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和田義男

 旅紀行ジャパン

2006年11月2日改訂
「海ゆかば」メドレー

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洋館の講堂残る島の秋   北 舟

2006年11月2日作成

白亜の大講堂/内部

白亜の大講堂/内部(大和のふるさと/広島県呉市)

戦艦大和の故郷

幹候

 

江田島えたじま

   翌日は、呉中央桟橋から小用(こよう)行きフェリーに乗って江田島に行った。江田島は、風光明媚な広島湾に位置し、東は呉市に、北は広島市に、西は那沙美島(なさみじま)を隔てて安芸の宮島に対面し、南は能美島(のうみじま)に連なっている。

呉湾より江田島を臨む

  ↓古鷹山(392m)
 

呉湾より江田島を臨む

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   明治21年(1888)8月に海軍兵学校が東京築地から江田島に移転以来、旧日本海軍の一大海軍士官養成の地となり、戦前・戦中に江田島といえば、海軍兵学校を意味した。現在も海上自衛隊幹部候補生学校(幹候)や第一術科学校などを抱える揺籃の地である。  江田島市(フリー百科事典)  
江田島 小用こよう

江田島小用港

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海軍兵学校

   「海兵」と略称される海軍兵学校は、明治9年(1876)から太平洋戦争終戦の昭和20年(1945)まで存続した大日本帝国海軍の海軍将校の養成を目的とした教育機関である。 海軍兵学校(フリー百科事典)

正門

正門

   海軍機関学校、海軍経理学校とともに生徒三校と呼ばれ、第二次世界大戦後に廃校になるまで、イギリス海軍兵学校(デヴォン州ダートマス)とアメリカ合衆国海軍兵学校(メリーランド州アナポリス)とともに、世界三大兵学校として知られ、12,433名の卒業生を輩出したが、昭和20年12月1日に約60年の幕を閉じた。  
  註:昭和20年3月最後の卒業生74期1072名の卒業生を輩出。終戦時、75期から78期までの4クラス約14,000人が在校しており、昭和20年10月に75期生は兵学校廃校を前に卒業扱いとされた  

正門の左上に聳える古鷹山

↓古鷹山(392m)  

正門の左上に聳える古鷹山

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   江田島の兵学校跡地は、10年間、連合軍が教育施設などに使用したが、昭和31年(1956)1月に日本に返還され、当時横須賀にあった術科学校が当地に移転、その後、昭和32年(1957)に幹部候補生学校が開校し、現在に至っている。

話の面白いOBガイド

話の面白いOBガイド

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超エリート集団

 
   海軍兵学校の採用年齢は16歳から19歳で、必要受験資格は特に無いが、全国から文武両道、男の中の男を自負する優秀な若者が競って志願した超難関校だった。兵科上級将校になるためには絶対に通らなければならない登竜門であり、海軍では第二次世界大戦前までは東京帝国大学以上のエリート校であった。
 そのため、海軍兵学校へ入るための予備校的な学校が全国に存在していた。主な学校には東京の攻玉社と海城、神奈川の湘南、横須賀、逗子開成、広島の修道があった。これらの学校は戦後になって大学受験のための進学校へ衣替えした。

白亜の大講堂/正面

白亜の大講堂/正面

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大講堂

 

 構内は、戦災に遭わなかったことから、戦前の建物がそっくり残されている。この大講堂は、当時40万円(30〜40億円相当)をかけて5年計画の大工事の末、大正6年(1917)に完成した。瀬戸内産の御影石(花崗岩)で造られた西洋風の立派な建物である。

白亜の大講堂/出入口

白亜の大講堂/出入口

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 洋館の講堂残る島の秋  北 舟 
   収容人員約2000名の大講堂は、床は全面石畳で、2階には貴賓席がある。天上はドーム型で、舵輪をかたどったシャンデリアが下がっている。海軍兵学校時代には、天皇の名代として宮様のご臨席を仰ぎ、入校式、卒業式などの儀式が行われた。

白亜の大講堂/内部

白亜の大講堂/内部

パノラマ写真(2000x1035)294KB

   この大講堂は、老朽化が著しかったため、平成10年(1998)に大改修が行われ、外観だけでなく、内部の隅々まで完全にリニューアルされ、新品同様となった。  
   旧日本海軍は、イギリス海軍の伝統を取り入れ、何から何までイギリス式を取り入れ、テーブルマナーマまでそっくり真似た。大講堂も見劣りしないように配慮されたため、演壇もイギリス風で、赤い絨毯に桜に錨のマークが誇らしげである。

豪華な演壇

豪華な演壇

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同期の桜

 
   海軍兵学校を表す軍歌「同期の桜」が有名で、その歌の通り、江田島に通った軍人は、同じ釜の飯を食った海軍兵学校の同期を何よりも大切にした。日本海軍にいる限り、どうしても出世に差が生じ、同期でも上官と部下になることもあったが、職務を離れれば「貴様と俺」で話が通じる対等の立場であるという不文律があった。

白亜の大講堂/後部

白亜の大講堂/後部

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