2001年2月18日制作 |
||
|
||
|
06 |
レジデンツ広場にドムが隣接する。 ドムは、774年に聖ヴイルギルが創建。1181〜1200年に後期ロマネスク様式に改築された。その後16世紀に火災にあい消失、第二次世界大戦でも被災したが、1956年に修築された。内部は大理石、絵画で飾られ、半球天井には十字架が組み込まれている。パイプオルガンはヨーロッパ最大級といわれ、6,000本のパイプが使用されている。 ドムの入口の右手の階段の上には、大聖堂の宝物を展示したドム博物館がある。マリア像が立つ、大聖堂前の広場Domplatzでは、1920年に、フーゴ・フォン・ホフマンスクール作の戯曲「イェーダーマン」が上演され、これがザルツブルク音楽祭の始まりとなった。音楽祭と緑の深い、名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの葬儀もこの大聖堂でとり行われたという。 観光馬車 ウィーンのドム、シュテファン寺院 Stephansdom と同じように、観光馬車が客を待っている。客がつかず、馬も寒そうだ。 |
|||||||||||||||
07 | 写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1900x1159)155KBが表示されます。 |
旧市街にあるゲトラデガッセ。幅3mほどの狭い道路。通りの両側には隙間なく商店が並び、そのひとつひとつが手の込んだ鉄細工の看板を掲げていて、それをみて歩くだけでも楽しい。 この奥に、モーツァルトの生家がある。 モーツァルトの生家 ゲトライデガッセ9番地に、この町の誇るモーツァルトの生家がある。 |
||||||||||||||
08 | 写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1200x832)135KBが表示されます。 |
レオポルトの家系からは建築師,彫像師,造本装丁師など親方が輩出していた。レオポルトと妻マリア・アンナとの間に生まれた7人の子どものうち,末子のウォルフガング・アマデウスと三女のマリア・アンナ(通称ナンネルル)だけが夭折を免れた。 神 童 ウォルフガングは3歳からその天賦の才を父親に認められ,父レオポルトは息子が4歳のときから音楽のレッスンを開始。5歳の初めころから早くも作曲も開始している。 こうした息子の神童ぶりをザルツブルク以外の土地でも披露しようと,1762年はじめのミュンヘン旅行,つづいて同年秋から翌年はじめまでのウィーン旅行が企てられる。ウィーンではシェーンブルン宮殿で女帝マリア・テレジアの前で行った御前演奏など数々のエピソードを生んだ。 |
||||||||||||||
09 | 写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1873x1225)230KBが表示されます。
|
ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった館だ。ジュリー・アンドリュース演じる修道女見習いのマリアが海軍小佐の住むこの館に家庭教師でやってくる。小佐は、奥さんを亡くし、男手ひとつで7人の子供達を育てているのだが、家庭教師が愛想を尽かして逃げ出す毎日。そういった家庭にマリアがやってくる。 紆余曲折の後、マリアは子供達の信頼を勝ち取り、いつしかトラップ小佐と愛が芽生える。そして二人は結婚する。ドイツ占領下のほんのひとときではあったが、幸せな家庭生活を送る。ドイツ占領下のこの館で、小佐はオーストリアの国旗 を掲げ続ける。 ザルツブルクにあるこの建物で実際にロケが行われ、現在も保存されている。残念ながら、この建物は個人所有のため、内部は公開されていない。こうして遠くから眺めるだけだ。この湖で子供達が遊び、ボートが転覆したシーンもあった。森と湖の素晴らしい環境に恵まれた美しいザルツブルク。今も昔と何ら変わらないたたずまいで我々観光客を優しく迎えてくれる。
|
||||||||||||||
10 | 写真をクリックすると新しい窓が開き拡大写真(1400x964)207KBが表示されます。
|
聖ルペルトが696年に開いた僧院・聖ペーター教会の墓地。さまざまな美しい鉄細工の墓碑や初期キリスト教徒のカタコンベがあり、見学できる。 この墓地は見覚えがある。映画「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家がドイツのゲシュタポに追われ、逃げ込んだ墓地だ。マリアたちを助けたのは、修道女達だ。ゲシュタポの自動車フォルクスワーケンのエンジンの部品を抜き取って、エンジンがかからないようにしたのだ。かくて、ドイツ占領下にあってもオーストリアの国旗
を掲げ続けた誇り高きトラップ一家は、ザルツブルクを無事に脱出してアルプス越えを果たし、自由の国スイスに逃れる...という感動の結末で物語は終わる。このミュージカルで生まれたのが「サウンド・オブ・ミュージック」であり、「ドレミの歌」であり、永遠の名作「エーデルワイス」だった。
エーデルワイス 目を閉じると、今でもザルツブルクの音楽祭でトラップ一家が歌うエーデルワイスの歌声が聞こえてくる。 「エーデルワイスよ、エーデルワイスよ、我が祖国を永遠に祝福しておくれ!」という最後のフレーズは、思わず涙が出るほどに美しく、深く感動したものだった。ちなみに、bless とは十字を切って神の祝福(ご加護)を祈ることなのだ。典型的な言葉は、いつも良く聞く God bless me! (神のご加護を!)だ。どうしようもない絶体絶命の時に、思わず発する言葉である。日本人であれば、船が遭難したときなどに、手を合わせて神仏のご加護を祈るのと同じ状況なのだ。英和辞典によると、edelweiss は〈ドイツ語「気高い」と「白」から〉となっている。 edelweiss を口ずさみながら、ザルツブルクへの旅は終了した。満足感いっぱいの一日だった。(fine) |
|