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教会の一画に裸体の女性のグロテスクな姿に蛇やカエルがその乳房や性器に噛み付いているレリーフがあり「淫乱の彫刻」と呼ばれている。女児が遊ぶこのような場所に、何故目を被いたくなるような陰惨な彫刻が存在するのか、理解できない。 |
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モワサック修道院【5】 〜修道院の美しい回廊1/2〜 |
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教会の北側にある回廊は、世界一美しいという。この回廊が出来たのが1100年で、それを暗号であらわしている柱など76本の柱には、それぞれ美しい柱頭彫刻が施されており、ひとつひとつ観賞するだけでも楽しい。 |
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モワサック修道院【6】 〜修道院の美しい回廊2/2〜 |
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サンティアゴ・デ・コンポステーラは、スペイン、ガリシア州、ア・コルーニャ県の都市で、ガリシア州の州都である。自治州政府(Xunta
de Galicia
シュンタ・デ・ガリシア)が置かれ、ガリシア州の政治の中心であると同時に、宗教的には大司教座が置かれている。旧市街は1985年にユネスコ世界文化遺産に登録されている。 |
エルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつであり、世界遺産に登録されている「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の終着地である。
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サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(スペイン) |
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2000年前、ユダヤ教系譜でありながら新たな宗教的な考えを唱えたイエスがユダヤ教徒とローマの兵隊によりエルサレムで処刑された。そしてイエスの弟子の一人であった聖ヤコブ St Jacob
(スペイン語で「サンティアゴ」Santiago)はユダヤ教徒の迫害からスペインへ逃れた。 |
しかし当地でイエスの唱えた原始キリスト教の布教を行なった後、聖ヤコブはユダヤの地へ戻った際に捕らえられ処刑された。聖ヤコブはイエスの弟子の中で最初の殉教者となり、後に信徒たちの手で遺体は再び「スペインへ運ばれ葬られた」と伝承されてきたが、813年、スペイン西北部サンティアゴ・デ・コンポステーラの地で、この守護聖人ヤコブの墓が発見された。 |
それ以降、サンティアゴ・デ・コンポステーラは、ローマのサン・ピエトロ大聖堂(聖ペトロの墓)、ユダヤのエルサレム、そして15世紀にイスラム教徒により陥落するまでの東方コンスタンティノポリス(イスタンブール)の聖ソフィア大聖堂と共に、キリスト教徒の最重要の巡礼地となった。 |
★☆★彡 |
サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂には、聖ヤコブの遺骸が祀られているため、古くからカトリック教会で最も人気のある巡礼地であり世界中から巡礼者が絶えない。 |
巡礼の街道では、巡礼者は、その証明に帆立貝の殻を荷物にぶら下げる。途中、教会などが宿泊を提供してくれる。最後のコースは、地面に古切れなどを敷きながら膝だけで歩いていく熱心な信者も多い。 |
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モワサック修道院【7】 〜美しい天井〜〜 |
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▼ 都市圏人口約87万人を擁するトゥールーズ
Toulouse
は、フランスの南西部に位置するコミューンで、ミディ=ピレネー地域圏の首府、オート=ガロンヌ県の県庁所在地である。 |
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トゥールーズ市街【1】 〜夕食後の散策〜 20:58 |
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独特の建築的外観を持つ建物が多いことから、別名「バラ色の都市」
la
ville rose
と呼ばれる。これは、他のフランス都市であれば石を山から切り出してきて建築資材に使用するところ、トゥールーズ周辺には資材に適した石がないため、焼いたテラコッタ・レンガを積み重ねて資材としたことによる。 |
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トゥールーズ市街【2】 〜
早朝の散策1/2〜 05.27 07:11 |
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トゥールーズ市街【3】 〜
早朝の散策2/2〜 07:51 |
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トゥールーズにある煉瓦造りのサンセルナン聖堂は、11世紀から13世紀にかけて建造され、現存するロマネスク様式の教会堂建築としては、フランス最大の規模を誇り、サンティアゴ・デ・コンポステーラの街道における重要な巡礼地のひとつとなっている。 |
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サンセルナン聖堂【1】/トゥールーズ 05.27 09:22 |
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撮影:南光桂子 |
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聖堂バシリカの内部には、彫刻を施したロマネスク様式の柱頭や11世紀と12世紀に造られたタンパンが有名。また、地下納骨堂に降りれば、聖遺物の宝物を見学できる。その中には、トゥールーズの最初の司教であり、250年に殉教した聖セルナンの聖遺物があり、この聖堂は彼に捧げられている。 |
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サンセルナン聖堂【2】 〜荘厳な聖堂の内部〜 |
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トゥールーズの中心地、キャピタル広場より南に少し歩いたところに建つオーギュスタン美術館は、ゴシック様式を用いた煉瓦造りの修道院が生まれ変わって美術館となったもので、建物自体にも非常に価値がある。 |
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オーギュスタン美術館【1】/トゥールーズ 05.27
10:13 |
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撮影:南光桂子 |
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14世紀から15世紀にかけて建てられたオーギュスタン修道院は、1793年にルーブル宮殿が美術館として市民に開放されるようになってからまもなくトゥールーズの
ミュゼ(美術館)となり、現在、革命による破壊を免れた12〜14世紀の貴重な彫刻など4000点以上の作品を所蔵するフランス有数のロマネスク美術館として知られるようになった。 |
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オーギュスタン美術館【2】 〜修道院らしい簡素な内部〜 |
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ルーブルが宮殿ならオーギュスタンは修道院。その違いに気づけば、新しい
感動を得ることができるだろう。 |
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オーギュスタン美術館【3】 |
