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 旅紀行日本の祭り

2003年1月3日改訂
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2002年12月25日制作

赤穂義士祭(兵庫県赤穂市)

赤穂義士祭(兵庫県赤穂市)


    



    


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太鼓橋と大手門

太鼓橋と大手門

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赤穂城 正保2年(1645)、常陸笠間からこの地に5万3500石で転封された初代藩主淺野長直が、甲州流軍学者の近藤正純と山鹿流軍学者の山鹿素行の縄張りにより、慶安元年(1648)から13年をかけて築き上げた変形輪郭式海岸平城である。
 周囲3kmの赤穂城は海岸に臨む海平城で、城内には10の櫓と12の門を配し、往時は直接海に舟を出せる城であった。本丸には天守台は造られたものの、幕藩体制が確立した後だけに天守閣は築かれず、本丸御殿が設けられた。
 パレードの余韻が覚めぬなか、赤穂城跡に向かった。

国史跡赤穂城跡

 赤穂城跡は、本丸・二の丸・三の丸が近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の縄張りであったため、国の史跡に指定され、昭和27年(1952)に大手門と大手隅櫓が復元、堀や石垣とあいまって美しい外観を見せている。
 平成4〜8年には本丸門や本丸庭園などが復元され、赤穂城跡はNHK大河ドラマ「元禄繚乱」にも登場した。

大石邸長屋門

大石邸長屋門

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 大手門から中に入ると、大石内蔵助邸長屋門に至る。この長屋門は赤穂城跡に残る貴重な遺構で、国の史跡に指定され、長屋門内には浅野内匠頭の刃傷・切腹を早籠で伝えた様子が等身大の人形で再現されている。
 大石邸の向かいに近藤源八宅跡長屋門がある。城内に残された江戸期の建物はこの二つだけである。
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大石神社

大石神社拝殿

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大石神社参道

大石神社参道

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 城内に大正元年(1912)に建てられた大石神社があり、大石内蔵助ら四十七士に加えて、余儀なく切腹に追い込まれた萱野三平が祀られている。
 境内にある宝物殿には赤穂浪士が討入りに使用した武具や装束、書状などの遺品が展示され、中でも酒をこよなく愛した大石内蔵助愛用の杯が興味をひく。
 義士木像奉安殿には浅野内匠頭と四十七士の木像がある。大石神社参道の両脇には四十七士の石像が参道に向かって並んでいる。 大石神社
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赤穂城跡本丸門

赤穂城跡本丸門

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 本丸門は、17世紀中頃の築城当時の建造と推定され、明治10年(1977)代後半の取壊しまでの約230年間存続していた。
 現在の本丸門は、国・兵庫県の補助を受け、総事業費6億7千万円をかけ、平成8年(1996)3月に完成した。

山鹿素行像

山鹿素行像

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 兵学者・儒学者として有名な山鹿素行(やまがそこう 1622〜1685)は、9歳で林羅山の門下に入った。素行は武人として実践的な孔子の教え(聖学)の原点に帰ることを主張し、武士道を政治哲学まで高めた(山鹿流兵法)。
 承応元年(1652)から万治3年(1660)の間、初代藩主淺野長直に千石で召し抱えられ、家中に兵法を指南した。
 その後江戸で「聖教要録」を出版。時の執権会津藩主保科正之(ほしなまさゆき 二代将軍秀忠の第4子)は、朱子学批判の罪で素行を赤穂浅野家に配流(はいる)したが、延宝3年(1675)許されて江戸に帰った。
 吉良邸討入りの際、大石内蔵助が打ち鳴らした太鼓は「山鹿流陣太鼓」と呼ばれる。
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天守台と大池泉

天守台と大池泉

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本丸門

本丸門

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 本丸跡に復元された本丸門を入ると、本丸御殿の間取りが実物大の土台の上に示され、建物はないものの往時の御殿の広さが実感できる。

天守台

 本丸跡で目を惹く天守台に上がれば、復元された本丸庭園の大池泉、二の丸・三の丸跡が一望に見渡せ、小藩ながら大規模な城であったことがよくわかる。
 本丸跡を囲む堀と石垣も見ごたえがある。現在、二の丸跡と三の丸跡も発掘調査中で、二の丸にあった大名庭園などが復元されれば、赤穂城跡は素晴らしい観光資源となることだろう。
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天守台から見た本丸跡

天守台から見た本丸跡

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赤穂城本丸大池泉

赤穂城本丸大池泉

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 大池泉は、昭和59年(1984)の発掘調査で全容が明らかになり、淺野・森時代当時に復元されている。
 表御殿南面に広がり、東西38m、南北26m、外周150mの広さで、二つの岬、三つの入江、中央に中島を持つ。
 池の護岸汀線は曲線で、北護岸は直線の石組みで築かれている。地底は瓦や石を幾何学的に敷き詰め、大名庭園の体裁を整えている。
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赤穂市立歴史博物館

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義士行列

資料

和田義男

《 撮影 2002年12月14日 》
 
オリンパス CAMEDIA E-20 500万画素
ワイドエクステンションレンズ使用

 550枚  670MB

赤穂市立歴史博物館

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忠臣蔵の浮世絵

赤穂市立歴史博物館蔵

 赤穂の城と城下町・赤穂の塩・赤穂義士・旧赤穂上水道の4つをテーマとして郷土の歴史資料を多数展示している。
 赤穂城が海城だったことが良くわかるように展示してあり、文楽の『仮名手本忠臣蔵』を上映するシアターも備えている。
 「忠臣蔵」を史実のみならず、演劇・絵画をはじめとする文化的側面からもとらえている。

赤穂市の市章。デザインが素晴らしい。

赤の文字

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 赤穂の街のどこからでも山腹の「赤」の文字が見える。

 討入りが決行された元禄15年12月14日の江戸は大雪だったが、300年後の播州赤穂は週末の好天に恵まれ、昨年の2倍近い約13万人の人出があった。
 今年で99回目となる師走の風物詩に、見物客はしばし歴史浪漫の世界に浸った。
 特に、今年初めて人工雪を使った演出で、赤穂城大手門から繰り出す義士行列の華麗な元禄絵巻は素晴らしかった。
 一方、東京でも大石内蔵助に扮した元関脇・寺尾の錣山(しころやま)親方を先頭に、義士行列が銀座から四十七士と浅野内匠頭の墓がある泉岳寺(せんがくじ)まで行進した。来年は東京編にチャレンジしたい。(完)
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