安里屋ユンタあさどやゆんた

 美しい赤瓦と石垣の町並みを水牛車に揺られてゆくと、安里屋(あさどや)家に着く。琉球民謡「安里屋ユンタ」に歌われる美女・安里屋クヤマの生まれた家である。
       ♪ サー君は野中のいばらの花か (囃子)サーユイユイ
       
暮れて帰れば やれほに引き止める (囃子)またハーリヌ ツィンダラ カヌシャマヨ
 「安里屋ユンタ」は、役人から無理な求愛を断った絶世の美女・安里屋クヤマのエピソードを唄ったもので、琉球王朝時代の庶民の心情が伝わってくる。

安里屋クヤマの生家

安里屋クヤマの生家

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   しかし、「ゆんた」と名の付く沖縄民謡は、農作業や家造りなどをしながら歌う労働歌のことで、この歌は八重山民謡の「安里屋ユンタ」の歌詞をアレンジしたもので、元歌の歌詞は「安里屋(あさどや)ぬくやまによ あん美(ちゅ)らさ生(ま)りばしよ・・・」というもので、甘い恋の唄ではないという。  

屋根裏の安里屋ユンタの歌詞

屋根裏の安里屋ユンタの歌詞

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   ♪サー君は野中のいばらの花か…という歌詞で始まる「安里屋ユンタ」は、正確には「新安里屋ユンタ」という。  

竹ちゃんに追いついた水牛車

竹ちゃんに追いついた水牛車

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   昭和9年(1934)、最初から日本本土向けに小学校教師・星克が全く新たに歌詞を書き、沖縄師範の音楽教師・宮良長包が三線伴奏の編曲をして発表し、一躍有名になった。このため、観光客には、分かりやすい新曲の方を「安里屋ユンタ」として紹介しているという。  

石垣のある家

石垣のある家

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竹富小中学校
   竹富小中学校(山盛淳子校長、又吉健教頭)の生徒数は小学校12名、中学校12名。離島と少子化のため生徒数が減少し、1・2年生、3・4年生、5・6年生がいっしょの複式授業が行われているという。  
   竹富島の人口は一時250人ほどに減ったが、観光、エビ養殖業、伝統芸能などに携わる人が来島し、現在人口は330人ほどに戻ったというが、家庭を持つ人が少なく、子どもの減少は止まらないという。  

花いっぱいの竹富小中学校

花いっぱいの竹富小中学校

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石垣市にある町役場
 竹富町は町役場が石垣市にあるというから変わっている。石垣島とは高速フェリーで10分の距離なので遠くはないが、地元民はいちいち石垣島まで行かねばならないので、行政サービスが十分できるのか心配になる。ただ、人口2,000人の西表島も竹富町なので、八重山の中心地・石垣市に町役場があった方が便利なのだろう。

西塘にしとう

 竹富島の郷土の英雄・西塘(にしとう)は、琉球王朝に仕え、天才的な石工技術を発揮し、沖縄本島・首里城に残る園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門を造り、世界文化遺産に指定された。

赤屋根のシーサー

赤屋根のシーサー

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星砂ほしずな

の浜 

 竹富島の南西にあるカイジ浜は、星砂の浜として知られ、星の形をしたきれいな砂がある。20年ほど前、小柳ルミ子がデビューした頃のヒット曲「星の砂」で有名になって以来、観光客が押し寄せ、星砂が少なくなってしまったという。

竹富島の星砂浜

竹富島の星砂浜

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 砂浜に星砂運ぶ春の波  北舟 
 実は星砂は砂ではなく、有孔虫の遺骸である。有孔虫は砂粒大の単細胞の原生動物で、石灰質の殻を持ち、何本もの糸状の足を出して移動したり、体を固定したり、餌を捕まえたりする。

星砂の見本

星砂の見本

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 通常は海中で海草類などに付着して生活しているが、死ぬと骨格が海底に落ち、それが波に打ち寄せられたものが星砂と呼ばれているものだという。

星の砂と太陽の砂

星の砂と太陽の砂

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 星砂を虫眼鏡で見ると、大という字をした星形と、太陽から4〜8本の光線が出ている太陽形の二種類がある。
 美ら海の星砂の浜春小島  北舟 

星砂を拾う観光客

星砂を拾う観光客

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 星砂は売っているが、手を砂に押しつけると、手のひらに付いた砂の中に何個か星砂があるという。昔は殆どが星砂だったというが、今は何度やっても星砂が付いておらず、場所を探さないといけないようだ。

二人の星砂浜

二人の星砂浜

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