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ルクソールの位置 |
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資料 |
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ルクソールは、カイロの南方670kmにあるエジプトの地方都市。古代エジプトの都テーベがあった場所で、現在も数多くの遺跡が残っている。市域はナイル川によって東西に分断されている。 |
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日が昇る方角であるナイル川の東岸には、カルナック神殿やルクソール神殿など生を象徴する建物があり、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する王家の谷や王妃の谷などがある。特に、王家の谷にあるツタンカーメン王の墓は有名。 |
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カルナック神殿の第一塔門 |
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ルクソールには、日本のエジプト考古学の第一人者で、テレビにもよく登場する早稲田大学・吉村作治客員教授率いる早稲田ハウスがあり、エジプト遺跡の調査・発掘活動の拠点となっている。ハイテクを導入した調査方法で遺跡を発掘する手法が評価されており、「日本のインディ・ジョーンズ」との声もあるとか。
吉村作治のえじぷとぴあ 早稲田大学エジプト学研究所 |
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ラムセスII世の巨像(北側) |
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午前7時45分からルクソール東岸にあるカルナック神殿を見学。ここは広大な敷地を持つ神殿群で、アメン大神殿を中心に南にムート神殿、北にメンチュ神殿などがある。 |
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ラムセスII世の巨像(南側) |
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ファラオと呼ばれる王が神として君臨していた古王国時代(B.C.2650-2180)アメン神はテーベと呼ばれる小さな地方都市の神でしかなかったが、中王国時代(B.C.2040-1785)にテーベが発展し、第12王朝の時代(B.C.1990-1785)に太陽神ラーと結合し、アメン・ラー神となって国家最高の存在となった。 |
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第2塔門のレリーフ |
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この最高神の庇護の下に歴代のファラオが次々とカルナックに神殿を造営したことから、カルナック神殿は、エジプトの最大規模を誇る神殿となった。 |
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エジプト美術史上最も美しいといわれる大列柱室 |
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幅113m、高さ43mの第1塔門は、エジプトの最大規模を誇る。新王国時代第19王朝(B.C.1310-1186)のラムセスII世が完成させた第2塔門を抜けると、エジプト美術史上最も美しいといわれる大列柱室に至る。 |
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パピルスをかたどった柱が並ぶ大列柱室 |
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この巨大な円柱の合計は134本。中央2列に並ぶ12本の開花式パピルス柱が最も高くて約21m。その他の柱も開花式で高さ15mほどである。柱には、ぎっしりとエジプトの古代文字である「ヒエログリフ」が刻まれている。 |
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エジプトの古代文字「ヒエログリフ」 |
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ヒエログリフ解読の鍵となったロゼッタ・ストーン(ロゼッタ石) Rosetta Stone は、エジプトのロゼッタ*で1799年に発見された石碑で、現在は、イギリスのロンドンにある大英博物館で展示されている。 |
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*ロゼッタ:エジプトの地中海沿岸にある港湾都市。アレクサンドリア東方65km(北緯31度:24分東経30度25分)。 |
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ヒエログリフ解読の鍵となったロゼッタ・ストーン/大英博物館(ロンドン) |
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撮影:和田義男 |
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上段、中段、下段に紀元前の3種類の文字が書かれており、最後の文字は古代ギリシャ語だった。3種類の文字で同じ内容が書かれていると推測され、何人もの学者が解読を試みたところ、最初にトマス・ヤングがファラオ名など固有名詞の解読に成功し、ヤングのアプローチをヒントに、最終的には、ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読された。 |
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ヒエログリフ・アルファベット |
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ラムセスII世(B.C.1314-1224 別説あり)は、ラムセス大王ともいい、古代エジプト第19王朝(B.C.1310-1186)のファラオである。その治世において、エジプトはリビア・ヌビア・パレスチナに勢力を伸張し、最盛期を迎えた。そのため、あちこちの神殿に数多くの石像が見られる。 |
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レリーフとヒエログリフのある巨大円柱 |
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ラムセスという名は、太陽神「ラー」によって生まれたという意味の「ラー・メス・シス」のギリシア語読みで、ラムセII世、ラメセスII世とも表記される。「太陽の王」「光の子ラムセス」とも呼ばれる。古代エジプト史上、繁栄の絶頂を極めたファラオで、大王の称号が与えられている。 |
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発掘作業中のエジプト人たち |
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エジプト人男性は、写真のように、髭を生やし、ガラベイヤを着て頭に白いイスラム・ターバンを巻いている人が多い。ガラベイヤは、エジプト綿を素材とした長袖ワンピースの民族衣装で、通気性が良い。 イスラム・ターバンは扁平で頭の形にそった丸い帽子をかぶり、そこに布を巻いたもの。 |
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掘り出した破片を吟味する人 |
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年代には諸説あるが、ラムセスII世は、24歳で即位し、66年間統治し、90歳前後に没したと推測される。その間、第1王妃ネフェルタリのほか、何人もの王妃や側室との間に、賢者として名高いカエムワセト、後継者となるメルエンプタハをはじめ200人もの子をもうけたと伝えられている。また、実の娘であるメリトアメンを妃にしており、当時は近親相姦を忌避する意識はなかったようである。 |
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彩色の残るレリーフとヒエログリフ |
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ラムセスII世のミイラは1881年に発見され、現在はカイロのエジプト考古学博物館に収められている。身長は183pあり、古代エジプトの成人男性の平均身長は160〜165pであったことを考えると、並はずれた長身であった。 |
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有名なラムセスII世の巨像 |
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調査による死亡推定年齢は88〜92歳で、驚くほど長命であった(古代エジプト人の平均寿命は35〜40歳)。ミイラに残されていた頭髪から、髪の色は赤茶であると推定されている。 |
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第4塔門とハトシェプスト女王のオベリスク |
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第3塔門から第5塔門にかけて2つのオベリスクが立っている。第4塔門から第5塔門の間に立つハトシェプスト女王のオベリスクは、高さ約30m、重さ約323tonあり、アスワン産の赤色花崗岩で造られている。 |
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牡羊頭のスフィンクス |
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神殿には頭部が牡羊で胴体がライオンのスフィンクスが列をなしている。アメン神の聖獣であるといわれている。 |
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カルナック神殿の聖なる池 |
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現在の聖なる池は修復されたもので、長さ120m、幅77mある。かつては周囲に神官の住居や小鳥の小屋が立ち並び、毎朝、神官たちが池で身を浄めたほか、祭儀においても重要な役割を果たしたという。 |
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ここにもライオンの胴体と牡羊の頭のスフィンクスが・・・ |
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