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資料:Google Earth |
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▼ 人口約4.4万人を擁する魚津市は、富山市の北東約22kmに位置する日本海(富山湾)に面した都市。旧越中国(えっちゅうのくに)の一部で、かつては北陸街道の宿場町、富山湾の港町、魚津城などの城下町、寺社群の門前町、商業・産業都市として栄えた。現在は新川(にいかわ)地方中核都市圏である魚津都市圏の中心都市であり、富山県における7番目の人口規模を有する。 |
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資料:Google Earth |
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▼ 魚津市真成寺町(しんじょうじまち)に位置する玉蓮山真成寺は、今から500年ほど前、魚津市の北東約4kmの大谷温泉(おおたにおんせん)(2013年に閉鎖)裏山の大谷の郷に誕生し1を聞いて10を悟る神童と讃えられた慈光院日等上人(じこういん・にっとうしょうにん)によって開山された日蓮宗の寺院で、現在の住職は、35代目に当たる。 |
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資料:Google Earth |
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▲▼
真成寺は、西向きに建てられており、真成寺町の南北に連なる商店街の中ほどに入口がある。20mほどの参道を東に進むと山門があり、その奥が境内となっており、本堂がある。 |
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しめなわの とうじすいぎょう しんじょうじ |
Shinjoji Temple, winter solstice ablution of sacred straw ropes. |
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残雪の |
真成寺 |
境内 2014.12.21 13:20 |
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拡大写真(2400X1900)941KB |
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▲▼
真成寺本堂は、永正14年(1517)の創立で、はじめは越中の角熊郷において開創。元亀2年(1571)に角熊城(松倉城)落城とともに現在地に移転し、平成26年(2014)で開創497年となった。 |
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内部は、檀信徒用の椅子が置かれた外陣(げじん)とその奥の一段高い内陣(ないじん)に分けられている。内陣の奥に諸仏が安置された須弥壇(しゅみだん)があり、その奥の壁に日蓮宗の御本尊である曼荼羅(まんだら)が掛けられている。 |
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▲▼
須弥壇の中央には、日蓮聖人の像が安置されており、その周りには、一塔両尊四士*(いっとうりょうそんしし)に不動明王(ふどうみょうおう)・愛染明王(あいぜんみょうおう)などが置かれ、曼荼羅御本尊(まんだらごほんぞん)の形式で仏が祀られている。中央の経机(きょうづくえ)には、法華経八巻が奉(たてまつ)られている。 |
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日蓮聖人座像の赤い袈裟には、日蓮宗の金色の寺紋「井桁に橘(いげたにたちばな)」があしらわれている。 |
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*一塔両尊四士:中央の宝塔に南無妙法蓮華経と書かれ、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が一つの蓮台に乗って
おり、右に上行、無辺行のそれぞれの菩薩が、左に浄行、安立行のぞれぞれ菩薩が奉安される形式。 |
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▲▼ 曼陀羅(まんだら)はインドの言葉で、漢訳では輪円具足(りんねんぐそく)といゝ、車輪のように円の中に一切の諸法が全て含まれているという意味で、仏
の心(悟りの世界)をあらわしたもの。
日蓮聖人は、久遠の仏が悟った世界を文字で表現した。 |
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写真上の曼荼羅は諸仏に隠れて殆ど見えなかったため、後日、谷川副住職に掛け軸を外して全容を撮影してもらい、筆者が表具の歪みを調整したものが写真下の曼荼羅である。これだけの高精細画像を
internet
にアップしている例は見あたらず、この画像が日蓮宗の曼荼羅の理解に極めて役立つものと思われ、谷川住職のご英断に深謝申し上げる。 |
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須弥壇 |
の奥に掛けられた御本尊の掛け軸「 |
荼羅 |
」 |
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原画:玉蓮山真成寺 |
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▼ 曼陀羅(まんだら)に書かれた毛筆体はある程度読めるが、文字の重なりなどがあってよく分からないので、筆者が
internet
上の文献から活字体に直して対比したものが写真下である。 |
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下部に天照太神(あまてらすおおみかみ)や八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の文字がみえるが、曼荼羅にはあらゆる諸天善神(しょてんぜんじん)が勧請(かんじょう)されており、見事に神仏が習合(しゅうごう)している。 |
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▼ 今年で7回目となる冬至水行祭は、厳寒の冬至に昼と夜の二回に分かれ、一般参加者約80名の老若男女が女性は白衣、男性は褌一丁の裸形となり、本堂前の境内に置かれた二つの仮設水槽で、日蓮宗の作法に則り、水行肝文(すいぎょうかんもん)を唱えながら手桶で頭から冷水を被る水行を行う。 |
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資料:真成寺 |
