ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク
 

和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年11月2日改訂
軍艦マーチ」メドレー

拡大写真(1500x1800)363KB

行く秋や菊のご紋の艦首かな   北 舟

2006年11月2日作成

威風堂々の大和

威風堂々の大和(大和のふるさと/広島県呉市)

戦艦大和の故郷

大和

 

姿をあらわした大和

   入場料500円を払って艦内に入ると、目の前に全長26.3mの戦艦大和の十分の一の精巧な模型が現れる。4段のフロアーがあり、あらゆる角度から大和の外観を鑑賞することができる。

全長26.3mの戦艦大和1/10模型

全長26.3mの戦艦大和1/10模型

拡大写真(1600x1200)282KB

 

戦艦大和せんかんやまと

 
   大艦巨砲主義の象徴とされる戦艦「大和」は、大日本帝国海軍が呉海軍工廠で建造した大和型戦艦の一番艦で、奈良の大和国にちなんで命名された。第二次世界大戦開戦直後に竣工・就役し、司令部設備に改良が施された二番艦「武蔵」が長崎で建造され就役するまで、連合艦隊の旗艦をつとめた。

呉海軍工廠で建造中の大和 / 昭和16年(1941)9月20日

呉海軍工廠で建造中の大和 / 昭和16年(1941)9月20日

資料

 

戦艦大和の建造

 

 大和(計画名A140F5)は、昭和12年(1937)11月4日、呉海軍工廠の造船船渠(せんきょう)(造船ドック)で起工された。その乾(かん)ドックは大和建造のために拡張され、長さ314m、幅45m、深さ11mとなった。米国に大和を超える戦艦を作らせないために秘密裏に建造され、当初は海軍の中でも一部に知らされるだけだったという。

 

大和の主砲と艦橋

大和の主砲と艦橋

拡大写真(1800x1300)373.KB

 

 眼鏡橋(めがねばし)と呼ばれる国鉄呉線のガード橋から南は、関係者以外通行禁止となり、機密保持のために造船所を見下ろせる場所には板塀が設けられ、ドックには艦の長さがわからないよう半分に屋根がかけられた。建造に携わる者の身元調査が行われるなど、造船所自体が厳しい監視下におかれた。

大和の艦橋

大和の艦橋

拡大写真(1600x1333)267KB

 

「大和」の進水

 
   大和は昭和15年(1940)8月8日進水、「天皇陛下進水式御臨席」の噂も飛び交うなか、海軍大臣代理により、それまで「一号艦」と呼ばれていた戦艦は「大和」と命名された。進水といっても、武蔵の様に陸の船台から海中に滑り下りるのではなく、乾ドック(ドライドック)に注水して浮上させるだけなので、派手さはなかった。  
   機密保持のため、進水式は公表されず、世界一の戦艦の進水式としては寂しいものだったという。  

艦橋を防御する多数の備砲群

艦橋を防御する多数の備砲群

拡大写真(1400x1050)230KB

 

 「大和」とは奈良県の大和国(やまとのくに)から命名したといわれるが、大和には日本そのものを象徴する意味合いも含まれており、海軍の本艦にかける期待が最高のものであったことが伺われる。

船首に菊の御紋をつけたスリムな大和

船首に菊の御紋をつけたスリムな大和

拡大写真(1300x1600)233KB

 行く秋や菊のご紋の艦首かな  北 舟 
 

球状艦首(バルバス・バウ)

 
 
 大和には当時の最新技術が多数使用されていた。球状艦首(バルバス・バウ)により、造波抵抗を低減して速度の向上をはかり、跳弾の少ない平頭弾の採用や、煙突などの蜂の巣状の装甲(ハニカム構造)などがあげられる。

4軸2舵の大和の船尾

4軸2舵の大和の船尾

拡大写真(1425x1600)274KB

 
 その他、観測用の望遠鏡や測距儀も巨大化・高性能化され、レーダー技術などを除けば日本としては世界一の戦力を有する軍艦であると自負していた。
   写真下は、縦に並んだ2枚舵。プロペラの奥に小さな舵がある。現在の造船工学ではあり得ない構造である。  

縦に並んだ2枚の舵

縦に並んだ2枚の舵

拡大写真(1400x930)121KB

 

戦艦大和の要目

 

起工:昭和12年(1937)11月4日    進水: 昭和15年8月8日    就役:昭和16年12月16日    除籍:昭和20年8月31日

 
 

満載排水量:65,000t 全長:263.0m 最大幅:38.9m 平均吃水:10.58m 最大速力:27.46kt(51km/h) 航続距離:16.0kt(29.6km/h)で7200mile(1334km) 軸馬力:153,553hp 乗員:3,300人

威風堂々の大和

威風堂々の大和

拡大写真(1500x1800)363KB

 

戦艦大和の装甲と兵装

 
 

装甲:舷側410mm 甲板200mm〜230mm 主砲防盾(ぼうじゅん)650mm 

 
 

兵装:3連装45口径46cm砲x3基 3連装60口径15.5cm砲x4基(後2基) 40口径12.7cm連装高角砲x6基(後12基) 25mm3連装機銃x8基(後52基/単装機銃x6基) 13mm連装機銃x2基

大和の鳥瞰(バーズ・ビュー)

大和の鳥瞰(バーズ・ビュー)

拡大写真(1600x1200)330KB

 

