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 旅紀行日本の裸祭り

2014年7月10日改訂

今 日

昨 日

♪和楽器メドレー

大写真(1600X1300)522KB

寒みそぎ大人褌子らも締め  北舟

2007年12月17日制作

鉢巻と厄除褌を締めた子供たち

鉢巻と厄除褌を締めた子供たち(葛懸神社/岐阜市池ノ上町)

 

池ノ上みそぎ祭

池上宮

池ノ上みそぎ祭

岐阜市池ノ上町 葛懸(かつらがけ)神社 毎年12月第二土曜日


 平成19年(2007)12月8日(土)、晴天に恵まれた岐阜市池ノ上町に鎮座する葛懸神社で「池ノ上みそぎ祭」が催行されたので、一泊二日の日程で激写してきました。

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かつては全裸だった禊祭

 「池ノ上はだか祭」とも呼ばれる「池ノ上みそぎ祭」は、正式には「池上宮禊祭(いけのうえぐう・みそぎまつり)(葛懸神社禊祭)」といい、池上宮禊祭祭典委員会が主催する例祭で、600年以上の歴史があります。特に応永年間(1394)に発生した「応永の大飢饉」以後は重要な祭儀となり、その後大洪水に見舞われた天文3年(1534)までは神社前の大池でみそぎを行っていたと伝わっています。
 この「みそぎ祓(はらい)」は、古来より毎年旧暦10月(神無月(かんなづき))晦日(みそか)に身体を長良川(ながらがわ)の清流で清め、罪穢れ(つみけがれ)を払い、家族の幸せと繁栄を祈願して神を迎える神事で、現在は12月第二土曜日に行われています。
 大正3年(1914)以後、それまでの全裸から褌を用いるようになり、祭元(まつりもと)(裸の会場)は禰宜(ねぎ)宅の民家が使われ、祭元に限って女人禁制とされてきました。現在の祭元は、神社に隣接する池ノ上公民館となり、無料で厄除褌(やくよけふんどし)がもらえ、気軽に参加できる裸祭です。

 
スライドショーCD写真集「池ノ上みそぎ祭」

スライドショーCD写真集「池ノ上みそぎ祭」
  ▲ このたび、歴史ある「池ノ上みそぎ祭」の感動を多くの方々に味わっていただき、蔵書版として永久保存していただくため、ホームページにはアップしていない100枚余りの新たな画像を追加したスライドショーCD写真集を作成しました。
 このCDをMS-Windows対応パソコンのディスク・ドライブに挿入するとBGMが流れるなか、解説文を含む246枚の画像が5秒毎にディスプレー一杯に映し出されるスライドショーを楽しむことができます。画面にはコントローラーが内蔵されていますので、好きなところで止まったり、スキップしたりして、自由に楽しむことができます。ホームページ からは入手できない原画も同梱していますので、最大A3サイズまでプリントすることも可能です。個人で楽しむ限りは、自由にプリントアウトして構いません。
 画像246枚、上映時間 21分。(1枚2000円 リピーター価格:1枚1500円)  日本の祭りCD・DVD写真集
  
YouTube 和田乃神社奉納相撲
(抜粋縮小版)
↓画像をクリックするとスライドショー動画が始まります。

 

はじめに

 平成19年(2007)12月8日(土)、晴天に恵まれた岐阜市池ノ上町に鎮座する葛懸(かつらがけ)神社で毎年12月第二土曜日に開催される「池ノ上みそぎ祭」が催行され、一泊二日の日程で激写してきた。

★☆★彡

 前日、富士川を渡る新幹線の車窓から新発売のオリンパスE-3で富士山を撮影した。手ぶれ防止と毎秒5コマの高速連写のお陰で、トラス式鉄橋の鋼材の間隙から完璧に富士山を捉えることができた。暖冬のせいか、雪は少なく、春のように霞がかかっていた。

富士川と富士山  2007.12.7 1240

富士川と富士山

拡大写真(1600X1200)204KB

 

岐阜城

ぎふじょう
 岐阜城は美濃国(みののくに)井之口(いのくち)(現在の岐阜県岐阜市)の標高329mの金華山(きんかざん)(稲葉山)山頂に建てられた山城である。織田信長は、斎藤道三の居城であった稲葉山城を攻め落とし、岐阜城と改称して自らの居城とした。

金華山山頂の岐阜城(旧・稲葉山城)

金華山山頂の岐阜城(旧・稲葉山城)

拡大写真(1350X1400)411KB

 

長良川

ながらがわ
 岐阜城天守閣からの眺望は素晴らしい。眼下の岐阜市内を西流する長良川は、北アルプスの大日岳(だいにちだけ)(2,501m)に源を発し、三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一級河川である。濃尾(のうび)平野を流れる木曽川(きそがわ)、揖斐川(いびがわ)と共に木曽三川(きそさんせん)の一つとして知られる。

岐阜市内を西流する長良川(岐阜城天守閣からの眺望)

