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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年6月2日改訂
祭囃子メドレー

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2004年5月21日作成

武内宿弥

青梅大祭(住吉神社/東京都青梅市)

青梅大祭

 

 昼の休憩中、駅前の青梅街道を東から西にかけて展示されている5体の山車人形(だしにんぎょう 鉾人形)を見て回った。明治の初期、旧祭礼5町が江戸の天下祭りで使われなくなった山車を購入したのが始まりである。

 青梅に電線が張り巡らされるようになってからは、山車が巡行できなくなったため、山車は屋台に改造され、人形は切り離されて、祭りのときに会所(かいしょ 人形場)に展示されるようになったという。
 

 

神功皇后じんぐうこうごう

 住吉神社が鎮座する住江町(墨江町/宮本町)の会所には住吉神社の祭神・神功皇后の人形が飾られている。江戸時代の仲秀英(なかしゅうえい)の作で、頭には松雲斎徳山(しょううんさい・とくざん)の天冠を被っている。仲秀英
 神功皇后は、古事記・日本書紀によって創作された伝説上の人物である。熊襲(くまそ)征伐のため筑紫に来た第14代仲哀(ちゅうあい)天皇が西暦200年2月6日に香椎宮(かしいぐう)で急死すると、皇后は妊娠中でありながら、
武内宿称(たけうちのすくね)とともに朝鮮半島に出陣し、新羅(しらら)を討ち、また百済・高句麗(くだら・こうくり)をも帰服させ、帰国後、応神天皇(おうじんてんのう)を産んだ。その後、大和に帰り、応神天皇が即位する西暦270年まで摂政を行い、100歳で死亡 した。〈 記紀より 〉

神功皇后

拡大写真(1200x900)179KB 【E-1  40mm   F3.5 1/60秒 ISO200 】

 

神功皇后

じんぐうこうごう 
と応神天皇を抱いた 武内宿弥たけうちのすくね 
 本町(ほんちょう)の会所には、神功皇后と応神天皇を抱いた武内宿弥が展示されている。江戸末期の人形師・三代目原舟月(はらしゅうげつ)(1826〜1898)の明治2年頃の作で、茨城県土浦市から購入した山車に載っていた人形といわれている。
 仲哀天皇に代わって三韓遠征に出陣した神功皇后がめでたく凱旋し、皇子・応神天皇を出産したときの晴れやかな姿と、皇子を抱いたお守役の大臣・武内宿弥の勇壮な姿を表現している。

神功皇后と応神天皇を抱いた武内宿弥

拡大写真(1200x900)223KB 【E-1  66mm   F3.2 1/80秒 ISO200 】

青梅街道の賑わい

青梅街道の賑わい

拡大写真(1200x800)233KB 【E-1  88mm   F6.3 1/400秒 ISO200 】

 

静御前しずかごぜん

   仲町(なかちょう)には、静御前が飾られている。明治の初め、町内有志により、日本橋の瀬戸物町・伊勢町・小田原町「現在の日本橋室町」から山車と共に購入したという。松雲斎徳山(しょううんさい ・とくざん)の作で、嘉永元年(1848)江戸天下祭(山王祭)の9番山車に載っていた人形ではないかといわれている。  松雲斉徳山
 この人形は、静御前が鎌倉の鶴岡八幡宮で頼朝の面前で舞った「静の舞」を表しているという。  静の舞

静御前

拡大写真(900x1200)168KB 【E-1  100mm   F3.5 1/160秒 ISO200 】

 

日本武尊やまとたけるのみこと

 上町(かみちょう)の山車人形は日本武尊である。東京浅草福井町から明治5年に購入したという。作者は不明。
 日本武尊は、古代伝説上の英雄である。景行(けいこう)天皇の皇子で、本名は小碓命(おうすのみこと)。天皇の命を奉じて熊襲(くまそ)を討ち、のち東国を鎮定。
 往途、駿河で草薙剣(くさなぎのつるぎ)によって野火の難を払い、走水(はしりみず)の海では妃・弟橘媛(おとたちばなひめ)の犠牲によって海上の難を免れた。帰途、近江伊吹山の神を征そうとして病を得、伊勢の能褒野(のぼの)で没したという。

日本武尊

拡大写真(1200x900)177KB 【E-1  100mm   F3.2 1/125秒 ISO200 】

 

旧稲葉家住宅きゅういなばけじゅうたく

 森下町祭典事務所は、旧稲葉家住宅にある。この家は、かって青梅宿が市場として繁栄したことを示す代表的な家屋で、屋号を稲葉店といい、材木問屋や青梅縞(おうめじま)の仲買問屋として活躍した青梅の豪商であった。
 土蔵造りの店蔵(たなぐら)は、間口いっぱいに土間のある前土間形式といわれるもの。梁や柱には奥多摩の日原(にっぱら)から切り出されたシオジ材*が用いられており、その規模は青梅宿では最大級で、18世紀後半の建築と推定される。昭和56年(1981)東京都有形民俗文化財に指定された。  * シオジ材

旧稲葉家住宅

拡大写真(1200x800)179KB 【E-1  28mm   F8.0 1/250秒 ISO200 】

 

武内宿弥たけうちのすくね

  森下町の祭典事務所に展示されている武内宿弥は、安政(1850年代)の頃人形師・仲秀英が江戸で作ったもので、 明治初期に江戸天下祭の31番神田三河町四丁目の山車に載っていたものを山車と共に購入したという。
  古来より「海神」として崇められ、航海の守り神として知られる住吉明神(住吉神社の祭神)のご加護のもと、三韓へ海を渡った時の神功皇后の大臣であった武内宿弥が満珠(まんじゅ 海水につければ潮水を満ちさせる呪力があるという珠)を海に投げ入れようとする躍動感溢れる姿を巧みに表現している。  仲秀英

江戸天下祭に出展

 徳川家康が江戸幕府を開いて丁度400年となる平成15年(2003)の11月22日(土)から24日(祝)まで、東京都千代田区で江戸天下祭(えどてんかまつり)が開かれ、絢爛豪華な江戸時代の祭りが再現された。
 里帰りした森下町の山車人形・武内宿弥は、祭り期間中、日比谷公園で展示された。 江戸天下祭

武内宿弥

拡大写真(1200x900)165KB 【E-1  108mm   F3.5 1/50秒 ISO200 】

 

ふるまい酒

  森下町祭典事務所では、地元青梅市沢井で仕込まれた澤乃井の樽酒が開けられ、訪れる人に升酒がふるまわれていた。私もご相伴にあずかったが、塩皿の塩を嘗めながら飲む地酒は、本当に美味かった。  澤乃井
  夏祭ふるまい酒に塩を嘗め 北舟 

ふるまい酒

拡大写真(1200x900)175KB 【E-1  34mm   F7.1 1/250秒 ISO200】

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