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平成20年(2008)5月17日(土)・18日(日)の両日、福岡県田川市(たがわし)に鎮座する風治八幡宮(ふうじ・はちまんぐう)において、2基の宮神輿と氏子町内の11基の山笠(やま)が彦山川(ひこやまがわ)の川床を渡って神社と御旅所を往復する川渡神幸祭(かわわたり・じんこうさい)が開かれ、神輿と山笠が御旅所から神社に還御(かんぎょ)する二日目を取材した。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
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54.52km2に約5万人が暮らす田川市(たがわし)は、福岡県中央部・筑豊(ちくほう)地方に位置し、北九州都市圏に属している。筑豊を代表する都市の一つで、飯塚市、直方市と並んで筑豊三都に挙げられる。BGMに流れる炭坑節の発祥の地としても知られ、筑豊最大の炭都であった歴史を活かしたまちづくりが行われている。 田川市公式サイト |
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▲▼ 戦前まで日本経済の発展を支えてきた筑豊炭田(ちくほうたんでん)は、福岡県の中央部から北部にかけて広がる炭田で、かつての筑前国(ちくぜんのくに)と豊前国(ぶぜんのくに)に跨がっていたため、筑豊(ちくほう)という名称が付いた。八幡製鐵所(やわたせいてつしょ)を背景に抱えおり、戦前の日本では、最大規模の炭田であった。 |
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閉山から19年経った昭和58年(1983)3月、かつての三井田川伊田坑(みつい・たがわ・いた・こう)跡に田川市石炭資料館が開設した。同所の田川市石炭記念公園には、炭鉱節に唄われた2本の大煙突や伊田竪坑櫓(いたたてこうやぐら)が当時のまま保存されている。 福岡県の炭鉱 |
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福岡県に伝わる民謡の炭坑節(たんこうぶし)は、もともとは炭鉱労働者によって唄われた民謡で、「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ」のフレーズで知られる。戦後全国的に流行してからは、盆踊唄として唄われるようになったが、元々は春歌(BGMメドレーの2曲目)だったともいわれる。 |
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福岡県の筑豊地方では、三橋美智也(BGMメドレーの1曲目)の歌うものが演奏され、夏祭の最後を飾る。プロ野球の埼玉西武ライオンズは、前身が福岡に本拠地を置く西鉄ライオンズだったため、現在でも炭坑節が応援歌に使われている。 |
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▲▼
福岡県田川市の風治八幡宮(ふうじはちまんぐう)川渡神幸祭*(かわわたり・じんこうさい)は、鬼夜(久留米市)、博多祇園山笠(福岡市博多区)、小倉祇園太鼓(北九州市小倉北区)、戸畑祇園大山笠(北九州市戸畑区)と共に福岡県五大祭の一つに数えられる筑豊地区を代表する夏祭で、昭和45年(1970)に福岡県無形民俗文化財第1号に指定されている。毎年5月の第3土曜日とその翌日の日曜日に行われ、2日間で10万人を超える観客で賑わう田川市最大のイベントである。 |
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*川渡神幸祭:地元では「川渡り神幸祭」と表記されているが、当サイトでは、「祭り」を「祭」と表記するなど、伝統の使い方に固執している。 |
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資料 |
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▲▼
開催場所は、田川市伊田(いた)の魚町(うおまち)、番田町(ばんだまち)、川端町(かわばたまち)にまたがる彦山川(ひこやまがわ)周辺地域である。最大の見所である川渡(かわわたり)は、彦山川の新橋・番田橋間で行われる。現地への最も確実なアクセス方法は、JR平成筑豊鉄道を利用して田川伊田駅で下車する方法が推奨されている。 |
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風治八幡神社(平成19年2月「風治八幡宮」と改称)は、伊田(いた)の土着集団の産土神(うぶすなかみ)として奈良時代から祀られていたが、境内に祇園社を勧請したことから山笠(やまがさ)も融合するに至ったものと考えられている。 |
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風治八幡宮 |
御旅所の鳥居前に並んだ11基の |
山笠 |
2008.5.18 10:46 |
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パノラマ写真(5300X1600)1.55MB |
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わかばかぜ のぼりばれんの やまいっせん |
The wind through the
fresh green leaves, floats with flags and baren ornaments making
a line. |
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馬簾 |
と赤い |
幟 |
が鮮やかな |
一番山笠 |
「 |
下伊田 |
」 |
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この祭礼は、永禄5年(1562)、伊田村に悪疫(疱瘡)が流行ったとき、村人たちが風治八幡神社境内の祇園社に平癒祈願し、その祈願が成就した御礼として山笠を立てて神幸祭に奉仕したのが始まりといわれ、爾来今日まで、450年の歴史と伝統ある夏祭として催行されてきた。地元ではこの山笠をヤマと呼んでいる。 |
