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はじめに |
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平成22年(2010)1月24日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の大寒禊(だいかんみそぎ)(初めての浜垢離はまごり)が九十九里浜(くじゅうくりはま)一宮(いちのみや
)海岸で初めて行われたので、鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会和田グループ一期の3人と共に参加し、密着取材した。
玉前神社公式ホームページ |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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資料 |
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▲▼ 大寒禊の会場は、JR外房線・上総一ノ宮駅から東方の一宮海岸の地引網小屋のそばで、タクシーで5分ほどで行ける。集合時間の午前10時より小一時間ほど早く着いたため、まだ、テントが張られていなかったので、組立を手伝ったりして、神社関係者と交流することができた。 |
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禊場の九十九里浜 |
一宮海岸 |
2010.1.24 09:15 |
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▲▼ 九十九里浜(くじゅうくりはま)は、千葉県房総半島東岸にある刑部岬(ぎょうぶみさき)(旭市)から太東埼(たいとうさき)(一宮町)までの全長約66kmの太平洋に面する海岸で、日本の白砂青松100選と日本の渚百選に選ばれている。 |
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古名は玉浦(たまうら)(玉の浦)であるが、源頼朝の命で6町を1里*として、1里ごとに矢を立てたところ、99本に達したという伝承から、「九十九里浜」といわれるようになったとの説が知られている。 |
*【6町を1里】 36町を1里とする現在の日本の尺貫法では、66kmは17里弱となる。このことから長く続いている浜なので九十九里といったとの説もある。しかし、古くから用いられていた長さの単位の1里は6町(1町は約109m)で、109m×6町×99里=約64.7kmとなり、実際に約九十九里となるので、有力な説となっている。 |
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「 |
玉前神社大寒禊 |
」募集広告 |
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資料:玉前神社社務所 |
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▲▼ 大寒禊の禊場に選定された一宮海岸は、九十九里浜南端にある海岸で、一宮海水浴場があるほか、多くのサーフポイントがあり、よい波を求めて一年中全国からサーファーたちが集まる。この日は、快晴の日曜日とあって、冬にもかかわらず、大勢のサーファーたちがサーフィン(サーフライディング)を楽しんでいた。 |
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▼ 受付のあるテントで1000円を払って参加を申し込むと、越中褌、鉢巻、大祓詞(おおはらえ・ことば)、使捨てカイロの4品が手渡された。 |
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大寒禊の受付/九十九里浜一宮海岸(千葉県千葉県長生郡一宮町) 2010.1.24 09:44
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▼ 禊に使う越中褌は、裸のまま手渡された。広げてみると、本体の長さが145cmほどあり、鐵砲洲など標準の越中褌が105〜110cmなので、かなり長い。紐は布テープで、病院のT字帯のように簡素なものだった。 |
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受付で手渡された越中褌・鉢巻・ |
大祓詞 |
・使い捨てカイロ |
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▼ 禊をしながら斉唱(せいしょう)するため、B4大の用紙に大祓詞(おおはらえことば)が縦書きに印刷されており、ルビが振られていたので、意味は分からずとも誰でも読むことができるようになっていた。 |
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▼ 10時から開始ということだったが、申込者3名が未着ということで、しばらく待ったあと、間もなくテントのそばの砂浜で、玉前神社の久松広樹(ひさまつ・ひろき)権禰宜(ごんねぎ)の挨拶が始まった。 |
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久松広樹権禰宜 |
の挨拶 2010.1.24 10:06 |
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▼ 続いて、大寒禊の指揮者である道彦(みちひこ)を務める宮嵜慎(みやざき・ひろし)禰宜(ねぎ)(君津市人見神社)の挨拶と説明が行われた。 |
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道彦の |
宮嵜慎禰宜 |
(君津市人見神社)による鳥船の説明 |
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▼ 準備運動と整理運動に行われる鳥船(とりふね)は、初心者も多いため、服を着たままで事前指導が行われた。 |
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▲▼ 受付のテントの隣に白地のキャンバスで囲まれたテント小屋があり、男女2室の更衣室となっており、安心して着替えることができた。ちなみに、茨城県鹿嶋市に鎮座する
鹿島神宮の大寒禊 では、更衣室が用意されず、御手洗池(みたらしいけ)のそばの露天で衆目に晒されながら着替えなければいけないので、玉前神社の細やかな配慮は、とても有り難い。 |
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テント小屋で貸与された褌・鉢巻に更衣 2010.1.24 10:26
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▲▼ しかし、越中褌の締め方の指導がなかったので、褌を締めたことがない人は、どうしたらよいのか分からず、まごつく人が散見された。今回、アメリカ人が一人参加していたが、彼も初めてなので戸惑っており、居合わせた参加者が指導していた。 |
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▲▼ 午前10時半ころ、褌鉢巻姿で砂浜に集合した後、裸足のまま、砂浜を一周するランニングが行われた。 |
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▲▼ ランニングの後、和歌の掲示板の周りに円陣を組み、宮嵜道彦にあわせて海に向かって拝礼が行われた。 |
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▼ 文久2年(1862)大分県宇佐郡に生まれた川面凡児(かわつら・ぼんじ)という先人が廃(すた)れていた奈良時代の禊行法(みそぎぎょうほう)を復興し、現在、川面流(かわづらりゅう)として、東京都青梅市(おうめし)御岳山(みたけさん)山頂(929m)・武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)の滝行(たきぎょう)や茨城県鹿嶋市・鹿島神宮の大寒禊、東京都中央区・鉄砲洲稲荷神社の寒中水浴大会など、全国各地で実践されている。いくつかの流派があるが、大きな違いはなく、玉前神社の大寒禊は、鹿島神宮と同じやり方だった。 |
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びゃっこんの はまのとりふね かんみそぎ |
Midwinter ablutions, Torifune practice wearing a white loincloth on the beach. |
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▼ 禊行法については、
寒中水浴の栞 に詳しく解説しているので、そちらを参照頂き、ここでの解説は省略する。 |
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