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▲▼ 真成寺の水行は、谷川寛敬(たにかわかんきょう)副住職が平成13年(2001)の冬至の日に日蓮宗大荒行堂で初めての100日荒行(初行)を無事に終えた成満(じょうまん)記念に行ったのがはじまり。平成20年(2008)から檀信徒など一般参加者を募集し、冬至水行祭を行うようになった。 |
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資料:真成寺 |
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▲ 日蓮宗の水行は、長勝寺寒の荒行
に解説した如く、荒行僧が千葉県市川市にある日蓮宗大荒行堂での過酷な100日の荒行を無事に終えた成満(じょうまん)記念に行うものだが、真成寺は、その水行を水行祭として初めて一般人に開放した。 |
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▲▼ 本部テントの受付で水行の申込をすると、御寳牘(ごほうとく)が頂ける。御寳牘と書かれた白封筒の中には、御本尊の曼荼羅と日蓮聖人(にちれんしょうにん)の金箔が押された御札と鬼子母尊神(きしもそんじん)の身がは里(みがわり)御守が入っている。左下は、冬至水行祭のロゴ入り褌(2000円)。 |
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水行褌 |
と御札・御守が入った |
御寳牘 |
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最年少水行者の |
谷川天花 |
ちゃん(7歳) |
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拡大写真(1900X2000)573KB |
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▼ 今年から真成寺南側の駐車場に更衣所が設けられ、参加者たちは、男女別の二張りのテントで水行の装束に着替える。駐車場の入口側のテントが男子更衣室で、その奥に女子更衣室のテントがある。 |
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真成寺南側の駐車場に設けられた男女別の更衣所 13:30
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↓女子更衣室 |
↓男子更衣室 |
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参加者への気配りを怠らない |
谷川寛敬 |
副住職 |
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水行に使用する純白の越中褌は、これまで真成寺がクリーニングしたものを貸与していたが、今年から自前のものを使用することになった。持参していない人は、立褌(たてみつ)を二重にして濡れても透けて見えない真成寺謹製の水行褌を購入して使用する。 |
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去年1000円で売られていた水行褌は、横褌(よこみつ)(腰紐)が布テープだったが、今年はそれを改良し、反復使用に耐えられる立派なものとなり、値段が2000円となった。フリーサイズのため、前垂れが長めとなっている。 |
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前垂れの先端には、御本尊の曼荼羅(まんだら)をあしらったロゴがプリントされている。水に浸かっても消えない特殊な染料で焼き付けられており、褌ファンには垂涎の一品である。
以後、真成寺褌と呼ばせていただく。 |
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褌の締め方のポイントを示した写真は、筆者がモデルで、毎年正月第二日曜日に東京都中央区・鐵砲洲稲荷神社で開催される寒中水浴大会用に作成した「寒中水浴の栞」から抜粋したもの。 |
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壁や襖(ふすま)に向かって衣服を脱いで全裸となり、越中褌を広げて、左右の横褌(よこみつ)(紐の部分)をそれぞれの手で持ち、立褌(たてみつ)(布の部分)を臀部(尻)に当て、横褌を脇腹から腹部に導き、臍下三寸(へそした・さんずん)(10cm)
(丹田)の位置で、ややきつめに蝶結びにします。この位置は、左右の腰骨の上端部を通りますので、横褌が骨に固定され、褌が緩みません。
これより高い位置に締めますと、横褌が固定されず、直ぐに緩褌(ゆるふん)の状態になります。ちなみに、横褌の位置は、盲腸の手術をする位置ですので、経験者は、横褌が右下腹部の手術痕の上を通っていることを確認して下さい。六尺褌の場合も同じです。
逆に、正しい位置より下に締めますと、露出気味でだらしなく見えますので、正規の位置にキチッと締めるようにしましょう。
次に、足を広げ、少し前傾(ぜんけい)しながら片手で後ろに垂れている立褌を股下から掴み、股下をくぐらせて前方に導き、両手で横褌の内側から前に垂らして下さい。ここで、壁際を次の人に譲り、部屋の中心部に移動したあと、両手で前垂れを広げ、緩みのないように調整してできあがりです。褌を外すときは、蝶結びの片方の紐を引けば横褌が緩み、直ぐに外すことができます。
シャツを着たまま褌を締める人を見かけますが、素人っぽく見えます。壁際に立てば恥ずかしくありませんので、「褌は一気に裸になって粋に締める」のが江戸っ子ですので、和田グループもあやかりましょう。 |
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【参考】 我が家の越中褌 かつて、日本人男性の下着だった越中褌は、家庭の手作りでした。ミシンの直進縫いさえできれば、市販の晒木綿から自分の体格に合わせた褌を簡単に縫製(ほうせい)できます。筆者は、大正生まれの亡き母から教わった和田家謹製の褌を今も愛用しています。高温多湿の日本の気候風土から生まれた越中褌は、通気性が良く、清潔で健康的な下着です。現在、その良さが見直され、internetから好みの褌を手軽に購入でき、静かなブームとなっています。
参考のために、我が家の越中褌の畳み方をご紹介します。国旗の畳み方と同じで、1〜7の順に畳んでゆきます。これだと箪笥の引出しに立てたまま収めることができ、使用するときは端から取り出し、洗ったものは反対側に補充してゆけば順序よく使用できます。 |
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1 2 3 4 5 6 7 完 成 |
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本部テントで名物のカボチャスープをいただく 13:47
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