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タルヌ川に面した人口5万5千人を擁する商業都市アルビは、フランス南部、ミディ=ピレネー地域圏の都市。タルヌ県の県庁所在地で、「アルビの司教都市」として世界文化遺産に登録されている。12世紀、13世紀にキリスト教の異端として迫害を受けたアルビジョワ派は、この都市名に由来する。 |
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アルビ【1】
〜アルビの街並〜 2007.6.1 10:01 |
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19世紀のフランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック
Henri de
Toulouse-Lautrec
(1864 - 1901)は、南仏のアルビで生まれた。フランスの名家であり伯爵家であった生家が残されているが、内部の見学はできない。 |
幼少期には小さな宝石(プティ・ビジュー、Petit
Bijou)と呼ばれて家中から可愛がられて育った。しかし弟が夭折すると両親が不仲となり、8歳のときには母親と共にパリに住まうようになり、絵を描き始めた。13歳の時に左の大腿骨、14歳の時に右の大腿骨を骨折したために脚の発育が停止し、成人した時の身長は152cmに過ぎなかった。 |
1882年にパリのレオン・ボナの画塾で学んだが、まもなく閉鎖されたため、モンマルトルにあったフェルナン・コルモンの画塾に移り、以後は晩年まで同地で活動するようになった。 |
身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦、踊り子のような夜の世界の女たちに共感。パリのムーラン・ルージュ(赤い風車
Moulin Rouge)などのダンスホールや酒場などに入り浸ってデカダンな生活を送り、彼女らを愛情のこもった筆致で描いた。 |
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アルビ【2】 〜ロートレックの生家〜 2007.6.1
10:44 |
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アルビ【3】 〜ロートレック美術館〜 |
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撮影:南光桂子 |
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▲▼ アルビには、トゥールーズ・ロートレック美術館があり、多くの名作を鑑賞することができる。作品には、「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家であり、小さき男(プティ・トム
Petit Homme)、偉大なる芸術家(グラン・タルティスト Grand Artiste)」と形容される。 |
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アルビ【4】 〜ロートレック美術館の内部〜 |
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▼ 写真下は、有名なディヴァン・ジャポネ(1893年 79.0×60.0cm 紙
多色石版)。当時パリで流行していたカフェ・コンセール(音楽喫茶)のためのポスターで、黒いドレスの女性が人気の踊り子ジャヌ・アヴリル、片眼鏡の男性が音楽評論家のエドゥワール・デュジャルダン。中景にはオーケストラが見え、奥にいる顔の見えない女性は黒い手袋がトレード・マークであった歌手のイヴェット・ギルベール。 |
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店の名前である「ディヴァン・ジャポネ」とは「日本の長椅子」という意味。当時フランスでは日本趣味が流行していて、ロートレックも多数の浮世絵を蒐集していた。ここに見られる大胆な構図、平面的な色彩などはその影響の一端を示すもので、普及し始めていた多色石版を用い、新たな宣伝媒体となったポスターを芸術的に高めた彼の功績は極めて大きいという。 |
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アルビ【5】 〜有名なポスター
「ディヴァン・ジャポネ
Divan Japonais 1892年
」〜 |
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資料:ウィキペディアフリー百科事典 |
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アルビ【6】 〜煉瓦の家〜 10:44 |
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▼ クロワ・ブランシュ通りにあるヴィエイユ・アルビの家 La maison du Vieil Alby
は、ルネサンス様式の木骨造の典型的なアルビの住宅で、中世の姿をそのまま残す建造物として知られる。
この住宅は、来客用に独特の展示をしていることから、多くの人が訪れる。 |
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アルビ【7】 〜ヴィエイユ・アルビの家
La maison du Vieil Alby
〜 10:50 |
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▼ タルヌ川にかかるポン・ヴィユー(Le pont Vieux
古い橋)は、1035年に建造されたもので、何度も改築されてきた。この橋によって、タルヌ川右岸がマドレーヌ地区とともに発展してきた。14世紀には要塞化され、跳ね橋の機構を備えるようになった。それとは別に1868年にポン・ヌフ(Le
pont Neuf 新しい橋)が建造された。 |
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アルビ【8】 〜石橋の架かる街〜 10:57 |
ポン・ヴィユー↓ ↓ポン・ヌフ |
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撮影:南光桂子 |
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▼ 世界文化遺産のサント・セシル大聖堂は、13世紀から16世紀にかけてアルビ司教たちによって建造された。レンガ造りであることと、フランスで作成されたイタリア風絵画の膨大な集積からなる内装などによって、中世のゴシック様式の傑作のひとつとされている。特に身廊を飾る「最後の審判」を描いた壁画は高く評価されている。 |
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アルビ【9】 〜サント・セシル大聖堂〜 13:26 |
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▲▼ 大聖堂の奥行きは114m、幅35m、高さ40mで、レンガ造りの聖堂としては世界最大ともいわれる。高さ78mの鐘楼の塔の入口は、設置場所の都合で正門の方ではなく身廊の側に付いている。 |
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アルビ【10】 〜サント・セシル大聖堂〜 13:30 |
