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エジプトを蛇行するナイル川と砂漠地帯(NASA衛星画像) |
マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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エジプト・アラブ共和国(通称エジプト)は、中東・アフリカにある国で、首都はカイロ。1,001,450km²の国土に7,600万人が住む。西にリビア、南にスーダン、北東にイスラエルがあり、北に地中海、東は紅海に面している。 |
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南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯のほかは大部分が砂漠である。ナイル河口の東に紅海と地中海を結ぶスエズ運河がある。 |
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歴訪したエジプト史跡(赤枠) |
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資料 |
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紀元前(B.C.)5000年頃ナイル川流域に定住した農民が最古のエジプト人といわれている。B.C.3000年頃上エジプト出身のナルメル王が上下二つの王国を統一した。この時から最後の女王クレオパトラVII世が自殺するB.C.30年までが古代エジプト文明として知られるファラオ(王)の時代である。 |
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ピラミッドをはじめとする巨大な建造物や1000の神々を崇める宗教観、ヒエログリフやパピルスの発明による学問の普及など、数多くの高度な文明が花開いた。 |
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ギザの夜明け |
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その後、エジプトはローマの属州となり、紀元(A.D.)7世紀にはイスラム軍がエジプトを征服し、イスラム国家としてのエジプトがスタートすると、ファラオ時代の遺物は盗掘や破壊に遭い、文化もイスラム化していった。古代エジプト文明が再び注目されるようになったのは、18世紀のナポレオンのエジプト遠征により、エジプト考古学が始まってからだという。 |
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ギザの位置 |
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ギザはナイル川中流の西岸に位置するエジプトの都市で、首都カイロからナイル川を越えて15kmほど南西にある。現在では拡大したカイロの都市圏に内包されているが、行政上はカイロから独立したギザ県の県都である。人口はおよそ200万人。 |
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宿泊したメリディアン・ピラミッド・ホテルは、客室からピラミッドが見えるピラミッド・ビューが目玉。我々はここに2連泊したが、私の部屋のベランダからはクフ王(左)とカフラー王(右)のピラミッドがよく見えた。 |
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ベランダから見る朝のピラミッド |
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ツアー二日目の12月10日(金)は、朝9時にホテルを出発し、最初にクフ王のピラミッドを見学。中に入ると若返るというので、内部にも入って見学した。 |
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今から4500年ほど昔のB.C.2500年頃に100年の歳月をかけて建設されたクフ王の大ピラミッドは、ピラミッドの中で最大のもので、「大ピラミッド」や「第一ピラミッド」とも呼ばれる。基礎部分の四角形の一辺は230.3m、傾斜角は51.50度。現在は頂上部分が9mほど崩落しているが、建設当初は146.6mの高さがあったという。 |
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クフ王の大ピラミッド |
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初めて中に入ったのは、9世紀のスルタン* アル・マムーン率いる盗掘団で、彼が石をくり抜いて造った入口は、現在、観光用の入口として利用されている。後に残された記録では、大回廊や玄室**(らしきもの)を発見したが、ファラオの財宝のようなものは何もなかったという。 |
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*スルタン:アラビア語で「王族、王族の配偶者」のこと。 **玄室:横穴式石室の主要部分で、棺を納める室。 |
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世界最大のピラミッド |
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1.入口(閉鎖) 2.盗掘孔(アル・マムーンが開けたもので、現在の入口) 3.上昇通路入口 4.未完の地下室 5.脱出孔 6.上昇通路分岐点 7.王妃の間 8.大回廊 9.控えの間 10.王の玄室 11.重力軽減の間 12.通気孔 |
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クフ王のカルトゥーシュ |
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このピラミッドがクフ王のものだと判定されたのは、断面図11の「重力軽減の間」の壁にクフ王のカルトゥーシュ cartouche が記されていたからである。 |
カルトゥーシュは、ファラオ(王)の名前を表すヒエログリフ(古代エジプト文字)である。 |
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何のために建設されたか分からないピラミッド |
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クフ王のピラミッドをはじめ、古代エジプトにおいて建設されたピラミッドは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物で、王が天に昇る為の階段としての役割があるとか、その斜めの外形が太陽光を模したものであるなどといわれているが、何のために建造されたかは未だに謎となっている。 |
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使われていない正規の入口 |
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ピラミッドは、王の墳墓であるという説や、民衆を雇用して労働の機会を与える公共事業のために建造されたものとする説などがあるが、いずれも決め手を欠いている。ピラミッド本体には基本的に北面に入口があり、玄室と思われる部屋に至る道や「重力分散の間」と呼ばれる謎の機構など、未解明の仕掛けがある。 |
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太陽とピラミッド |
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クフ王の大ピラミッドは、その保護のため1日300人という入場制限があるので、朝早く行かないと入れない。ツアーでは必ず最初に訪れることになる。観光客用の入口は9世紀に盗掘に入ったアル・マムーンが開けたものをそのまま使っている。 |
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内部は湿気が多くて暑い。急な階段を上がったり、腰をかがめて歩いたりしなければならないので、内部探検はかなりきつい。写真を撮るようなものはなく、こんなもんだということが分かるだけである。 |
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ギザの三大ピラミッド |
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クフ王(左)・カフラー王(中)・メンカウラー王(右)のピラミッドを総称して、ギザの三大ピラミッドと呼ぶ。クフ王のピラミッドを見学したあと、三大ピラミッドが見渡せる地点に移動し、キャメル・ライディングを楽しんだ。 |
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観光客に人気のキャメル・ライディング |
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駱駝に乗って出発! |
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はるばる極東の地からアフリカ大陸に渡航し、三大ピラミッドを背景にギザの駱駝に乗って記念写真を撮ったがその感激は一入である。人類の文明を育んできた7000年の歴史の中で、現代に生きる自分の存在を自覚する。昨日の朝、成田を出発して今朝ここにいることの凄さに、最先端の文明社会に生きる実感がある。 |
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駱駝の背で記念撮影 |
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続いて、靴袋を付けて、太陽の船博物館に入場した。ここには、クフ王のピラミッドから発見された世界最古の大型木造船が展示されている。この「太陽の船」は、亡くなったファラオの魂が天空を往来するときに使われるもので、昼の船と夜の船の2種類があると考えられていた。 |
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博物館の船は、1954年に発見された第1の太陽の船で、その後1987年に早稲田大学・吉村作治客員教授(現)率いる日本の調査隊が第2の太陽の船を発見している。発見当時は、バラバラに解体され、ピットと呼ばれる溝に埋められていたという。 |
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ファラオの魂を乗せる太陽の船 |
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ピラミッドは、単体で完成したものではなく、付随する葬祭殿等との複合体として考えるべき特徴を持つ。カフラー王のピラミッドは、三大ピラミッドの中央に位置するもので、ピラミッドから延びる参道や河岸神殿、スフィンクスがセットになった「ピラミッド・コンプレックス」と呼ばれる複合体が綺麗に残っているのが特徴である。 |
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広大なカフラー王のピラミッド・コンプレックス |
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カフラー王は、古王国第4王朝(B.C.2610-2490)の2代目ファラオ・クフ王の後に在位したファラオで、クフ王のピラミッドの後に建造されたこのピラミッドは、基礎部分の四角形の一辺は215m、傾斜角は53.10度。建造時の高さは143.5mで、現在は崩落により136.40mとなっている。 |
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ピラミッド自体の大きさは二番目だが、クフ王のピラミッドより高い台地に建造されているので、体感では最大に見える。四角錐の頂上には石灰石の化粧石が、基部には花崗岩の化粧石が残っていて、美しく装われた当時の姿を想像することができる。 |
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