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1999年10月30日、アルルを訪問し、ゴッホの足跡を辿った。
アルル Arles
フランス南部ブシュ・デュ・ローヌ県にある観光都市。人口5万3000(1990)。マルセイユの北西約90km、ローヌ川の形成するデルタの頂点に位置し、その行政域(コミューヌ)はフランスの米作地として知られるカマルグなどデルタ部分を含み、フランス最大の面積(750km2)である。紀元前より海上・陸上交通の要衝として発達し、古代においてはローマ帝国属州の中心であり、また4世紀以来キリスト教の重要な拠点として幾多の宗教会議が開かれ、513年には大司教座の地位を獲得した。
10世紀アルル王国の首都となり、13世紀中葉プロバンス伯領に従属するまで独立を守っていた。前1世紀に建造された円形競技場、野外劇場など、フランスにおける古代ローマ時代の遺跡の最大の宝庫で、〈ガリアのローマ〉と呼ばれる。また11〜15世紀の建立になるサン・トロフィム教会は正面および回廊の石像彫刻で知られ、その豊かさはプロバンス随一である。
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夜のカフェテラス
アルルは、1888年から1889年にかけてゴッホが暮らした街で、やがてゴーギャンとうまくいかず、耳をそぎ落としたところだ。狂気と炎の画家・ゴッホは、ここで190点もの絵を描いており、そのゆかりの地を回るのも楽しい。
「夜のカフェテラス」で脚光を浴びたカフェーは、今も当時のままの佇まいで営業しており、ゴッホが立って描いた場所に複製の絵が置かれている。
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ゴッポ病院
ゴッホがアルルで入院していたときの病院はなくなっている。ゴッホが入院中に描いた絵をもとに復元されたのが、現在のゴッホ病院だ。
当時は、精神異常者が描いた絵として、何ら注目されることはなかったが、ゴッホの死後、彼の遺作が高い評価を受けるに及び、その絵も見直され、病院の復興につながったという。
ゴッホの絵はなぜ明るいのか?
フランス人ガイドの説明によると、ゴッホの絵は鮮やかで明るい絵が多い。「ひまわり」などは凄いものだ。その一方、「落ち穂拾い」や「晩鐘」などで知られるミレーの絵は、同じ南仏を描いていても、ものすごく暗い。その理由は、金があるかないかだという。
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ゴッホも豊かではないが、弟のテオから送金があると、彼は金のあるうちに絵の具を買い溜めする癖があったという。当時の絵の具は、明るい色は高く、暗い色は安かったらしい。そのため、金があるときに買ったゴッホは、明るい高価な絵の具を十分に入手することができた。
反面、万年貧乏暮らしを余儀なくされたミレーは、安い絵の具しか買えず、暗い色しか使えなかったために、あのような画面全体にわたって暗い絵になってしまったのだという。
ゴッホ病院は、アーチ型の回廊や噴水など、当時の位置に忠実に再現されている。中庭の植木の種類や位置も彼の絵にあわせたという。
ゴッホが立って描いた位置に、複製画が置かれていて、当時を忍ぶことができる。彼はどんな気持ちでこの絵を描いたのだろうか。
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ゴッホの跳ね橋
アルルの市内見学のあと、アルルから約3kmの郊外にある跳ね橋に行った。この跳ね橋のオリジナルは戦争で破壊されていて、現在の跳ね橋は、ゴッホの絵をもとに別の場所に復元されたものだ。
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