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▼ 魚津市真成寺町(しんじょうじまち)に位置する玉蓮山真成寺は、今から500年ほど前、魚津市の北東約4kmの大谷温泉(おおたにおんせん)(2013年に閉鎖)裏山の大谷の郷に誕生し1を聞いて10を悟る神童と讃えられた慈光院日等上人(じこういん・にっとうしょうにん)によって開山された日蓮宗の寺院で、現在の住職は、35代目に当たる。 |
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資料:Google Earth |
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▲▼
真成寺は、西向きに建てられており、真成寺町の南北に連なる商店街の中ほどに入口がある。20mほどの参道を東に進むと山門があり、その奥が境内となっており、本堂がある。 |
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日蓮宗の寺紋「井桁に橘」が掲げられた |
真成寺山門 |
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今年で6回目となる冬至水行祭は、厳寒の冬至に昼と夜の二回に分かれ、一般参加者約80名の老若男女が女性は白衣、男性は褌一丁の裸形となり、本堂前の境内に置かれた二つの仮設水槽で、日蓮宗の作法に則り、水行肝文(すいぎょうかんもん)を唱えながら手桶で頭から冷水を被る水行を行う。 |
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1999年建設の鉄筋コンクリート製庫裡(くり) |
1517年創立の本堂 |
久遠廟(合同墓) |
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しめなわの とうじすいぎょう しんじょうじ |
Shinjoji Temple, winter solstice ablution of sacred straw ropes. |
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山 門 |
本部テント(受付) |
日蓮聖人像 |
休憩所(仮設テント) |
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日蓮宗の水行は、長勝寺寒の荒行
に解説した如く、荒行僧が千葉県市川市にある日蓮宗大荒行堂での過酷な100日の荒行を無事に終えた成満(じょうまん)記念に行うものだが、真成寺は、その水行を水行祭として初めて一般人に開放した。 |
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資料:真成寺 |
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▲▼ 真成寺の水行は、谷川寛敬(たにかわかんきょう)副住職が平成13年(2001)の冬至の日に日蓮宗大荒行堂で初めての100日荒行(初行)を無事に終えた成満(じょうまん)記念に行ったのがはじまり。平成20年(2008)から檀信徒など一般参加者を募集し、冬至水行祭を行うようになった。 |
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資料:真成寺 |
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▼ 水行に使用する越中褌は、毎年真成寺がクリーニングしたものを貸与しているが、今年から立褌(たてみつ)を二重にして濡れても透けて見えない褌を1000円で入手できるようになった。前垂れの先端には、御本尊の曼荼羅(まんだら)をあしらったロゴがプリントされており、水に浸かっても消えない特殊な染料で焼き付けられている。 |
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全国的にみても水行用に立褌を二重に仕立てた褌は初めてなので、私も記念に購入し、平成26年(2014)1月12日に東京都中央区鐵砲洲稲荷神社で行われた第59回寒中水浴大会で着用した。 |
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立褌 |
が二重になった |
水行褌 |
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本部テントの受付で水行の申込をすると、御寳牘(ごほうとく)が頂ける。白封筒の中には、御本尊の曼荼羅と日蓮聖人(にちれんしょうにん)の金箔が押された御札と鬼子母尊神(きしもそんじん)の身がは里(みがわり)御守が入っている。左下は、冬至水行祭のロゴ入り褌(1000円)。 |
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水行褌 |
と御札・御守が入った |
御寳牘 |
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山門の北側に建つ日蓮聖人の銅像は、平成12年(2000)10月に建立されたもので、法華経を辻説法する強い信念と躍動感あふれる姿を表現したもの。参詣にやってくる檀信徒(だんしんと)たちに力を与えてくれる。 |
