|
|
|
|
|
撮影はこれで切り上げたが、午後10時から第三回のみそぎがあった。このときの神男は第一回と同じ正禰宜。 |
|
翌9日(日)午前零時から本殿で神迎祭(しんげいさい)(お神迎え)が行われ、宮司ら神職、祭典委員長、正禰宜、副禰宜などが列席して所定の神事を行い、神々を迎えた。幣殿から退場した参拝者はオミオクサマ*を食し、空になった土器(かわらけ)を瑞垣(みずがき)などにぶつけて割った。土器を割るのは、武士の出陣と同様、神前で誓った決意をあらわすものであるという。 |
9日(日)午前10時から本殿で大祭(たいさい)が行われた。一連の神事の後、祭壇に供えられた水槽の鯉(生贄(いけにえ))が長良川に運ばれ、神職と共に当年・前年の正禰宜がみそぎ場で修祓(しゅばつ)のあと、鯉を放った。なお、神迎祭と本祭は、本殿での撮影が禁止されている。 |
*オミオクサマ:御食様 神男が炊いたご飯。神迎祭(お神迎え)の祭壇に供える。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
撮 影
2007年12月7-8日
OLYMPUS
E-3 E-510
11-22mm 14-54mm
1000万画素 1,300枚 2.8GB
|
|
清流のめぐみ |
岐阜の県庁所在地という大都会にありながら、日本三大清流の一つに数えられる長良川の清流でみそぎをするという、大自然の恵みを身体いっぱいに浴びる裸祭り。何という贅沢な祭りなんだろう。特に、裸になった氏子たちの溌剌とした顔が素晴らしい。 |
中部地方には、尾張の「國府宮はだか祭」という数千人が繰り出す裸祭りがあり、神男が登場する。しかし、同じ神男でも「池ノ上みそぎ祭」の方は、追われる方ではなく、裸たちを統括する指揮者であり、仲間である。 |
|
そのコンセプトの違いから、勇壮な裸祭りではあっても和気藹々とした雰囲気があり、何より、主催者は事故防止に心がけている様子が伺え、4歳児でも安心して楽しめる祭典に仕上がっている。「池ノ上みそぎ祭」は、濃尾平野の豊かな恵みに感謝する楽しい祭りであった。 |
★☆★彡 |
日本の裸祭り第39集(実質第67集) 「池ノ上みそぎ祭」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成19年(2007)12月17日 作品:第39作 画像:(大80+小8) 頁数:6 ファイル数:191 ファイル容量:41MB
平成12年(2000)〜平成19年(2007) 作品数:270 頁数:931 ファイル数:31,197 ファイル容量:4,511MB |
|
|
|
|
【編集子が選ぶ傑作】 |
宮前で神男の胴上げ |
|
拡大写真(2000X1250)448KB |
|
|
|
|
|
|
12月9日(日)朝、宿泊したホテルのフロント女性が岐阜新聞と中日新聞の朝刊に「池ノ上みそぎ祭」が載っていることを教えてくれた。彼女は、タクシーの手配など、私をサポートしてくれた人で、午後7時の禊に友人が参加するということで見に行ったという。 |
★ |
ホテルで両紙を購入し、新幹線の中で記事を確かめた。両紙とも対岸からみそぎ場の様子を撮影したカラー写真を第一面に掲載し、大きく報道していた。地元の岐阜新聞は、「師走の長良川、祈る男衆」という見出しで、「下帯姿の男衆が清流で身を清める「池ノ上みそぎ祭」が8日、岐阜市の長良川で行われた。・・・」と書かれていた。 |
一方、中日新聞は、「冬の冷水締まる心 - 長良川・みそぎ祭 -」という見出しで、「・・・ふんどし、鉢巻きだけを身に着けた小学生からお年寄りまでが集結、頭から水をかぶったり、肩まで水につかったりして、けがれを落とした。・・・」と書かれていた。 |
読者は既にお気づきだと思われるが、中日新聞の記事の方が正確に書かれている。「池ノ上みそぎ祭」の祭り衣装は鉢巻と褌であり、神社入口の掲示板を見ればすぐに分かることである。下帯という言葉は、一切使われておらず、みんな褌と云い、裸男たちは全員越中褌を締めていた。地元新聞の記者は、何故か褌という由緒正しい言葉を使うことを躊躇し、褌=下帯と考えて「下帯」と書いたのではないだろうか。 |
|
|
|
|
【編集子が選ぶ傑作】 |
大人組いざ出陣! |
|
拡大写真(1600X1200)293KB |
|
|
|
|
|
★☆ |
私のセンスでは、越中褌は帯の部類には入らず、下帯と表現するには無理があると思う。「帯に短し襷に長し」という諺があるが、僅か3尺(90〜100cm)の布に紐を付けた越中褌は、三尺褌ともいわれ、襷の代わりにもならないほど短い。川越まつりの地元研究家によると、かつては木綿の手拭いを褌代わりに使うことがあったという。手拭いを縦に裂いて2本の紐とし、それぞれ手拭いの片端に結ぶと、即席の越中褌ができあがる。 |