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15世紀にはドミニク・ド・フロランス門とともに改築が加えられ、16世紀には入口のポーチや大天蓋が付け加えられた。19世紀には建築家セザール・ダリ César Daly
による増築が行われ、7mの控え壁や巡回路などが付け加えられた。 |
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アルビ【11】 〜サント・セシル大聖堂〜 13:31 |
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▼ 身廊の西側、パイプオルガンの下に見る者を圧倒する巨大な壁画「最後の審判」がある。壁画は左右に分かれ、中央上部にいるはずのキリストの姿がない。15世紀に描かれたこの壁画は、17世紀にパイプオルガンを設置するために中央部分が削除されてしまったという。何とも残念な話である。 |
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アルビ【12】 〜
サント・セシル大聖堂 「最後の審判」の壁画〜 |
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アルビ【13】 〜サント・セシル大聖堂の巨大な内部〜 13:34 |
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BGM
はシャンソンの4曲メドレーで、Sous
le ciel de Paris (パリの空の下 歌:エディット・ピアフ
Edith Piaf
)
〜 La Vie en rose (バラ色の人生
歌:エディット・ピアフ Edith Piaf )〜Plaisir
d'amour (愛の喜び 歌:イヴォンヌ・プランタン
Yvonne Printemps )〜Les
Feuilles mortes (枯葉 歌:イヴ・モンタン
Yves Montand)と続く。 |
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アルビ【14】 〜
赤い川〜 14:18 |
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撮影:南光桂子 |
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ヨーロッパ最大規模の城塞がそっくり残るフランス有数の観光地カルカッソンヌは、フランス南西部ラングドック地方のオード県の県都で、人口4万4千人を擁する(1999)。オード川とミディ運河に面し、トゥールーズの南東90kmに位置する。 |
地中海と大西洋を結ぶ交通上の要衝で、その地理的位置の重要性は古代から認められ、前1世紀以来ローマ帝国の属州ナルボネンシスの要塞都市が建設されていた。5世紀には西ゴート族、8世紀初頭には一時イスラム勢力の占拠するところとなったが、のちフランク族の支配下に入った。 |
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世界文化遺産「カルカ
ッソンヌ」 |
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その後400年トゥールーズ伯支配下の伯爵領、子爵領として栄えた。13世紀異端者懲罰を目的としたアルビジョア十字軍(1208‐14)によってフランス王家とトゥールーズ伯との争いの舞台となり、1247年フランス王家に属した。 |
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カルカッソンヌ【1】 〜
城塞シテ案内板〜 2007.6.2 09:00 |
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町は、市内を流れるオード川を挟んで、右岸の高台を占める中世の城塞シテ(
Cité
または ville haute ) と、13世紀に整備された城外の下町( ville
basse )バスティード・サン・ルイ( Bastide St-Louis
)の二つの部分から構成される。 |
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カルカッソンヌ【2】 〜
城塞シテ入口〜 09:03 |
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▲▼
シテは、古代に起源をもち、13世紀初頭の破壊の後、ルイIX世とフィリップIII世によって復旧、補強された。その後、軍事上の意義が失われ、城塞都市は荒廃の一方であったが、19世紀になって、作家で歴史家のメリメの進言に基づいてその歴史的意義が認められ、美術史家ビオレ・ル・デュクによって元の姿に復元された。 |
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カルカッソンヌ【3】 〜
城塞シテ〜 09:10 |
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カルカッソンヌ【4】 〜
城塞シテ〜 09:18 |
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カルカッソンヌ【5】 〜
城塞シテ〜 09:26 |
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▲▼
シテは城館を囲む城壁を含めると三重の厚い城壁に囲まれ、外壁の周囲は1kmに及び、今日ヨーロッパに残された最大の城塞都市として知られる。全部で50以上に及ぶ櫓(やぐら)、その間をつなぐ重厚な城壁、そして狭間(はざま)や胸墻*(きようしよう)などは、中世の戦闘場面を彷彿とさせる。 |
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*胸墻:敵の射撃をよけ、味方の射撃の便のために土を胸の高さほどに積み上げたもの。胸壁。 |
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カルカッソンヌ【6】 〜
城塞シテ〜 10:00 |
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カルカッソンヌ【7】 〜
城塞から下町ヴィル・バス Ville Basse の眺め〜 10:04 |
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▲▼ シテは、「歴史的城塞都市カルカソンヌ」として1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
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カルカッソンヌ【8】 〜城塞シテと下町ヴィル・バス〜 10:47 |
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撮影:南光桂子 |
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カルカッソンヌ【9】 〜城塞
の雑草〜 11:10 |
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撮影:南光桂子 |
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カルカッソンヌ【10】 〜
微光〜 11:17 |