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大型の |
一番山笠 |
「 |
下伊田 |
」の記念撮影 |
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▲
山笠(やま)の屋根に高々と立てた約10mの真棒(しんぼう)の先端には御幣(ごへい)がくくりつけられているが、この御幣は荒ぶる神・須佐之男尊(すさのおのみこと)の依代(よりしろ)であり、山笠が川渡(かわわたり)で暴れることにより、御幣が激しく揺れ、悪霊が水に流されるといわれている。祇園祭は夏祭で水の祭でもあることから、水神の祭ともいわれる。 |
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▲ 屋根の四隅には幣帛(へいはく)が飾られ、前面には神社でお祓いを受けた御幣が取り付けられている。山笠の正面には神殿があり、風治八幡宮の祇園社に祀られている須佐之男尊が宿る。正面の柱には「山笠の順番(シード+毎年の抽選)、地区名、責任者名」などの看板が取り付けられている。 |
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激しい「がぶり」に耐えるための頑丈なドラム状の車輪 / 橘山笠
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▲▼ 宮神輿二基に随行する11基の山笠は、小型、中型、大型の3タイプがあり、がぶり(ガブリ)と呼ばれる前後に大きく揺らす(船のピッチングに相当する)動作に耐えることと、川渡(かわわたり)での安定性を確保する目的から、台車には頑丈なドラム状の直径約90cmの4輪が備えられている。 |
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小型の |
四番山笠 |
「 |
鉄砲町 |
」 |
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「がぶり」は、相撲で相手の廻しを引き付けて腰を上下に揺り動かしながら寄り進む「がぶり寄り」と同じ意味で、上下に揺(ゆ)する動作をいう。
海事用語でも「時化(しけ)で船ががぶって船酔いした。」などと使う。地元のサイトでは、ガブリと特殊な言葉のように使っているが、立派な日本語であるので、当サイトでは「がぶり」と表記した。 |
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御旅所の鳥居の前(南)の駐車場に並んだ艶やかな |
山笠 |
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▼
この日、風治八幡宮の御旅所
(武徳殿)には、風治八幡宮の神輿と白鳥(しらとり)神社の神輿が鎮座していた。川渡神幸祭は、この二基の宮神輿の渡御である。 |
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▲▼ 風治神輿は、大正9年(1920)の神幸祭に新調され、約90年の歴史を刻んでいるが、平成21年(2009)に大改修が行われた。総重量が約2トンと西日本では最大級のもので、最低でも60名ほどの担ぎ手が必要である。 |
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炭坑閉山後、町の活気は衰え、祭も衰退の一途をたどり、昭和40年(1965)後半には、担ぎ手が集まらず、神輿を台車で引いていたという。また、お供の山笠もわずか2〜3台となり、祭りはまさに風前の灯(ともしび)となった。 |
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そんな中、「みこしを担ぎ上げ、伝統の祭を復興し、田川活性化の起爆剤にしよう」という合言葉により、田川青年会議所を中心に「みこしをかつぐ会」が発足した。 |
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また、平成7年(1995)には、山笠を出駕(しゅつが)する氏子町会全地区の青年組織と風治八幡宮による「川渡り青年友志会(かわわたりせいねんゆうしかい)」が発足し、祭運営の活性化が図られた。 川渡り青年友志会サイト |
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川渡神幸祭にあわせ、「まつり IN
田川」と称するイベントが開催され、この日は午前11時ころから御旅所前の駐車場で、第2回TAGAWA
TUG OF WAR (たがわ綱引き選手権)が行われた。 |
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TAGAWA TUG OF WAR (たがわ綱引き選手権)
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烏帽子(えぼし)白丁(はくちょう)姿の「みこしをかつぐ会チーム」の袴(はかま)は、襠(まち)の無いスカート状の行灯袴(あんどんばかま)である。袴が町人の間でも着用されることの多くなった江戸時代後期に発案された簡略な袴で、筆者の初見である。 |
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▲▼ 伝統装束姿の「みこしをかつぐ会チーム」の気合いの入れ方が素晴らしく、他のチームを圧倒。前年の第1回大会と同じく、コカコーラチームと決勝戦を戦い、見事に連続優勝を果たした。 |
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一般の部で優勝した「みこしをかつぐ会チーム」 12:04
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