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山門の北側に建つ |
日蓮聖人像 |
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日蓮聖人像のそばに建てられた仮設テントの休憩室の壁に水行参加申込者(昼の部4組31名・夜の部4組52名)の名前が組別に表示されているので、自分の順番を確認することができる。実際の水行は、数名の欠席者がいた。 |
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日蓮聖人像のそばの休憩室に張り出された水行参加申込者(昼の部31名・夜の部52名)
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▲▼
真成寺本堂は、永正14年(1517)の創立で、はじめは越中の角熊郷において開創。元亀2年(1571)に角熊城(松倉城)落城とともに現在地に移転し、平成25年(2013)で開創496年となった。 |
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内部は、檀信徒用の椅子が置かれた外陣(げじん)とその奥の一段高い内陣(ないじん)に分けられている。内陣の奥に諸仏が安置された須弥壇(しゅみだん)があり、その奥の壁に日蓮宗の御本尊である曼荼羅(まんだら)が掛けられている。 |
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▲▼
須弥壇の中央には、日蓮聖人の像が安置されており、その周りには、一塔両尊四士*(いっとうりょうそんしし)に不動明王(ふどうみょうおう)・愛染明王(あいぜんみょうおう)などが置かれ、曼荼羅御本尊(まんだらごほんぞん)の形式で仏が祀られている。中央の経机(きょうづくえ)には、法華経八巻が奉(たてまつ)られている。 |
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日蓮聖人座像の赤い袈裟には、日蓮宗の金色の寺紋「井桁に橘(いげたにたちばな)」があしらわれている。 |
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*一塔両尊四士:中央の宝塔に南無妙法蓮華経と書かれ、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が一つの蓮台に乗って
おり、右に上行、無辺行のそれぞれの菩薩が、左に浄行、安立行のぞれぞれ菩薩が奉安される形式。 |
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▲▼ 曼陀羅(まんだら)はインドの言葉で、漢訳では輪円具足(りんねんぐそく)といゝ、車輪のように円の中に一切の諸法が全て含まれているという意味で、仏
の心(悟りの世界)をあらわしたもの。
日蓮聖人は、久遠の仏が悟った世界を文字で表現した。 |
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写真上の曼荼羅は諸仏に隠れて殆ど見えなかったため、後日、谷川副住職に掛け軸を外して全容を撮影してもらい、筆者が表具の歪みを調整したものが写真下の曼荼羅である。これだけの高精細画像を
internet
にアップしている例は見あたらず、この画像が日蓮宗の曼荼羅の理解に極めて役立つものと思われ、谷川住職のご英断に深謝申し上げる。 |
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須弥壇 |
の奥に掛けられた御本尊の掛け軸「 |
荼羅 |
」 |
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原画:真成寺 |
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▼ 曼陀羅(まんだら)に書かれた毛筆体はある程度読めるが、文字の重なりなどがあってよく分からないので、筆者が
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上の文献から活字体に直して対比したものが写真下である。 |
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下部に天照太神(あまてらすおおみかみ)や八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の文字がみえるが、曼荼羅にはあらゆる諸天善神(しょてんぜんじん)が勧請(かんじょう)されており、見事に神仏が習合(しゅうごう)している。 |
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この日は、ほしまつり(星祭)ということもあり、須弥壇の中央に北極星を神格化した妙見菩薩(みょうけんぼさつ)が飾られていた。光背(こうはい)に北斗七星があしらわれている妙見菩薩像は、童顔の武将仏で玄武(げんぶ)(亀と蛇の合体した想像上の動物)に乗り、唐服を着て剣を杖のようにして立つ姿が一つの典型で、写真下の厨子(ずし)に入った像は、剣が抜け落ちているのが惜しまれる。 |
妙見菩薩は、道教(どうきょう)や陰陽道(おんみょうどう)の影響が強く、武運長久、国家安穏、五穀豊穣の尊神であるとともに物事(ものごと)の真相を見極める霊力があるとされ、眼病平癒(がんびょうへいゆ)の霊力を持つといわれている。 |