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りょくいんや かるかそんぬの しろいまに |
The shade of trees, the fort Carcassonne standing now. |
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カルカッソンヌ【11】 〜
二人連れ〜 11:18 |
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カルカッソンヌ【12】 〜
とんがり帽子〜 11:18 |
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カルカッソンヌ【13】 〜
オード川に架かるランプの小橋〜 14:42 |
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カルカッソンヌ【14】 〜
市内を流れるミディ運河(世界文化遺産)〜 15:47 |
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▲▼ ミディ運河 は、フランスのトゥールーズでガロンヌ運河から分岐し、地中海に面したトー湖に至る全長240km支流部分も含めた総延長では360kmに及ぶ運河で、19世紀に鉄道に取って代わられるまで、大西洋と地中海とを船舶で結ぶ大量輸送ルートとして活用された。 |
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ミディ運河のルートマップ |
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▲▼
19世紀に鉄道が開通し、輸送ルートの主役の座から降り、現在では運河クルーズで人気の観光地となっている。また、動力を持たない当時の船舶を人や馬が引くために運河の両側につけられた道には、日差しを遮るために45,000本ものプラタナスや糸杉が植えられており、心地よい水辺の散歩道となっている。ミディ運河は、文化遺産として1996年にユネスコの世界遺産に登録された。 |
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カルカッソンヌ【15】 〜
イギリスの商船旗を掲げたボート〜 16:00 |
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撮影・原作:
アマチュア山岳写真家 南光
優 (なんこう
まさる) |
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住居:大阪府豊中市 |
趣味:パソコンいじり、写真、山登り、ガーデニング |
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あとがき |
ヨーロッパの街並みも素晴らしいが、自然の中に佇む田舎の風景の美しさにも魅力を感じ、たまたまフランスでもっとも美しい村々を組み込んだツアーが見つかり参加しました。
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期待通りの美しい風景を満喫できました。尚、何枚かの写真で道路に雨後の水たまりが写っておりますが、この時期よく雨が降り、お蔭で建物や石畳が濡れ羽色になり、乾ききった石畳と比較するとしっとりとした情緒満点の写真が撮れたのはラッキーでした。また、余談ですが、サルラはフォアグラの産地であり、これまでに食したことのない絶品を味わえたことも忘れることのない思い出の一つになりました。
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★☆★彡 |
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感動写真集〈 第194集 〉特集旅紀行〈 第116集 〉「フランス初夏の旅」 |
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撮影・原作:南光 優 監修:和田義男 |
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平成26年(2014)2月17日 作品:第5作 画像:117(大111+小6) 頁数:5 ファイル数:308 ファイル容量:118MB
平成12年(2000)〜平成26年(2014) 作品数:468 頁数:1,905 ファイル数:86,823 ファイル容量:17,429MB |
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みあぐれば こんくのむらの なつこだち |
The village of Conques, looking up the summer trees. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
コンク村を見上げる巡礼者たち |
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平成26年(2014)2月26日(水)、感動写真集の第一人者・南光優さんの第22作「フランス初夏の旅」が完成した。今回も美人の奥様と共に世界中を旅してまわられるダンディな南光さんの感性豊かな写真に、ため息をつきながら編集させて頂いた。 |
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「フランス初夏の旅」は、2012年に発表した2011年の「フランス秋の旅」でお約束した美しいフランスの田舎を巡る2007年の作品だが、普遍性を持つ素晴らしい作品である。 |
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最近、テレビ番組で知ったのだが、フランスの田舎を巡る旅は、結構人気があり、沢山のツアーが出ているという。まさにその通りで、個性的な美しさを持つひなびた村が沢山あり、著名な観光スポットを巡る旅に優るとも劣らない満足感を味わうことができる。 |
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しかも、その多くが世界文化遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路にあり、田舎ではあっても四国八十八箇所霊場巡りのように巡礼者の訪れる教会や宿泊地として独自の発展を遂げてきた。それに該当しないところは、かつての城塞だったりする。門前町か城下町かといったところだが、今は経済規模が小さく、観光を主体とする小村として歴史を刻んでいる。 |
このツアーの素晴らしいところは、故事来歴の多い教会や城塞を楽しむことができるだけでなく、田舎故に戦災を受けなかった中世の民家がそっくり残っていることで、その古びた佇まいが日本人の心を打つ。 |
★☆★彡 |
この作品を公開して頂いた南光さんご夫妻には、心より御礼申し上げます。これからもお元気で世界中を旅され、ロマンと感動溢れる作品をお撮り下さい。有り難うございました。 〈 拝 〉 2014.2.26 監修 和田義男 |
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だんがいの ろかまどーるや なつこだち |
Summer trees, Rocamadour the village of rock wall. |
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