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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年11月2日改訂

♪埴生の宿メドレー

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鎮魂の時鐘の響天高し   北 舟

2006年11月2日作成

航走する戦艦「大和」

航走する戦艦「大和」(大和のふるさと/広島県呉市)

戦艦大和の故郷

時鐘

 

大和波止場やまとはとば

   大和ミュージアムの海側は、大和波止場と呼ばれ、プロムナードデッキといった趣がある。無料で開放されているので、ウォーターフロントのデートコースや呉市民の憩いの広場として人気を集めている。

大和波止場の案内図

大和波止場の案内図

資料
 

テクノスーパーライナー

 

 テクノスーパーライナーは、平成元年(1989)に研究・開発がはじまり、速力50ノット(時速93キロ)、貨物積載量1000トン、500海里(930キロ)以上の航続距離を持ち、荒れた海でも安全に航行できることを目標に研究開発が進められてきた超高速貨物船である。展示のものは、最初の自航基本モデル。

  【要目】 全長:12.70m 幅:3.68m 吃水:4.00m 最大速力:24.3kt(時速45.0km) 推進器:ウォータージェット2基 船体材質:アルミ合金 乗員:11名 

テクノスーパーライナーTSL

テクノスーパーライナーTSL

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潜水調査船「しんかい」

 

 潜水調査船「しんかい」は、戦後初の本格的潜水調査船として、海底地形、地質調査、漁場調査、海底地震の観測などのため、川崎重工業(株)神戸工場で建造され、昭和43年(1968)3月22日に竣工し、海上保安庁で運用されていた。深度600メートルまで潜航可能で、昭和51年度(1975)に退役するまで、伊豆半島沖などで307回の潜水調査を行い、生物や地下資源などの海洋調査に成果を残した。

  【要目】 排水量:90.88t 全長:16.52m 幅:5.53m 吃水:4.00m 最大速力(水上/水中):2.35kt(4.4km/h)/2.24kt(4.1km/h) 航続時間:1.5ktで10時間 推進機関:主水中電動機11kwx1基 耐圧球材質:NS高張力鋼 乗員:4名 

潜水調査船「しんかい」と潜水艦「あきしお」

潜水調査船「しんかい」と潜水艦「あきしお」

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水中翼船「金星」

 
  この快速船は、昭和41年(1966)7月20日に日立造船(株)神奈川工場で竣工し、海上交通高速化の幕開けを告げる船として石崎汽船(株)の広島〜呉〜松山(高浜港)航路に就航した。従来、平清盛が開削した音戸ノ瀬戸を通っても広島〜松山間は、フェリーで2時間40分かかっていたものが、1時間10分に短縮したことは、画期的なことであった。
 

【要目】総トン数:63.75t 全長:19.35m 幅:7.5m 吃水:2.11m 最大速力:35.0kt(時速64.8km) 旅客定員:68名 

 

水中翼船「金星」

水中翼船「金星」

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甲板かんぱん 広場
 
   大和波止場の自慢は、戦艦「大和」の前部甲板左舷側を実物大の広さで再現していることである。写真下の右側がその部分で、甲板広場と呼ばれている。

大和ミュージアムと大和波止場

大和ミュージアムと大和波止場

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大和前部甲板の左半分の広さを再現した甲板広場

大和前部甲板の左半分の広さを再現した甲板広場

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砲台を模した船橋展望台

砲台を模した船橋展望台

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大和の時鐘

 
   広場の一角にぴかぴかの「とまや」と表示された時鐘があり、自由に鐘を鳴らすことができる。時鐘は、その艦が就役している間、昼夜を問わず30分毎に当直の時鐘番兵(じしょうばんぺい)が鐘を鳴らして艦内に時刻を告げるもので、その艦のシンボルともいえるものである。

ピカピカの大和の時鐘

ピカピカの大和の時鐘

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 鎮魂の時鐘の響天高し  北 舟 
 

ポンド

   大和ミュージアムの池はポンドといい、浅いプールになっていて、親子がリモコンボートで楽しむ姿がみられた。当たり前のように今ある平和を謳歌する呉市民の日常生活のひとこまが緩やかに流れていた。

池でリモコンボートを楽しむ家族

池でリモコンボートを楽しむ家族

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大和を操縦する人

大和を操縦する人

航走する戦艦「大和」

航走する戦艦「大和」

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埴生はにゅう

宿やど

HOME, SWEET HOME  by Henry Bishop
 

リメイク版 (1985)

ビルマの竪琴

中井貴一  資料

 
 BGMに流れる曲は、誰もが一度は口ずさんだことのある名曲「埴生の宿」。英国のヘンリー・ビショップが1852年に作曲した。日本には明治時代に紹介され、里見義の訳詩で親しまれている。原詩は米国のジョン・ハワード・ペインによるオペラ「Clari, Maid of Milan」から採ったもの。
 「埴生(はにゅう)」とは、粘土性の土の雅語的表現で、「埴生の宿」とは土で塗った粗末な家のこと。
 昭和31年(1956)制作の日本映画「ビルマの竪琴」でこの曲が使われた。太平洋戦争末期のビルマ戦線、井上小隊長は、隊の士気が下がらないよう部下に合唱させるのを常としていた。それに合わせて、自作の竪琴で伴奏するのは水島上等兵だった。ビルマ(現ミャンマー)からタイへ逃れる際、敵軍に包囲されたとき、水島の奏でる「埴生の宿」に合わせて英語の歌が聞こえてきた。彼らはそこで戦うことはなかった・・・。

★☆★彡

 尺八の美しい音色は、感動写真集でお馴染みの日當鶴山(ひなた・かくざん)(本名・日當博喜)さんのオリジナル演奏で、Wa☆Daフォトギャラリーのために特別に録音してお送りいただい貴重な曲である。日當さんは、現在、海上保安大学校海上安全学講座(航海)の教授をなさっておられる。 日當博喜  尺八演奏:埴生の宿
 

 
 

 

    
         埴生の宿

 
                 訳詞:里見義
 
 
埴生の宿も わが宿
玉の装い 羨(うらや)まじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
楽しとも たのもしや


(ふみ)読む窓も わが窓
瑠璃の床も 羨(うらや)まじ
清らなりや 秋の夜半
月はあるじ 虫は友
おお わが宿よ
楽しとも たのもしや
 
                   Home, Sweet Home
                                             by J. W. Payne
   
Mid pleasures and palaces though we may roam,
Be it ever so humble, there's no place like home;
A charm from the skies seems to hallow us there,
Which, seek through the world, is never met with elsewhere.
Home, sweet home, There's no place like home,
Home, sweet home, There's no place like home,

An exile from home, splendor dazzles in vain;
Oh! give me my lowly thatched cottage again;
The birds singing gaily, that come at my call:
Give me them and that peace of mind, dearer than all.
Home, sweet home, There's no place like home,
Home, sweet home, There's no place like home,
 
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