九一式徹甲弾きゅういちしきてっこうだん

 
   昭和6年(1931)採用された徹甲弾。戦艦など装甲の艦艇用の砲弾で、水面に落下すると、弾丸の先端にかぶせてある覆い(風帽)が外れ、弾頭が平頭になる。このため、水中を直進して、従来ほとんど効果がなかった目標手前に落下した近弾(きんだん)の威力を著しく高めた。

砲弾の展示

砲弾の展示

拡大写真(1600x1120)179KB

 

九三式魚雷と九五式魚雷

 
   手前二本の九三式魚雷は、ワシントン条約で主力艦の数を抑えられた日本海軍が、これを補うために進めた長射程の酸素魚雷である。従来の魚雷の欠点であった射程距離の不足と航跡発生の問題を解決するため、燃料酸化剤に純粋な酸素を用いた。
   太平洋戦争までにこの実用化に成功したのは日本だけだったという。細い魚雷は、九五式魚雷で、潜水艦などに搭載するために小型化したもの。  

新開発魚雷の展示

新開発魚雷の展示

拡大写真(2000x880)336KB

 
生き残った駆逐艦 雪風ゆきかぜ
   雪風は、日本海軍の駆逐艦で、第二次世界大戦を戦い抜き、陽炎型駆逐艦(かげろうがた・くちくかん)の中で唯一終戦まで生き残り、「奇跡の駆逐艦」と呼ばれた。日本の駆逐艦は、太平洋に点在する島の守備隊に物資を輸送するのに使われたため非常に損害率が高かった。
  【要目】基準排水量:2033t 全長:118.5m 最大幅:10.8m 喫水:3.8m 出力:52000馬力 速力:35.5kt 航続距離:5000浬/18kt 乗員:239人 兵装:12.7cm50口径連装砲×3 25mm機関砲(機銃)×2 61cm魚雷発射管×2
対潜水艦用爆雷16個 外
 

陽炎型駆逐艦「雪風」 / 昭和15年(1940)1月

生き残った駆逐艦「雪風」

米軍資料

 

無事だった国旗の寄せ書き

 
   館内に駆逐艦「雪風」を送る国旗の寄せ書きが展示されていた。無事に生き残ったため、こうして展示されたものであろう。「うるむ目に名残惜しかり雪風のしかと見えぬぞもどかしきかも」といった悲壮感漂う送別の辞の中にあって、「禁酒!」「色に迷ふな」などのいかにも生身の人間らしい書き込みもある。

駆逐艦「雪風」を送る国旗の寄せ書き

駆逐艦「雪風」を送る国旗の寄せ書き

拡大写真(1600x1020)257KB

 

軍艦マーチ

 

瀬戸口藤吉(せとぐと・とうきち)

瀬戸口藤吉(せとぐと・とうきち)

拡大写真(490x3770)45KB

資料

 
 BGMに流れる曲は、海軍軍楽隊長だった瀬戸口藤吉が作曲した「軍艦行進曲」で、通称「軍艦マーチ」として知られる。
 明治30年(1897)鳥山啓作詞の「此の城(のち、軍艦)」に曲を付けて軍歌とし、後日これを編曲して行進曲として発表された。
 日本を代表する行進曲で、ドイツのカール・タイケ作曲「旧友」とアメリカのジョン・フィリップ・スーザ作曲「星条旗よ永遠なれ」とともに世界三大行進曲の一つに数えられている。
 一般にも広く浸透し、運動会や祭、商店などの景気付けの音楽としても多用され、歌詞は浸透しなかったが、曲は多くの人に知られている。(パチンコ店の曲ではないので、念のため。)
1.




 
守るも攻むるも黒鐵(くろがね)
浮かべる城ぞ頼みなる
浮かべるその城日の本(もと)
皇國(みくに)の四方(よも)を守るべし
真鐵(まがね)のその艦(ふね)日の本に
(あだ)なす國を攻めよかし
 




2.




 
石炭(いわき)の煙は大洋(わだつみ)
(たつ)かとばかり靡(なび)くなり
(たま)撃つ響きは雷(いかづち)
声かとばかりどよむなり
万里の波濤(はとう)を乗り越えて
皇國(みくに)の光輝かせ

 
   この曲は私の大好きな行進曲で、これを聞くと血湧き肉躍る気持ちになるから不思議である。戦後、軍歌であるために、公式の場で演奏されることが憚られていたが、4年前、神戸に単身赴任中、市内の造船所の進水式に招かれたとき、神戸市消防音楽隊が、突然、軍艦マーチの演奏をはじめた。
 
軍艦マーチが演奏された台湾の巨大コンテナ船の進水式 / 神戸港 2002.9.10
軍艦マーチが演奏された台湾の巨大コンテナ船の進水式 / 神戸港 2002.9.10

拡大写真(1600x1040)256KB)

 
   コンテナ部門では世界最大級の船社といわれる台湾のエバーグリーン社の全長300mを超える巨大なコンテナ船の進水式だったのだが、同社社長やイギリス国籍を取得することから招かれたイギリス副首相ご夫妻などが出席し、造船所側の素晴らしい演出で、無事、神戸港に巨体を浮かべることができた。「軍艦マーチ」の演奏は、エバーグリーン社総裁の直々の注文であることが分かって、感動した。このとき、筆者は、戦後は終わったことを悟り、普遍性をもつこの名曲の偉大さを肌をもって実感した。  巨大船誕生!  EVERGREEN  
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2006 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 

ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記俳句・海の風景ホームページ奮闘記作者のプロフィールリンク