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2001年2月11日制作

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フランス初夏の旅 フランス秋の旅 カルカソンヌの結婚式 城塞都市カルカソンヌ 悲劇の画家ゴッホ
城塞都市カルカソンヌ 1/2 城塞都市カルカソンヌ1/2 城塞都市カルカソンヌ2/2
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ニュータウン Ville Basse シテから見下ろす対岸の町 Ville Basse は、現代カルカソンヌ市の活動の中心であるが、これがアルビジョア十字軍によるカルカソンヌ破壊後、シテの避難民のためにルイ9世によって建設されたニュータウンである。今日市の中心部を囲む大通りは、かつての城壁の跡であり、今日でもその姿を一部とどめている。
07  現代のカルカソンヌ市は、オード県のブドウ産地の中心として、行政・商業の中心であり、工業活動はあまり盛んでなく、人口停滞の原因ともなっているという。

不味い紅茶 シテにはエリザベス女王やグレースケリーが泊まった四つ星ホテルがあり、そこで家内と二人で紅茶を注文。一杯50フラン(900円)と高かったが、ミルクが固まり、まずくて全然飲めない。ガイドに抗議してもらったら、紅茶をいれたウェイターは自分のせいじゃないという。道具が悪いというような理屈らしい。日本なら当然謝罪した後、新しくいれ直してくれただろうに。やはりラテン民族だからか。一流ホテルでも社員教育がおろそかでは二流三流になってしまうということだ。

08 サン・ナゼール旧大聖堂 シテにあるサン・ナゼール旧大聖堂は、ロマネスク様式の身廊とゴシック様式の内陣が結合され、13世紀末南フランスに北方ゴシック様式が浸透してゆく過程を示す重要な建築である。西側ファサードは、ビオレ・ル・デュクにより修復された。青を主調としたステンドグラス(13〜14世紀)は南フランスの貴重な作例。他の諸教会も南フランスのゴシック建築特有の、幅広の単一身廊を持つ。

ビオレ・ル・デュク 1814‐79 フランスの修復建築家、建築史家、建築理論家。パリ生れ。エコール・デ・ボザール(国立美術学校)を忌避して独学で建築を学び、文化財保護技監であった P. メリメに認められてベズレーのラ・マドレーヌ教会の修理に当たった。ついで老練の建築家ラッシュスとともに、1845年よりパリのノートル・ダム大聖堂の修復工事を担当してその地位を固めた。その後、文化財保護委員会委員、宗務省の建築技監として活躍し、シャルトル、ランス、アミアンなどの大聖堂やカルカソンヌ市の城壁、ピエールフォン城などの修復に当たった。工芸にまで及ぶ広い知識に裏づけられた、当時としてはきわめて進歩的な修復方法により、彼は多数の中世建築の保存に成功し、文化財保護事業の技術的基礎を確立した。

09  サン・ナゼール寺院を見て、あとは自由行動。

夕闇迫る城塞 おとぎの国の世界にも夕闇が訪れはじめた。城壁の間の道路で休んでいたベビーカーの市民もあたりが暗くなり始めたことにやっと気付いたようだ。

 町中をぶらぶらと散策してショッピングしたあと、一旦ホテルに帰る。

10  城塞のライトアップ 夜景を見に、希望者のみ夜7時にホテルを出発。歩いてオード川にかかる橋まで行き、ライトアップされた城塞を写真撮影。撮影場所までは、予想外に遠く、大変だった。しかし、暗闇に浮かび上がったコムタル城は、メルヘンの世界を彷彿とさせ、ひときわ美しかった。

 1940からホテルで夕食。城塞都市を歩き回ったあとだけに、食欲旺盛で、牡蠣のサラダは美味しかった。メインディッシュは、鳥と白豆の煮込み。これは美味くなかった。アメリカのカウボーイ料理の原点になっている料理なのだという。初めてデザートにアイスクリームが出た。午後半日かけたツアーは、かくて終了した。満足感いっぱいの一日だった。(fine)

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