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■ 新郎新婦との出会い ■ |
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金井幸子さんと初めて出会ったのは、2006年2月、地中海に臨むアフリカ北岸のチュニジア Tunisia にて。当時、アラビア語留学生として、また、チュニジアの日系旅行代理店で働いていた彼女に、チュニジアの首都チュニスTunis での当社橋梁建設プロジェクトの経理補佐として3足のわらじを履いてもらうことになった。
彼女とは、仕事以外でも数少ないチュニジアでの日本人仲間として、サハラ砂漠に旅行したり、食事に行ったりと、彼女を抜きにしては充実したチュニジア生活を送ることは出来なかったと思う。(サハラ砂漠の旅行については、筆者の処女作 チュニジアサハラ砂漠 をご覧いただきたい。)
一方、新郎であるフランス人のエマニュエル Emmanuel 君は、フランスの大学を卒業後、日本の大学に留学し、その後、2006年4月に当社に入社。早速5月から同じフランス語圏ということもあり、チュニジアに赴任してきた。
当社の独身者と単身者は、マンションで共同生活をしており、2008年3月にエマニュエル君が退職するまでの2年間、彼と私は隣の部屋に住み、風呂・トイレを共同で使用し、同じ釜の飯を食う同僚という間柄だった。
二人の馴れ初めは、彼が退職した後の2008年8月。幸子さんがフランスに遊びに行ったときに再会したのがきっかけとのこと。その後チュニジアとフランスという遠距離をものともせず、急速に仲を深め、2009年4月に婚約し、8月にフランスのカルカソンヌで結婚式が行われた。このたび、お二人の了解を得たので、この素晴らしい国際結婚の概要を紹介したい。 |
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私の旅程 ■ |
1日目 2009年8月28日(金)チュニス(チュニジア)〜パリ(フランス) パリ泊
2日目 2009年8月29日(土)パリ〜トゥールーズ(飛行機)〜カルカソンヌ(電車) 結婚式 カルカソンヌ泊
3日目 2009年8月30日(日)カルカソンヌ観光 カルカソンヌ〜トゥールーズ(車)〜パリ〜チュニス(飛行機) |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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フランス地図 |
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資料 |
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■ 1日目:チュニス(チュニジア)〜パリ(フランス) パリ泊 |
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前日無事チケットを確保。仕事が終わって18時45分の便でパリ Paris へ。この日は、空港そばのホテルに宿泊。 |
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世界文化遺産「カルカソンヌ」 |
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写真:フリー百科事典ウィキペディア |
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■ 2日目:パリ〜トゥールーズ(飛行機)〜カルカソンヌ(電車) 結婚式 カルカソンヌ泊 |
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朝一番の7:15の便でトゥールーズ Toulouse へ出発。トゥールーズの駅で今回チュニジアから一緒に参加する2名と合流したあと、フランスの田園風景の中を45分電車で走り、カルカソンヌ Carcassonne に到着。エマニュエル君のお父さんが出迎えてくれて、彼の実家へ向かった。 |
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エマニュエル家の玄関から見える風景、彼方にはブドウ畑が広がる |
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▼ ちょうどお昼時に彼の実家に到着。到着したのは、ブドウ畑が広がり、ワインシャトーが点在する中にポツンとある一軒家だった。この環境を見て、エマニュエル君の趣味が散歩だったことを実感した。 |
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野中の一軒家エマニュエル邸 |
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▼ 結婚式が16時からなので、その前にお母さんの手作りの昼食を頂く。途中からパイロットの双子の弟が合流し、ブラジル人と結婚したお姉さんは残念ながら急遽参加できなくなったので、お爺ちゃん、ご両親、弟、我々での昼食となった。 |
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昼食のテーブル |
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▲ お母さんの準備した昼食の食卓。テーブルクロスは、100年以上代々エマニュエル家に伝わるものとのこと。 |
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エマニュエル君のご家族 |
エマニュエル君 |
