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川越街道の緩やかな坂を上り、午後8時前に大和田小学校前の交差点を折り返した一行は、JR武蔵野線新座駅(にいざえき)入口交差点で、再度、神輿練りを披露した。 |
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この辺は旧大和田下町で、以前は江戸から川越街道を下り、野火止(のびどめ)の大地を歩いてきた旅人を迎え入れた大和田宿の玄関口だったという。現在は、JR新座駅の再開発事業の進展で、賑わいを取り戻して来ている。 |
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午後8時25分ころ、一行は新座駅前から緩やかな坂を下って町内渡御最大の見せ場である大和田中町の交差点に戻ってきた。神輿は交差点の近くで休憩をとりながら、勇壮な神輿練りを存分に披露した。 |
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氷川神社の祭神が素戔嗚尊(すさのおのみこと) = 牛頭天王(ごずてんのう)だということで、荒ぶれば荒ぶるほど神は喜ばれ、御利益(ごりやく)も大きくなるといわれている。氷川神社は、かつては「大和田の天王様」と呼ばれていたという。 |
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昔の担ぎ手は大勢いたことから「法被(はっぴ)」さんと「野次馬(やじうま)」に分かれていた。背に「神輿」の文字が入った正規の法被を着ることができる長男(家の跡継ぎ)と、無文字の法被しか着用できない次男以下のグループという分け隔てである。 |
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現在でも担ぎ手の長は法被頭(はっぴがしら)と呼ばれる。今年の法被頭は浅田浩司さん。4時間の神輿練りの間たった一人で棒鼻*(ぼうばな)の前で神輿の現場指揮を執るタフな役回りである。帯紐のない白色の長法被をはおり、背に「神輿」、襟に「氷川神社」「法被総頭」の文字が入れられている。 |
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*棒鼻(ぼうばな):先棒(さきぼう) (先頭の担ぎ棒)の先端 |
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あれみこし しろふんどしの じゃんぴんぐ |
The rough mikoshi,
white fundoshi loincloths jumping. |
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今では担ぎ手が少なくなり、地元の氏子を30人ほど選ぶにも苦労するという。部外の飛び入りが野次馬ということになるが、全員、正規の法被が貸与される。部外者の参加は大歓迎で、体力に自信のある人は是非参加してほしいという。 |
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夜祭りではあるが蒸し暑く、汗は滝のように流れ、法被はビショビショになる。筆者ですら喉はカラカラになり、暑さで倒れそうになったので、水分を十分に補給する必要がある。 |
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