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

岐阜城の西を流れる長良川

拡大写真(2000x1500)581KB

 

長良川の清流

 長良川の清流は特に有名で、柿田川(かきたがわ)、四万十川(しまんとがわ)と共に日本三大清流の一つに数えられている。昭和60年(1985)に中流域が「名水百選」に選ばれ、また、平成13年(2001)には、鵜飼(うかい)が行われる長良橋(ながらばし)から上流約1kmまでの水浴場が全国で唯一河川の水浴場として「日本の水浴場88選」に選定された。年間総流量は約40億m3
 ちなみに、長良川における鵜飼(うかい)は日本唯一の皇室御用の鵜飼で、長良川の鵜匠は職名を宮内庁式部職鵜匠という。長良川の鵜飼用具一式122点は国指定重要有形民俗文化財であり、また、長良川鵜飼漁法は岐阜市指定無形民俗文化財となっている。

長良川の禊場

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

長良川の禊場

パノラマ写真(2300X1000)421KB

 

 「池ノ上みそぎ祭」の禊場(みそぎば)は、白色の忠節橋(ちゅうせつばし)の500mほど下流の長良川右岸(北岸)にある。「池上みそぎまつり」と書かれた幟(のぼり)が立てられ、注連縄(しめなわ)が張られたみそぎ場には、筵(むしろ)が敷かれている。

むしろが敷かれた長良川のみそぎ場

むしろが敷かれた長良川のみそぎ場

パノラマ写真(2000X750)350KB

 

葛懸かつらがけ

神社
 神社略記と記者発表資料によると、葛懸神社(宮司 後藤忠彦)は千年以上前に現存した歴史ある神社で、昭和13年(1938)までは長良川の堤防の上(池ノ上村州原)に鎮座していたが、その後長良川上流改修工事のために現在地(池ノ上町3丁目47番地)に移転したという。祭神は、葛懸明神・県明神・水除神の三柱。
 天文3年(1534)の大洪水で現在の長良川が生まれた。それ以前は、現在の岐阜高校の辺りまで神社の参道が続いていたという。

葛懸かつらがけ

神社

葛懸神社

拡大写真(1800X1230)444KB

 

池ノ上いけのうえ

みそぎ

まつり

 「池ノ上みそぎ祭」は「池ノ上はだか祭」とも呼ばれるが、正式には「池上宮禊祭(いけのうえぐう・みそぎまつり)(葛懸神社禊祭)」といい、池上宮禊祭祭典委員会が主催する例祭で、600年以上の歴史があり、特に応永年間(1394)に発生した「応永の大飢饉」以後は重要な祭儀となり、その後大洪水に見舞われた天文3年(1534)までは神社前の大池でみそぎを行っていたと伝わっている。
 この「みそぎ祓(はらい)」は、古来より旧暦10月(神無月(かんなづき))晦日(みそか)に身体を長良川の清流で清め、罪穢れ(つみけがれ)を払い、家族の幸せと繁栄を祈願して神を迎える神事であり、現在は12月第二土曜日に行われている。
 大正3年(1914)以後、それまでの全裸から褌を用いるようになり、祭元(まつりもと)(裸の会場)は禰宜(ねぎ)宅の民家が使われ、祭元に限って女人禁制とされた。現在は、神社に隣接する池ノ上公民館が祭元となっている。
葛懸神社拝殿に入る宮司ら神職と氏子長老たち

葛懸神社拝殿に入る宮司ら神職と氏子長老たち

拡大写真(1800X1350)506KB

 

池ノ上いけのうえ

みそぎ祭を主催する

神男しんおとこ

 「池ノ上みそぎ祭」は、中部地方では「國府宮(こうのみや)はだか祭」とともに知られる裸祭りで、翌日の中日新聞と岐阜新聞の朝刊は、ともに対岸から入浴シーンを撮影したカラー写真を第一面に掲載して報道していた。
 「福」をもたらす神木/宝木(しんぎ)を奪い合う岡山や四国の会陽(えよう)と呼ばれる裸祭りに対して、「池ノ上みそぎ祭」では、裸の群の中心となる神男(しんおとこ)が「みそぎ」を主催し、参加者全員が斎戒沐浴して厄払いする追儺(ついな)神事であり、最後に、家族の幸せと繁栄を祈願して神を迎える「お神迎え」が行われる。
 愛知の「國府宮(こうのみや)はだか祭」は、数千の裸男たちがその渦の中心にいる全裸の神男(しんおとこ)に触れて厄を落とす追儺(ついな)神事で、神男(しんおとこ)は、厄を一身に背負う存在であり、神男の役割は全く異なる。

