|
|
|
|
|
|
|
江戸時代、大名の藩米を扱っていた浅草蔵前の札差(ふださし)の穀倉が佐賀町の川沿いに立ち並んでいたが、その仲仕(なかし)(荷役(にやく)人夫)たちが、力ひとつで生きてきた仕事の余技に楽しんだ力自慢の曲技が起源。 |
|
|
種々の力自慢が加わり、芸能として発達した。19世紀初めの文化・文政の頃には、興行として行われるほど盛んになり、長唄「近江のお兼」にも唄われている。 |
|
|
|
|
|
|
|
深川の力持会場 |
|
拡大写真(1400X890)330KB |
|
|
|
|
|
|
演技には、米俵、臼、小舟、脚立、長柄、小桶、桝などが用いられ、口上師が口上を述べ、砂村囃子が囃す。出し物は1俵(4斗/40升)約60kg の米俵が中心で、どれだけ軽々とあしらうかが腕の見せ所。 |
|
|
|
|
|
|
|
桝で俵をあしらう |
|
拡大写真(1400X920)330KB |
|
|
|
|
|
|
|
演目は、俵の差し分け、用具のあしらい、酒樽の差し分け、餅つき、七福神宝の入船、文字書き、江戸の花五人持、虚無僧の8 種類である。 |
|
|
|
|
|
|
|
用具のあしらい |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
江東区指定無形民俗文化財の砂村囃子は、享保年間(1716〜1735)の初めに金町の香取明神社(現在の葛西神社)の神官・能勢環が農民に囃子を教え、それが近隣の農村に広まったものと伝えられている。 |
|
|
|
|
|
|
|
脚立の上に米俵を乗せてあしらう(用具のあしらい) |
|
拡大写真(1200X840)295KB |
|
|
|
|
|
|
葛西囃子や神田囃子と同じく、江戸近辺の祭り囃子の一つで、大太鼓1、締太鼓2、篠笛1、鉦1の五人囃子。富岡八幡宮を始め、江東区内神社の祭礼や祝儀の場などで演奏される。 |
|
|
演目は、初伝(屋台、聖殿、鎌倉、四丁目、屋台)、中伝(屋台、鎌倉、聖殿、神田丸、四丁目)、皆伝(屋台、鎌倉、聖殿、間延、麒麟、恰好、亀井戸)。 |
|
|
|
|
|
|
|
大桝の五段重ね |
|
拡大写真(1400X1100)362KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
餅つきは仰臥(ぎょうが)した人の上に4俵240kgの米俵を積み上げ、その上に臼(うす)を乗せて餅をつくというもの。 |
|
|
|
|
|
|
|
腹の上の餅つき |
|
拡大写真(1400X1200)388KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
仰臥(ぎょうが)した人の腹の上に重さ60kg の米俵4表を積み上げ、その上に臼と船を乗せ、船に酒樽と俵を抱えた3人の大人が乗って、合計1トンの重量をかける。3人が米俵を差し上げて船を縦に揺らすという荒業。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
資料 |
|
|
拡大写真(1400X940)322KB |
|
|
|
|
|
|
深川力持睦会 |
|
|
先の戦災で深川一帯は焼け野原と化し、穀倉も無くなり、また、機械化で力自慢の者たちも少なくなって中断されたが、昭和29年(1954)に深川力持睦会(佐賀町力持睦会)が結成されて復活。毎年10月に行われる「江東区民まつり」で「木場の角乗」「木場の木遣」などとともに披露される。昭和31年(1956)に東京都から無形民俗文化財の指定を受けた。 |
|
|
|
|
|
|
|
力持の片手米俵 |
|
拡大写真(1600x1200)462KB |
|