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お母さん |
お爺ちゃん |
幸子さん |
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▼ 結婚式までは、幸子さんがこの日のために日本から着物を準備していたので、彼女は、その準備と、この日の夕食会の手作りメニュー作り、写真撮影などに大忙しだった。 |
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結婚式の盛装に着替えた新郎新婦 |
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▼ 時間が来たので、メリ Mairie と呼ばれる町役場の結婚式場に移動。どういうところで、どのような結婚式をやるのか興味深々だったが、実は幸子さんもどのような結婚式が行われるのか、いろんな人から話を聞いていたものの不安なようだった。 |
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町役場の結婚式場で挙式 |
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▲▼ 結婚式場では、村長がお出迎え。まずは婚姻契約の重要事項を村長が説明し、エマニュエル君が日本語で幸子さんに説明しながら進み、その後婚姻契約書に本人たちがサインの上、立会人もそれぞれ2人がサインして無事終了となった。 |
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この村長は、オード県カルカソンヌ市にあるヴィルムストスVillemoustaussou
村の方で、彼の本来の仕事は銀行員だが、小さな村の場合、村民の中で代表者を選び、その人が役場の代表を勤めることになっている。いわゆる人前結婚式である。村長が身に付けているフランス国旗と同色の襷(たすき)は、役所の代表者がオフィシャルのイベントがあるときに使用する。 |
フランスでフランス人と結婚する際の流れは、次のようになる。
1.結婚を決定
2.結婚予定の役所に問い合わせて、出生証明書、独身証明書など必要書類のリストをもらう。
3.役所に必要書類を提出 (結婚する日を記入する必要がある)
4.役所から.婚姻公示証明書と婚姻に対する無反対証明書をもらう。
5.結婚式
教会の手続きをしていれば、5.の結婚式の日に、最初に役所で婚姻(契約)した後、チャペルで式を挙げる。
そして、たくさんの人たちを呼んで、アペリティブの時間(家とか、どこかのホールでドリンク+軽食)があり、夜は身内で夕食会。あとは友達同士で2次会、3次会と朝まで続くのが一般的とのこと。 |
人前式でやるか、チャペルでやるかは、個人によって違うようだが、教会で行う場合は、役所で事前に行う手続き(上記2、3)とは別に、教会にも結婚式を挙げるための手続きをとる。(最低1ヶ月前までに?)どちらか一方がクリスチャンであれば、教会での挙式ができる。 |
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結婚式場で重要事項を説明する村長 |
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▼ 婚姻契約書は、まず最初に幸子さんが署名し、そのあと、同じ用紙の署名欄にエマニュエル君が連署した。 |
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婚姻契約書にサインする二人 |
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▼ 結婚式が無事終了し、式場を出る新郎新婦に花びらのシャワーがふりかけられ、友人たちから祝福を受けた。 |
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花吹雪で祝福を受ける新郎新婦 |
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とつぐひや かるかそんぬの なつこばな |
The wedding day, small summer flowers at Carcassonne. |
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式場入口で村長と共に記念写真 |
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▼ フランスでは、学校や役所などの公共施設には必ずフランスの国是である LIBERTE EGALITE FRATERNITE ( Liberté, Égalité, Fraternité リベルテ・エガリテ・フラテルニテ)という文字が掲げられている。日本では、自由、平等、博愛(友愛)と訳されている。いうまでもなく、フランス革命のコンセプトである。 |
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また、下の方にある FRANCOIS MITTERRAND (フランソワ・ミッテラン)は、前(シラク元大統領)の前の大統領の名前で、エマニュエル君によると、フランスでは有名人が亡くなられたら、故人の名前を通りや駅やホールの名前に使ったりするとか。ミッテラン元大統領が亡くなった後に、ここの役場のホールが作られたので、彼の名前をつけたんじゃないかという。 |
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自由・平等・博愛 |
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