お祓いを受ける氏子長老らと3人の神男たち

お祓いを受ける氏子長老らと3人の神男たち

拡大写真(1600X1200)294KB

   「池ノ上みそぎ祭」は、白の晒木綿に「池上宮(いけのうえぐう)みそぎまつり」と赤く右横書きされた鉢巻と厄除(やくよけ)と赤く書かれた白晒木綿の越中褌のみを締めた裸男(はだかおとこ)たちが赤鉢巻に赤の水褌(すいこん)のみを締めた神男(しんおとこ)を中心に渦を形成しながら練り歩き、葛懸神社のそばを流れる長良川で垢離(こり)を取る。午後3時、7時、10時の三回にわたって行われ、今年は延べ約400人が参加した。

小6巫女による神楽舞の奉納

小6巫女による神楽舞の奉納

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禊始祭

みそぎはじめまつり
 午後2時から本殿で禊始祭が行われた。拝殿には略礼服の祭典委員長ら長老の役員と共に白鉢巻と白の浄衣を着用した正禰宜(せいねぎ)、副禰宜(ふくねぎ)、子供禰宜が整列。神職による祝詞奏上(のりとそうじょう)、修祓(しゅばつ)の後、奥の幣殿(へいでん)で小学6年生の巫女(みこ)4人による厄祓いの神楽舞(かぐらまい)が奉納された。

神楽の奉納の後、厳かな雅楽(ががく)の調べが流れるなか、長老らによる玉串奉奠(たまぐしほうてん)が行われた。

玉串奉奠たまぐしほうてん

玉串奉奠

 

 神社の入口には飛び入り参加を歓迎する掲示板が掲げられており、「みそぎ参加大歓迎」「御神酒鉢巻褌は祭元に用意してあります。公民館え来て下さい。祭元」と書かれていた。

 神社の裏にある祭元の池ノ上公民館で氏名などを記入して登録すると、無料で鉢巻と褌がもらえるので、参加者全員が統一された衣装でみそぎ祭を行うことができる。

飛び入り参加を歓迎するみそぎ祭

飛び入り参加を歓迎するみそぎ祭り

 

 境内では、厄除餅(やくよけもち)と禊蕎麦(みそぎそば)が販売されていたが、みそぎに参加すれば無償でもらえる厄除褌(やくよけふんどし)は、販売されていなかった。

厄除餅やくよけもち

禊蕎麦みそぎそば

の販売

厄除餅と禊蕎麦の販売

拡大写真(1400X1080)395KB

 

池ノ上公民館

いけのうえこうみんかん

 祭元(裸の会場)の池ノ上公民館は、葛懸神社のすぐ裏手にあり、「池ノ上みそぎ祭」参加者の控え室兼脱衣所となっている。祭元の掟に従って、この場所に限り女人(にょにん)禁制となっている。

女人禁制の池ノ上公民館

女人禁制の池ノ上公民館

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   第一回と第三回のみそぎには、池ノ上の氏子が正禰宜(せいねぎ)として神男(しんおとこ)を務めるが、第二回みそぎには、外部から登用される副禰宜(ふくねぎ)が神男をつとめる。今年は、正禰宜が池ノ上一丁目の氏子・奥村悟さん(会社員 39歳)、副禰宜は遠藤達也さん(公務員 43歳)。子供禰宜がつとめる神男は、氏名は公表されていなかったが、正禰宜の長男がつとめるのが習わしという。
 なお、「祢宜」は「禰宜」の略字で、正規には「禰宜」と記す。

公民館の掲示

 

正禰宜せいねぎ

のおこもり
 正禰宜は、12月5日から祭り当日まで本殿左に隣接する参集殿で「おこもり」に入る。昼は平常の仕事を勤め、夜は参集殿に泊まる。この間、女体を絶ち、食べ物の一部を禁止し、自分が炊いたものしか食べない「別火」をして、心身ともに「みそぎ祭」に備える。
 「おこもり」の間に、漆の木で神迎祭(しんげいさい)の三方(三宝)(さんぽう)に必要な箸とオミオクサマ*に用いる杓子を作る。
*オミオクサマ:御食様 神男が炊いたご飯。神迎祭(お神迎え)の祭壇に供える。

第二回みそぎ神男をつとめる副禰宜の遠藤達也さん

第二回みそぎ神男をつとめる副禰宜の遠藤達也さん

拡大写真(1260X1400)250KB

   池ノ上公民館の入口に幼児が姿をあらわしたので、1枚パチリ。私の隣りに立つお母さんに聞くと、最年少の4歳児だという。まだ、涎が垂れる幼い子供だが、大人の褌を着けたあどけない姿が微笑ましい。

最年少参加は4歳の幼児

最年少参加は4歳の幼児

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   みそぎまつりに参加すると貰える褌は、白晒木綿の越中褌で、前垂れに注連縄の絵と「厄除」の文字が赤く染め抜かれている。子供サイズの褌が足らないのか、大人と同じサイズの褌を締めている子供が大勢いたので、大きすぎて少々滑稽に見える。
 寒みそぎ大人褌子らも締め  北舟 

かんみそぎ おとなふんどし こらもしめ

「池上宮みそぎまつり」の鉢巻と厄除褌を締めた子供たち

「池上宮みそぎまつり」の鉢巻と厄除褌を締めた子供たち

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