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ヴァン・ノワール(黒いワイン)の名で親しまれている赤ワインの名産地カオールは、フランス南部、ミディ=ピレネー地域圏に位置する人口2万3千人の都市で、ロット県の県庁所在地である。市内にはロット川
Le Lot
が流れており、市内のサンテティエンヌ大聖堂と、ロット川にかかるヴァラントレ橋は、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として登録されている。 |
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サンテティエンヌ大聖堂 【1】/カオール旧市街 13:44 |
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11世紀に建てられた教会のあった場所にロマネスク様式の大聖堂が1080年〜1135年に建設された。後期ロマネスクから初期のゴシック様式への移行期だったために、ロマネスクとゴシック双方の様式が混合した建物となっている。 |
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サンテティエンヌ大聖堂【2】 〜ステンドグラス〜 |
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サンテティエンヌ大聖堂【3】 〜ホタテ貝の貝殻を身に付けた巡礼者たち〜 |
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14世紀に造られたヴァラントレ橋は、カオールの象徴で、要塞化された橋の中ではヨーロッパで最も美しいといわれている。ゴシック様式の6つのアーチと3つの塔がロット川に影を落とす光景は、世界遺産にふさわしい。 |
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ヴァラントレ橋【1】 05.27 14:37 |
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ヴァラントレ橋【2】 〜民族踊祭〜 14:38 |
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ヴァラントレ橋【3】 〜ヴァラントレ橋をバックに記念撮影〜 |
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BGM
に流れる曲は、名曲「愛の喜びは Plaisir d'Amour
」である。ジャン・ポール・マルティーニが作曲したシャンソンで、作詞はジャン・ピエール・クラリス。原語はフランス語だが、イタリア語の歌詞で歌われる場合が多い。甘いメロディとは裏腹に、愛の喜びはたった1日、愛の苦しみは一生という苦い歌となっている。 |
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Plaisir d'Amour |
愛の喜びは |
JPlaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
J'ai tout quitté pour l'ingrate Sylvie.
Elle me quitte et prend un autre amant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
Tant que cette eau coulera doucement
Vers ce ruisseau qui borde la prairie,
Je t'aimerai, me répétait Sylvie,
L'eau coule encore, elle a changé pourtant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie. |
愛の喜びは はかなくも消えて
愛の苦しみ 心深く残る
あなたは 私の思い見捨て
新たな愛に 身をゆだねた
この小川が 遠い海へと
野を越え 流れ続けるように
私の愛も
溢れ続くでしょう と
この岸辺で
あなたは言ったのに |
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ヴァラントレ橋【4】 14:59 |
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かおーるの ふぉーくだんすや なつぼうし |
Summer hats, folks dancing at Cahors. |
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ヴァラントレ橋【5】 〜民族踊り〜 15:21 |
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斜面に細長く延びた小村サン・シール・ラポピー(サン・シル・ラポピー)は、「フランスの最も美しい村」の一つに認定され、さらにミディピレネー地方観光局の推奨する「ベスト景勝地
Grands Sites
(45ヵ所)」でもある。 |
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サン・シール・ラポピー【1】 〜フランスで最も美しい村〜 |
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サン・シール・ラポピー村は、南西フランスのミディ・ピレネー地方の丘陵地帯を蛇行しながらゆったりと西に流れるロット川の渓谷に沿い、川から約100mの崖の上にひっそりと佇んでいる。 |
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サン・シール・ラポピー【2】 05.27 16:31 |
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中世の封建時代には、村は領主ラ・ポピー家により治められていた。村の名称の「サン・シル」は聖職者シルから、「ラポピー」は中世の領主名の名残りである。 |
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サン・シール・ラポピー【3】 〜蛇行するロット川の眺め〜 16:40 |
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撮影:南光桂子 |
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20世紀に起こった二度の世界大戦の影響を受けなかった幸運もあり、各時代の領主によって守られた城砦や堅固な造りの住宅など、古くは13世紀〜14世紀のままの姿を留め、1522年にサン・シール・ラポピーの村の中心地に建てられたゴシック様式のサン・シール教会も当時のままの状態を今に伝えている。 |
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サン・シール・ラポピー【4】 〜屋根の中に出窓のある家〜 |
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撮影:南光桂子 |
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今日、一昔前のフランスの面影を色濃く残すサン・シル・ラポピー村の美しい情景にひかれた芸術家たちが移住し、創作に励んでいるという。村の露地に彼らのアトリエもあり、ツーリストの立ち寄りスポットとなっている。 |
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サン・シール・ラポピー【5】 〜雨に濡れた民家〜 |
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サン・シール・ラポピー【6】 〜どこから眺めても一幅の絵になる村〜 |
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撮影:南光桂子 |
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サン・シール・ラポピー【7】 〜今に残る中世の村落〜 |
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サン・シール・ラポピー【8】 〜可憐な花を咲かせる田舎家〜 |
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