越中褌は手拭いのようなもので、下帯ではない。広辞苑の「下帯」の説明は、「ふんどし」とあるが、これは六尺褌を指していると思われる。江戸時代の武士や町人たちは、下着や労働着、祭衣装に六尺褌を用い、激しい運動をしない僧侶や神官などが越中褌を愛用したといわれ、爾来、越中褌は僧侶や神職の下着や禊の衣装として定着した。時代考証を十分に行った時代映画や浮世絵を見れば、褌とは六尺褌であることが分かるだろう。 |
|
江戸時代につくられた「褌を締めてかかる」、「人の褌で相撲を取る」、「緊褌一番」、「褌担ぎ」などの格言は、今でも使われているが、下帯を使った格言は聞いたことがない。下帯とは、所詮、その程度の言葉なのである。 |
★☆★ |
今、静かな褌ブームで、internetでは老舗の褌屋など褌専門店が様々な色柄に加え、六尺、越中、もっこ、黒猫、まわしなど多種多様な褌を販売して繁盛している。褌販売店はあるが、下帯販売店は存在しない。「下帯」という言葉は、「褌」を上品に表現しようとしたものだろうが、曖昧な表現であるために使用されていないのではないだろうか。「褌」こそ、伝統と歴史ある正しい用語であり、現在、その復権が進んでいる。今年、NHKさえも「ふんどし」という言葉を使ったことを嬉しく思っている。 |
|
|
|
|
【編集子が選ぶ傑作】 |
褌を締めた元気な子供たち |
|
拡大写真(1400X1200)208KB |
|
|
|
|
|
|
今回、「池ノ上みそぎ祭」の撮影に、11月23日に発売されたばかりのオリンパスのフラッグシップ・モデル「E-3」と「E-510」の二台を使用し、1000万画素1300枚2.8ギガを撮影した。そのうち主力として使用したE-3の分量は、920枚2.0ギガだった。 |
両機とも手ぶれ防止機能があり、すべてフルオート手持撮影の和田式撮影術で激写したが、予想を超える素晴らしい画像が得られた。 |
|
|
|
|
拡大写真をご覧頂ければわかるように、動きのある祭礼にもかかわらず、細部にわたってシャープで彩り豊かな画像が得られている。「E-3」は、ダイナミック・レンジが広く、白飛びや黒潰れの少ない高性能機に仕上がっており、見事という他はない。 |
両機ともビビッド・カラーで撮影したが、「E-3」の方がその効果が強く、見た目以上に鮮やかな画像となっている。写真で人の肌色と白を表現するのが一番難しいが、「E-3」はやや赤みがかった色合いになっており、健康色とでも云うべき肌色となっている。フォトショップV6で標準色に戻すことは簡単だが、そうすると、冷ややかで貧相な画像となるので、私はあえてこの健康色で通した。今後、特に裸祭りは、この健康色を前面に出すこととし、少々重たい「E-3」ではあるが、筆者の主力機として活用してゆきたい。 |
|
|
|
|
【編集子が選ぶ傑作】 |
寒さに耐える禊 |
|
拡大写真(2200X1360)502KB |
|
|
|
|
|
|
写真下の「神社に向かう裸の渦」は、「E-3」の内蔵フラッシュを使ってライブ・ビューで撮影したものだが、隅々まで光が行き渡っており、ISO800 1/60秒で撮影したにもかかわらず、ノイズもなく、シャープな画像が結ばれている。特に、SAT (シャドー・アジャストメント・テクノロジー
Shadow Adjustment Technology )という新技術により、明暗差の激しい画像の暗い部分も明るく写るようになったため、遠くの方もしっかりと描写されているのが凄い。E-510によるフラッシュ撮影と比べてみると、その差は歴然としている。 |
「E-3」の内蔵フラッシュは合焦機能がチューンナップされていてとても速く感じられ、ストレス無く撮影が続けられる。外部フラッシュのFL-50を使ったときよりも速い気がするし、再充電も瞬時なので速写性にも優れている。 |
バウンス撮影とレンズの蹴られが発生する近接撮影以外は、内部フラッシュで完璧に対応できることが分かったので、これからは重い外部フラッシュは、バウンス撮影など特殊な状況のみに使い、普段は、内蔵フラッシュで対応したいと思う。 〈 完 〉 平成19年(2007)12月17日
和田義男 |
|
|
|
|
【編集子が選ぶ傑作】 |
神社に向かう裸の渦 |
OLYMPUS E-3 1/60秒 F2.8 内蔵フラッシュ(強制発光) ISO800 (手持・全自動・ライブビュー撮影) |
|
拡大写真(2000X1400)559KB |
|
|