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カルカソンヌ Carcassonne フランス南西部ラングドック地方に位置するオード県の県都。オード川とミディ運河に面し、トゥールーズの南東90kmに位置する。人口4万5000(1990)。地中海と大西洋を結ぶ交通上の要衝で、その地理的位置の重要性は古代から認められ、前1世紀以来ローマ帝国の属州ナルボネンシスの要塞都市が建設されていた。5世紀には西ゴート族、8世紀初頭には一時イスラム勢力の占拠するところとなったが、のちフランク族の支配下に入った。その後400年トゥールーズ伯支配下の伯爵領、子爵領として栄えた。13世紀異端者懲罰を目的としたアルビジョア十字軍(1208‐14)によってフランス王家とトゥールーズ伯との争いの舞台となり、1247年フランス王家に属した。
アルビジョア十字軍
13世紀初頭アルビジョア派異端討伐のため、フランス南部トゥールーズ伯領に進攻した十字軍。戦乱は、カペー王権の南部進出をもたらし、フランス統一の大きな里程標となった。この異端への対抗伝道からドミニコ会が誕生し、また渦中で新設された異端審問は長くヨーロッパに猛威を振るった。アルビジョア派とは、カタリ派異端の地方的呼称である。
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資料画像
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シテ La cite 町は二つの部分から構成される。シテとよばれるオード川右岸丘陵上の都市は古代に起源をもち、13世紀初頭の破壊ののちルイ9世、フィリップ3世によって復旧、補強された。その後、軍事上の意義が失われ、城塞都市は荒廃の一方であったが、19世紀になって、作家で歴史家のメリメの進言に基づいてその歴史的意義が認められ、美術史家ビオレ・ル・デュクがもとの姿に復元した。
シテは城館を囲む城壁を含めると三重の厚い城壁に囲まれ、外壁の周囲は1kmに及び、今日ヨーロッパに残された最大の城塞都市として知られる。全部で50以上に及ぶ櫓(やぐら)、その間をつなぐ重厚な城壁そして狭間(はざま)や胸墻(きようしよう)などは、中世の戦闘場面を彷彿とさせる。
変形六角形をした城壁の中は直交する東西南北の通りで方格状に仕切られており、計画都市のプランは今日そのままに残されている。丘陵上の古代に起源をもつ城塞都市、そして中世の建設都市という二つの都市の存在は、カルカソンヌを都市史上重要である。 |
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徒歩のツアー 1999年10月31日午後、アヴィニヨンから高速道路を飛ばしてきたバスは、カルカソンヌに到着。カルカソンヌの市街は狭い。アヴィニヨンと同じように、戦災に遭っていないからなのだろう。直ちにHotel
Mercure
にチェックイン。荷物を部屋に入れたところで、ロビーに集合。歩いて城塞へ。駐車場を横切り、正面の吊り橋を通って入場。コムタル城
Chateau Comtal
から見学する。
城塞都市の入り口付近には、HOTELと表示された白い建物があり、せっかくの景観を損ねているのは残念だ。附近は駐車場である。
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城塞都市の入口 城塞都市シテに入るには、吊り橋(ランプウェー)を通り、シテを守るコムタル城に入る。
コムタル城を見学する前に、城壁で囲まれた町の一角にあるレストランで昼食をとった。レバーサラダ、鴨肉、フレンチフライドポテト、バリバリのアップルパイ。白ワイン1グラス16フラン(300円)。まあまあの味だった。
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コムタル城 Chateau Comtal カルカソンヌの二重になった堅固な城壁は、ヨーロッパ最大といわれ、1997年にユネスコの世界遺産に登録された。町は、市内を流れるオード川Audeを挟んで、下町
Ville Basse と城塞に囲まれたシテ La
cite
とに分かれている。シテの町は一周1,500mと予想外に大きくない。 城塞のとんがり帽子が特徴の塔は52を数える。ビオレ・ド・デュックという建築家が塔にとんがり帽子をかぶせたらしい。ケビンコスナーの映画「ロビンフッド」はカルカソンヌでロケが行われたという。「カルカソンヌを見ずに死ぬことはできぬ」という諺もある。ナポリと同じような話だ。それほど美しい。
シテは、城下町ならぬ城中町といったところだが、今でも1,000人ほどの人が住んでいる。レストランやホテルの他に、土産物屋も多い。建物を勝手に造ったり直したりできないので、町は中世そのままのたたずまいだ。
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