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鎌倉・長勝寺 |
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拡大写真(1024x700)172KB |
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荒行僧(あらぎょうそう)の水行(すいぎょう)が見られるというので、2004年2月11日(水)建国記念の日に鎌倉の長勝寺に行った。
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JR横須賀線・鎌倉駅東口3番線のバスに乗り、5分ほどでバス停・長勝寺に着く。長勝寺の入口は直ぐそばにある。
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日蓮宗の開祖・日蓮(にちれん)が開いた長勝寺は、元は本圀寺(ほんごくじ)といい、鎌倉帝釈天として知られる。
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日蓮が伊豆伊東に流されたのち許されて帰還したとき、この地の領主・石井長勝が小庵を寄進し、本圀寺として宗門最初の寺が生まれた。
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本圀寺はのちに京都に移り、大本山となったが、日蓮ゆかりの本寺は、石井長勝の法勲を讃えて石井山長勝寺と称する霊跡となった。
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日蓮宗の総本山は、山梨県の身延山久遠寺(みのぶさん・くおんじ)で、祖山と呼ぶ。日蓮の重要な遺跡と宗門史上顕著な沿革のある寺院を霊跡又は由緒寺院と呼び、その伝統により大本山又は本山の称号を用いる。
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国祷会の祭壇
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「誓願の柱」と呼ばれる三本柱には、向かって左から罪の浄化、死没者の供養、開運の祈願が書かれている。
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拡大写真(1200x850)253KB 【E-1
28mm/28-108mm F8.0 1/250秒 ISO200】
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冬の鎌倉観光の一つ「長勝寺の荒行」は、「立正安国国祷会(りっしょうあんこく・こくとうえ)」に組み込まれた「大荒行僧成満祭(だいあらぎょうそう・じょうまんさい)」の中で行われる。
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国祷会は、法華経の流布と世界平和、檀信徒一般大衆の抜苦与楽(ばっくよらく)(苦しみを除き、真の安楽を与える)を祈念する行事である。
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成満祭は、極寒の100日間の荒行が満了し、荒行僧が出身の寺に帰る帰山式であり、日蓮ゆかりの地で最後の水行が行われる。長勝寺の好意により、この水行が公開されており、鎌倉の冬の風物詩となっている。
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境内中央には、高村光雲による日蓮の銅像があり、鎌倉で辻説法を始めた頃の姿を表現している。その後に4体の四天王像が見え、その奥に帝釈天大堂(たいしゃくてんだいどう)がある。
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鎌倉辻説法日蓮大聖人御銅像 |
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四天王像と帝釈天大堂 |
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拡大写真(1200x900)147KB 【E-1
108mm F9.0 1/800秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)180KB 【E-1
38mm F9.0 1/400秒 ISO200】
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日蓮宗の開祖である日蓮は、承久4年(1222)安房国(あわのくに)(千葉県)に生まれ、鎌倉新興仏教第1段階の栄西(えいさい)と法然(ほうねん)、第2段階の道元(どうげん)と親鸞(しんらん)に続き、第3段階に一遍(いっぺん)と同時期に活躍した僧である。青年期は、当時仏教教学研究の中心地であった比叡山に登り、天台教学を修めた。その結果、仏教の真髄は法華経にあると悟る。
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建長5年(1253)、故郷の安房で日蓮宗(法華宗(ほっけしゅう))を開宗。その後幕府所在地の鎌倉に入り、現在長勝寺の建つ名越(なごえ)の松葉ヶ谷(まつばがやつ)に庵を結び、辻説法(街頭での布教活動)を始めた。
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日蓮は、法華経を唱えれば誰でも成仏(じょうぶつ)できると説き、幕府の政治のあり方や他宗を激しく批判したため、数々の法難に遭った。文応元年(1260)39歳のとき、この地・松葉ヶ谷で焼き討ちに遭ったが、帝釈天の使いとして数匹の白猿が現れ、難を逃れたという。その伝説からか、長勝寺には帝釈天が祀られている。
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帝釈天といえば、フーテンの寅さんが産湯を使った葛飾柴又(かつしか・しばまた)の日蓮宗題経寺(だいきょうじ)が有名だが、鎌倉の帝釈天は長勝寺である。帝釈天は、須弥山(しゅみせん)(世界は須弥山を中心に広がるとする仏教の宇宙観による山)の頂上にある仞利天(とうりてん)の主で喜見城(きけんじょう)に住み、仏法を守る神で、須弥山の中腹に四天王を従える。
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拡大写真(1200x900)259KB 【E-1
38mm/28-108mm F6.3 1/200秒 ISO200】
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映画「男はつらいよ」シリーズに登場する題経寺の住職は、故・笠智衆(りゅうちしゅう)の当たり役だったが、御前様と呼ばれていた。この呼称は、葛飾柴又だけではなく、日蓮宗の住職であればそう呼ばれるようで、長勝寺でも御前様がおられた。
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非常に親しみ深い方で、式典の始まる前に、水行場のそばで場所取りをしているカメラマンたちに挨拶に来られた。後を追ってカメラを向けると、ご丁寧にも合掌していただいた。御前様の後が水行場である。 |
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御前様は、長勝寺住職の座をご子息に譲られているが、実は京都の大本山・大光山本圀寺貫首(だいこうざん・ほんごくじ・かんしゅ)という偉いお坊さんだった。 |
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水行場
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帝釈天大堂に向かって右に水行場がある。行者が石畳(いわゆる花道)から一道清浄と書かれた前で白衣を脱ぎ、裸足となって右回りに入場し、一面2名、4面8名が一度に水行を行うことができるようになっている。
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水槽から水を汲む手桶には、それぞれ上段に「一道清浄」、下段に「如蓮在水」と墨書されている。 |
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1時間前には既に場所取りのカメラマンが大勢いた。報道陣の特別席はなかったが、NHKのカメラが向かって左奥に据えられてた。私は先頭の行者の真横に当たる右手前の好位置を確保することができた。 |
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水行場は狭く、人垣が幾重にもできるので、一旦前列に陣取ると後退できず、行者の水をもろにかぶることになる。カッパで完全武装している人がいたので、私もビニールコートをはおった。カメラは大雪の白川郷で水密性が実証された
OLYMPUS E-1
なので心配ない。 |
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拡大写真(1200x735)226KB 【E-1
23mm/28-108mm F6.3 1/160秒 ISO200】
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午前10時半ころ、団扇太鼓(うちわだいこ)を打ち鳴らしながら先導する若い僧に続き、正装の荒行僧が道場偈(どうじょうげ)(諸仏諸尊を招く声明曲(しょうみょうきょく)(仏徳を讃える詠歌))を唱えながら二列縦隊で入場し、成満祭(じょうまんさい)が始まった。
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彼らは、昨日100日間の荒行を無事に成就したばかりで、堂々とした行進には晴れがましさが感じられる。修行(しゅぎょう)中は髭(ひげ)を剃らないらしく、髭面(ひげづら)の精悍な風貌は、行者(ぎょうじゃ)としての風格がある。経験の深い僧から順番に並んでいるようであった。 |
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拡大写真(1200x885)206KB 【E-1
28mm/28-108mm F7.1 1/200秒 ISO200】
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パノラマ写真(1200x800)162KB 【E-1
28mm/28-108mm F7.1 1/250秒 ISO200】
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拡大写真(1200x900)267KB 【E-1
44mm/28-108mm F7.1 1/250秒 ISO200】
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