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はじめに |
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平成19年(2007)1月20日(土)、朝4時起きして茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮(かしまじんぐう)で行われた第21回大寒禊を激写してきた。東京駅八重州南口4番バス乗り場から鹿島神宮行き特急「かしま号」に乗ると、2時間で鹿島バスターミナルに着く。 |
鹿島神宮へはそこから徒歩5分。何故か案内標識がないので、地元の人に道を聞いて午前9時ころ到着した。 |
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鹿島神宮入口の大鳥居 |
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常陸一之宮 |
の |
鹿島神宮 |
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「鹿島立ち」で有名な鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市に鎮座する常陸国(ひたちのくに)の一之宮(いちのみや)で、2600年以上の歴史をもつ関東最大最古の神社。「古事記」や「日本書紀」にも登場する。皇室から勅使が訪れる勅祭社は全国に伊勢神宮を含め17箇所しかないが、その一つで、旧社格は官幣大社。 |
本来、鹿嶋市と同様、鹿嶋神宮のはずであるが、現在は鹿島神宮と表記を統一している。 |
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表参道の朱塗りの楼門 |
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武甕槌(建御雷)命(たけみかづちのみこと)を祭神とし、神武天皇1年(紀元前660年)の創建と伝わる。天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受け、経津主命(ふつぬしのみこと)と共に出雲に下って大国主命(おおくにぬしのみこと)と国譲りの交渉に当たり、国土を奉還させた武神である。 鹿島神宮の公式サイト |
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堂々たる楼門 |
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武甕槌神(たけみかづちのかみ)が千葉県香取(かとり)市に鎮座する香取神宮に祀られている経津主神(ふつぬしのかみ)と共に武芸の神とされていることから、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた掛軸が対になって掲げられていることが多い。 |
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鹿島神宮に伝わる長さ約3mの直刀・ふつの霊剣(ふつのみたまのつるぎ)は茨城県内唯一の国宝として知られる。 |
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楼門奥に隣接する社務所 |
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鹿島神宮の境内は広く、東京ディズニーランドの総面積(80万m2)に匹敵する74万m2の広さがある。このうち44万m2は樹叢(じゅそう)で、樹齢千年以上の巨木を含む4万本以上の樹木と約600種の植物がみられ、茨城県の天然記念物に指定されている。参道の杉並木は、冬の強い北風の影響か、南側に傾いている。 |
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広大で鬱蒼とした境内(楼門奥の参道から楼門を臨む) |
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北に向いて建つ本殿
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鹿島神宮の本殿は、神社には珍しく北を向いており、古くから国全体の北方を護るためだといわれてきた。当時の日本国にとって、この地は永らく北の護りの要(かなめ)であり、国土鎮護の宮だったという。 |
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拝殿と本殿 |
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旅に出発する意味に使われる「鹿島立ち」は、万葉集の次の歌が出典で、境内の一角に石碑がある。 |
霰降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍我は来にしを 大舎人部千文 |
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あられふり かしまのかみを いのりつつ すめらみいくさ われはきにしを |
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作者の大舎人部千文(おおとねりべのちふみ)は常陸国那珂(なか)郡の人。 万葉集の歌が詠まれた頃、防人(さきもり)として西辺に派遣された庶民にとっても鹿島の神は強い心の拠り所となっていた。「鹿島立ち」の原型となったこの歌は、大東亜戦争中はことに愛誦されたという。 |
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拝殿の内部 |
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鹿島神宮は地震の守り神としても有名で、境内の要石(かなめいし)は地震を起こす大鯰(おおなまず)の頭を抑える杭といわれ、見た目は小さいが地中部分は大きく、決して抜けないという。地表部分は直径20cmほどの円形。 |
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資料 |
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要石はかなり昔から霊石として知られていたようで、建長8年(1255)神宮に参詣した藤原光俊(ふじわらのみつとし)は、この石を見て感動し、次のような歌を残している。
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尋ねかね今日見つるかなちはやぶる深山の奥の石の御座を 藤原光俊 |
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たずねかね きょうみつるかな ちはやぶる みやまのおくの いしのみましを |
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境内の案内板 |
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資料 |
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鹿島神宮の宮司 は上野貞文さん(75)。約30人の職員が神宮を管理している。 |
境内の西側に大鳥居があり、東に向かって進むと楼門、拝殿と本殿、仮殿、奥宮(いずれも国の重要文化財)、要石(かなめいし)、鹿園(ろくえん)、御手洗池(みたらしいけ)が続く。 |
鹿島神宮は年始三が日だけで50万人を超える初詣客で賑わい、年間通して県内外からの参拝客が絶えない。 |
鹿島の森約2km北側には、サッカーJリーグ鹿島アントラーズの本拠地である県立カシマスタジアムがある。2002年のサッカー・ワールドカップ開催を契機に周辺道路が整備され、鹿嶋市の近代化が進む中で、神宮周辺だけが古代の趣を残している。 |
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更に続く杉並木参道 |
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東西に延びる参道を西から東に進むと、左手に鹿園があり、そのそばに「さざれ石」が展示されていた。さざれ石は、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液が次第に小石を凝結し、段々と大きくなり、ついには巌(いわお)となり、河川の浸食により地表に露出し、苔むしたもの。全国の随所で見られる。 |
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さざれ石(石灰石角礫岩) |
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日本国歌「君が代」 君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで |
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国歌「君が代」は、天皇の御代の弥栄(いやさか)をさざれ石に託して詠んだ歌がもととなっており、古今和歌集 巻七 賀歌(かのうた)に掲載された題知らず読人知らずの歌「わが君は千代に八千代に細れ石の巌となりて苔のむすまで」が元となっている。 |
「君が代」は、神事や宴席で最後に歌われる祝歌として各地に広がり、浄瑠璃や謡曲にも取り入れられ、朝廷から一般庶民に至るまで、全国津々浦々で歌われるようになり、明治26年(1893)に日本国歌に制定された。大正時代にはニューヨークで開催された世界の国歌コンクールで特賞となった。 |
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鹿に餌をやる幼児 |
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祭神の神使(しんし)として親しまれている鹿が30数頭柵の中に飼育されている。神使は神の使者(使い)とされる動物で、鹿は「神鹿(しんか / しんろく)」と呼ばれ、神馬(しんめ)同様、神の乗り物である。 |
鹿島神宮では、鹿の神である天迦久神(あめのかくのかみ)が天照大神の命令を祭神に伝えに来たことから鹿を神使(しんし)としている。また、神護景雲元年(767)、藤原氏による春日大社の創建に際して、白い神鹿の背に分霊が乗り、多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良まで行ったとされている。 |
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鹿相撲 |
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