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▼ 本堂内陣左側に真成寺三大重宝のひとつに数えられる鬼子母神が祀られている。写真下の鬼子母神は、腹部が観音開きの厨子になっており、その中に鍋かむり日親上人(にっしんしょうにん)*が作成した三体のひとつである鬼子母尊神が祀られている。真成寺の開山慈光院日等上人が大家老の難病を祈祷するときに所持していたもので、難病が見事に治癒し、その霊験が大評判となった。御開帳は、年に一度、10月8日の祭礼に行われるという。 |
*日親上人:室町時代中期に第6代将軍足利義教(あしかがよしのり)(在位1428-1441)に立正治国論(りっしょうちこくろん)を献上し、水攻め火攻めのあと焼き鍋を頭に乗せられたことから鍋かむり日親上人と呼ばれる。 |
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▲▼ 鬼子母神は、仏教を守護する夜叉*(やしゃ)で女神の一尊。夜叉・毘沙門天(びしゃもんてん)の部下の武将の妻で、500人の子の母でありながら、常に人間の子を捕えて食べてしまうため、多くの人間から恐れ憎まれていた。 |
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それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子を隠したところ、彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦にすがった。そこで釈迦は、子を失う親の苦しみを悟らせ、仏法に帰依(きえ)させた。彼女は仏法の守護神となり、子供と安産の守り神となったという。 |
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*夜叉:古代インド神話に登場する鬼神。のちに仏教に取り入れられ、諸天善神(しょてんぜんじん)(仏法と仏教徒を守護する天部の神々)の一尊となった。 |
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日蓮宗の依経(えきょう)(依って立つ経典)である法華経(ほけきょう)では、あらゆる諸天善神は仏と同等の存在であり、生きとし生ける生命には、仏種(ぶっしゅ)(仏となる種)や仏性(ぶっしょう)が宿るという平等精神が説かれている。 |
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日蓮聖人の書き遺した曼荼羅には、大黒天、不動明王、妙見菩薩、鬼子母神、三十番神などの諸天善神が勧請(かんじょう)されているが、真成寺では、
法華経守護の諸天善神の中でも特に大切にされている大黒天や不動明王を別勧請して祀っている。 |
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三十番神(さんじゅうばんじん)は、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護する30柱の神々のことである。
太陰太陽暦では、月の日数は29日か30日であった。 |
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神仏習合 |
の |
三十番神 |
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▲▼ 伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)が比叡山に祀ったのが最初とされ、鎌倉時代には盛んに信仰されるようになった。中世以降は、京都に日蓮宗を布教しようとした日像が比叡山の三十番神を取り入れたため、日蓮宗や法華宗で重視され、法華経守護の神(諸天善神)とされた。 |
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▼ 真成寺本堂右手の位牌壇には檀家の先祖の位牌が祀られており、毎朝のお勤めに回向供養(えこうくよう)が行われている。 |
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▼ 真成寺本堂の左手には、谷川日俊上人(たにかわにっしゅんしょうにん)の三度に及ぶ荒行(あらぎょう)の成満(じょうまん)を祝う成満旗(じょうまんき)が飾られている。谷川日俊(たにかわにっしゅん)とは、谷川寛敬副住職の戒名である。 |
日蓮宗の僧侶はじめ檀信徒の戒名には、日蓮聖人の弟子ということで「日」の一字が入る。「俊」は師匠(住職)寛俊の一字を貰ったもの。 |
これらの旗はすべて100日に及ぶ荒行を無事に成満した折に檀信徒らがお祝いに製作してくれたもの。谷川副住職によると、荒行は過酷で、体重は10kg以上痩せ、平成12年(2000)の初行(しょぎょう=1度目)と平成16年(2004)の再行(さいぎょう=2度目)時に死者が出たという。それでも免許皆伝となる五行の成満を目指すというから頭が下がる。 荒行の解説:寒の荒行/木釼 |
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谷川日俊上人 |
の |
成満旗 |
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