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 旅紀行日本の裸祭り

2014年7月9日改訂

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♪メドレー「春の海」

どやどやの御堂を目指す褌衆   北舟

 

Doyadoya ritual, men of fundoshi loincloths going to the temple.

2009年2月7日制作

東から白梵天を持つ白組が登場

拡大写真(1800x1500)485KB

東から白梵天を持つ白組が登場/四天王寺どやどや(大阪市)

四天王寺どやどや'09

石舞台

 

四天王寺どやどや

大阪府大阪市天王寺区 四天王寺 毎年1月14日 日本三大奇祭


 四天王寺では、元旦から14日間六時堂で天下泰平・五穀豊穣を祈願する修正会(しゅしょうえ)が修せられ1月14日の結願(けちがん)の日に褌一丁の若者たちが六時堂に入って護符を奪い合う「どやどや」が行われます。
 江戸時代から続くこの裸祭は、昔は西大寺会陽や黒石寺蘇民祭と同じように地元民が争奪戦を繰り広げていましたが、褌一丁で御札を奪い合うという伝統は固持しているものの、現在は実施時期を新正月にシフトし、混乱を避けるため、日中に地元の中高生男子たち総勢約800人が参加する行事となっています。
 大都市大阪のど真ん中で、若人たちの裸体が躍動しぶつかり合う裸祭は他に例がなく、毎年、若者たちの元気をもらおうと、聖徳太子が創建した四天王寺の境内は多くの観光客で一杯になります。

スライドショー CD写真集「四天王寺どやどや 」

スライドショーCD写真集「四天王寺どやどや 」
 

 スライドショーCD (四天王寺どやどや)は、過去2年分4作品の原画から改めて編集し直した280枚の画像が画面一杯に展開し、5秒ごと切り替わるスライドショーとなっており、上映時間は24分です。画像の合間にホームページに掲載している解説画像を挿入していますので、そこで停止し、祭の内容を把握しながら観賞できるようになっています。280枚のうち約180枚がホームページにアップしていない原画ですので、裸祭ファンにとって是非愛蔵したい垂涎の作品となりました。個人で楽しむ限り、最大A2サイズまでプリントアウトすることができます。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円) 日本の祭りCD・DVD写真集

  
YouTube 四天王寺どやどや(抜粋縮小版)
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。
 

はじめに

 平成21年(2009)1月14日(水)午後2時半から大阪市天王寺区・四天王寺で恒例の裸祭り「どやどや」が開催されたので7年ぶりに取材した。詳しい解説は、前作の 四天王寺どやどや を参照願いたい。 四天王寺公式サイト
僧侶の行列/四天王寺本坊

僧侶の行列/四天王寺本坊

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四天王寺してんのうじ

 
   大阪市天王寺区にある四天王寺は、約1400年前に聖徳太子が建立した七大寺の一つ。山号は荒陵山(あらはかさん)本尊は救世観音(ぐぜかんのん)で「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょう・してんのう・だいごこくのてら)ともいう。  

四天王寺の伽藍配置は中門金堂講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」である。

中心伽藍回廊

中心伽藍回廊

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写真:フリー百科事典 Wikipedia

   日本書紀によれば、推古天皇元年(593)に造立が開始された。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称。宗派はもと天台宗に属したが、日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の寺であり、「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、昭和21年(1946)に和宗総本山として独立した。  
江戸時代・寛政10年(1798)の伽藍

江戸時代・寛政10年(1798)の伽藍

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写真:フリー百科事典 Wikipedia

 
どやどや
 
   四天王寺では、元旦から14日間六時禮讃堂(通称六時堂)で修正会(しゅしょうえ)が修せられ14日の結願(けちがん)の日に「どやどや」が行われる。修正会は毎年正月に天下泰平・五穀豊穣を祈願する行事で天長4年(827)正月に京都のお寺で始まり以後諸大寺に広まっていったという。 正月に修せられることから修正会と呼ばれる。  
中心伽藍の北に位置する亀ノ池(西側)・六時堂(中央)・石舞台(報道席)

中心伽藍の北に位置する亀ノ池(西側)・六時堂(中央)・石舞台(報道席)

拡大写真(1600x1200)400KB

   「どやどや」はこの結願日に当たって行われるもので、法要中に祈祷された魔除けの護符である牛王宝印(ごおうほういん)を近在の村人たちが寒中素裸になって奪い合うのが古来の習俗となっていた。いつから始まったものかは分からないが、江戸時代には行われていたという。  
亀ノ池(東側)・石舞台・六時堂(北側)

亀ノ池(東側)・石舞台・六時堂(北側)

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   かつては酉の刻(午後6時)から法要がはじまって、牛王宝印を投ずるのは夜8時から9時頃であったという。現在は混乱を避けるため午後2時半より始まり、参加者も四天王寺に関連する中高生(男子)に限られている。  
どやどや(護符争奪戦)が行われる六時堂と石舞台

どやどや(護符争奪戦)が行われる六時堂と石舞台

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 昔は、牛王宝印を押した護符のついた柳の枝が何百本と群衆の中に投ぜられると、それを取ろうとして東西よりやってきた裸の群れがひしめきあったという。そして、持ち帰った柳の枝を稲田の水口に立てておくと、害虫がつかず、その年の稲が豊かに実るといわれており、「どやどや」は五穀豊穣の祈願に由来した祭礼である。
園児たちの登場 2009.1.14 14:30

園児たちの登場

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 牛王宝印を受けんとして、どやどや・・・と六時堂に群集することから「どやどや」の名が起こったといわれている。(四天王寺配付パンフレットより抜粋・要約)。
六時堂で気勢を挙げる園児たち

六時堂で気勢を挙げる園児たち

拡大写真(2000x1200)602KB

 
園児によるどやどや
 
 午後2時半から開始された「どやどや」の最初は園児の部。先頭グループは和泉チャイルド幼稚園と御池台幼稚園。いずれも仏教系の学校法人・宝泉学園が経営する。鉢巻に健康と太陽の文字。園児211名、職員40名が参加。続いて四天王寺夕陽丘保育園と四天王寺悲田院保育園の園児89名が10名の職員と共に入場。総勢350名の大集団となった。                           
六時堂を退場する園児たち

六時堂を退場する園児たち

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 7年前の取材では園児たちは男女とも上半身裸だったが、今年の女児はシャツを着ていた。小さいときから男女差を認識させ、女らしさを身につけさせる教育なのだろうか。

子供は風の子元気な子

子供は風の子元気な子

   園児が退出した後、前半と後半の2回に分けて御札と呼ばれる牛王宝印(護符)の争奪戦が行われた。 前半の部は、学校法人四天王寺学園が経営する四天王寺羽曳丘(はびきがおか)高校と中学校(いずれも男女共学)の男子生徒260名に教職員31名が参加。
東から白梵天を持つ白組が登場

東から白梵天を持つ白組が登場

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 午後2時45分、一行は境内南に建つ仁王門の前から二手に分かれて出発。教官の吹く「ピッピッ!」にあわせて「わっしょい!わっしょい!」という声が四天王寺に響き渡る。白組は東側、赤組は西側から亀ノ池の参道に入り、それぞれ石舞台の脇を通って六時堂に向かった。
  どやどやの御堂を目指す褌衆  北舟 

どやどやの みどうをめざす ふどししゅう

Doyadoya ritual, men of fundoshi loincloths going to the temple.

西から赤い梵天を持った赤組の入場

西から赤い梵天を持った赤組の入場

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